花嫁という名の供物
「――時間だ」
「あぁ、わかった」
牢屋の奥でひざを抱えていると、見知らぬ男がやってきた。似たような背格好の彼は、きっと男の仲間なのだろう。あのおしゃべりな見張りと、彼は何か言葉を交わしている。
わずかに聞こえた内容から、あたしのは自分の終わりが近づいたらしいことを知った。
見張りの男が、鍵の束を手にこちらに向かってくる。かちゃかちゃという音がして、牢の扉が開いた。そしてすばやく中に入ると、あたしの腕を掴んで外に引っ張り出す。
痛くて顔をしかめるけれど、彼らに情けも容赦も無かった。どうせすぐに死ぬし、そもそもあたしは嫌悪対象らしいし、儀式の瞬間まで生きていればいいということなのかもしれない。
もう一人の男は、手に縄を持っていた。
それですばやくあたしの手を、そして足も縛り上げてしまう。
徹底的に逃げることを防ぐつもりらしい。
「口は?」
「この娘は喉が死んでいる。必要ないだろう」
そんな会話を最後に、あたしは二人に荷物のように抱きかかえられて運ばれた。
洞窟の中はとても広くて、まるで絵本で見たアリの巣のよう。ところどころに生活している感じがするから、どうやら彼らはここに住んでいるらしい。女性や――子供の姿も見える。
子供は不思議そうに、運ばれるあたしを見ている。
あの子達はわかっているんだろうか。
彼らが何をしているのか、あたしが何をされるのか。自分達の、おそらくは親がどういう考えを持っているのか。……いっそ、そういうことはわからない方がいいような気もする。
そんな知識も記憶も、絶対に必要なんて無いはずだから。
こっちをじーっと見ている子供は、すぐに親らしい大人に抱えられた。その人は、あたしをバケモノか何かを見るような、刺殺さんばかりに鋭く冷たい目で睨みつけてくる。
そして子供に何か怒鳴り、すぐに横穴へと消えていった。
あたしをじっと見ていたことで、親に折檻されてしまうのかな。だとしたら、かわいそうだなと思う。あたしは見ての通り目立つ容姿だし、あの子らにとっては見知らぬ他人だ。
こういうところで暮らしていたら、絶対に合わない知らない人。
それを見ないでいるなんて、あんな小さい子には無理だ。
幸いにもあたしを運ぶ彼らの足取りは早く、あたしの耳に子供が泣いたりしているらしい音は届かない。届かなくていい。何もされていない、という夢の様なものくらい最後にみたい。
自分なんて、折檻どころじゃない事態だというのに、我ながらのんきだった。できることが少ない――というより、もはや息をすることぐらいしかないからか、冷静でいられるらしい。
しかしそれは、泣けも叫べもしないから、という前提のおかげなんだろうと思う。
自分が死ぬと決まった現状、声が出るならきっとわめいていた。
声が死んでいて、さらに一度は死にかけて。
だからなのか、どうにでもなれっていうか……軽く、諦めの境地って感じだった。
荷物のように運ばれ、行き着いた先はやたらと広がりのある場所だった。
空間の奥には何と言うか……絵に書いたような『祭壇』がある。あたし程度なら、はみ出すこともなく綺麗に横たわれそうだ。どうやら、あれがあたしの『終の寝床』となるらしい。
祭壇を除けば、内装はまるで教会のようだ。長椅子があって、そこに何人か人が座っているのが見える。全員、魔術師か何かのような、黒いローブをすっぽりとかぶっていた。闇のような無地の黒に、やたら趣味の悪い派手な刺繍が施されていて、いろいろ台無し感があった。
比較資料が、センスがまぶしいほど光る、マツリのものというのもあるかもしれない。
実に怪しい集団は、ふと立ち上がってこっちを見た。
ローブの影の奥にある瞳が、猫でもないのにギラギラと光って見えて少し怖い。
「どういうことなの……っ」
そこに響くのは、聞きなれた少女の声。
祭壇のすぐ傍にある椅子に、マツリが座らされてるのが見えた。
マツリは数人の女性に囲まれ、座らされている椅子に手足を固定されている。
あれから、離れている間に何があったのか定かではないけど、マツリはなぜか着替えさせられていた。ただしやけに派手というか、安っぽい感じのする品のないローブだ。
元々着ていた服の方が、ずっとずっと彼女に似合っている。
あと、女神女神って言ってたのに乱暴するとか、何がしたいんだろう。布を巻いた上から縛り上げているようだけど、あれ、ぜったい痕が残るだろうな……色白いから目立ちそうだ。
彼女をそんな目に合わせたのはあたしだ。
マツリの意思をねじ伏せ、いうことを聞かせる道具にも使われたんだろうし。
