囚われ
『マツリ、侍女って誰? どんな子?』
「……それは、ついてからのお楽しみ」
馬車に揺られ始めて少し、見えない窓の外に少しの雑踏が聞こえる頃、あたしはずっと気になっていた質問をぶつけてみた。しかしマツリは、にっこりと意味深に微笑むだけだ。
しかし他に話す内容もないあたしは、唇を尖らせる。
窓は閉ざされて外も見えないし、話題も無いとなるとどうしようもない。
早いところ目的地についてくれないかなと、祈るだけだ。
王都の外周を通る、あまり人通りの無い道を進んでいるという。中央は馬車の往来が激しいのと人の動きもあるので、急いだりする場合は多少遠回りでも外周を回るのだという。
止まったりなんかする時間を考えると、こっちの方が早い場合もあるのだそうだ。
少し崩れた石畳を馬のひずめがたたき、面白い音を鳴らす。
この音色は、何だかすごく心地よかった。その合間に聞こえるのは、馬車について歩く兵士の鎧の音だろうか。それもまた心地よく感じられて、あたしはついうとうとしてしまう。
マツリだから、きっと目的地に着いたら起こしてくれる。
そう思い、夢とのはざまを、ゆらゆら揺れていると。
「ま、マツリ様っ」
外から、兵士の慌てた声がした。
あたし同様、うつらうつらしていたらしいマツリが、傍らの杖を手に馬車を