あぁ、あたしは人に迷惑しかかけられない生き物なのかな。
「彼女に何をするの!」
「贄ですよ、女神。あなたの穢れを背負い、彼女は今宵我らが神に捧げられる」
と、一際豪華な格好をした男が、どこか陶酔した様子で語りだす。神父のような作りの服だけど神父様とかと違って、少しの爽やかさもない。不気味で気味が悪くて、恐ろしい。
たぶん、この男がリーダーなんだろう。
「彼女には何もさせない、許さない!」
「いくら女神の言葉とはいえ、それは聞けませぬ……さぁ、贄を祭壇へ」
彼の命令で、あたしは再び運ばれていった。それが『命令』になるということは、この集団のトップは彼だ。マツリの側にいて、やけに嬉しそうに笑っている彼が。
投げ捨てるように置かれた、祭壇の上。
冷たい石の感触。
男が、やけにごてごてした剣を手に、こっちに向かってくるのが見えた。実用的とは思えないその装飾といい服装と言い、どうやらこの集団、見た目から入っているらしい。
だから下品なんだと、心の中で叫ぶ。
この時ほど、声が出ない我が身を憂いたことはなかった。
このまま死ぬのなら、最後に一言、思うままに罵詈雑言を並べたい。思いつく限りの汚い言葉でこいつらを罵ってから、それからマツリにごめんなさいって言わなきゃいけない。
それから最後に――リードに、謝りたい。
あんな風に、暴れたり怒ったりしてごめんなさいって。
「忌まわしき呪われた白を持つ、邪神に見初められし花嫁を、あなたに捧げます」
祈りが始まる。
いつの間にか長椅子のほとんどが、ローブの集団で埋め尽くされていた。
中には小さな人影もあって、きっと子供なのだろうと思う。子供の前で人を殺すとか、こいつらやっぱり頭がおかしい。普通じゃない、普通だなんてことにしてはいけない。
「我らが神よ――どうぞ、贄をお受け取りください」
お受取りください、と声が響く。
振り上げられた剣の切っ先が、あたしのお腹に向けられた。心臓とかじゃなく、腹を狙う理由はわからない。すぐには死なないように、ということなのかもしれない。
いっそ一思いにやってくれたら。
思い、静かに目を閉じる。
マツリが泣く声と、もがく音が聞こえた。
神よ、神よ、と声が連なって、力を込めるように息を吸う音がして。
あたしはもうだめなんだなって――。
「残念だな、それは俺のだ。返してもらうぞ」
そんな声がした。
直後、広間にがしゃがしゃと音がする。
きゃあああ、という若い女性の、半狂乱混じりの甲高い悲鳴を合図にして、武器と武器がぶつかる嫌な音楽が始まった。押さえつけていた腕がなくなり、あたしはゆっくり身を起こす。
そこは、戦場になっていた。
動きにくそうな格好で応戦する男達と、重装備の兵士――そして騎士。数こそ同じくらいに見えるけど、その戦力は違う。ぐちゃぐちゃになった長椅子も、彼らには障害にならない。
次々と男達を、そして逃げるばかりの女達を捕らえていく。
その先頭に立っているのは、あたしの旦那様になるはずの王子様。
なぜか剣を振るいながら、こっちに向かってくるリード。
「お前らの悪行も、ここまでだ!」
左右にエルディクスとユリシスを従えて、彼はまっすぐこっちに向かってくる。
あたしに、向かってきてくれる。
でも、あたしの中にいる素直じゃないあたしは、やっぱり毒を吐いた。
王子様のくせに、何やってるんだって。危ないのにどうしてって。だってあたしは代わりなんていくらでも用意できるだろうけど、あなたの代わりはどこにも存在しないのに。
彼がいないと、この国が壊れてしまうかもしれないのに。
無茶ばっかりする。
だからエルディクスはひどいことをしたんだろうし、神託を求めたんだ。自覚が足りてないにも程がある。自分がどれだけ重要な存在か、彼は少しもわかっていないらしい。
こんな王子様だったら、仕方が無い。
ダメすぎる。
……でも、だけど。
「大丈夫か?」
そう言って、縄を切ってくれる彼に。
あたしは祭壇から飛び降りて、そのまま抱きついた。
怖かった。
すごく怖かった。
声はでない、叫んだりはしない。だけど、だからってそうしたいくらいの感情が、なかったことにはならないのだ。むしろ発散できない分、それらは色味を強く鮮やかに、積み重なる。
今更、身体ががくがくと震えていく。
そんなあたしを、リードは優しく抱きしめてくれた。久しぶりの懐かしいぬくもりに、あたしはだんだんと落ち着きを取り戻す。震えていた身体と心が、ゆっくり穏やかになっていく。
すごく恥ずかしいことをしている気がしたけど、今だけは気にしないことにした。
今はただ、この腕の中にいたい。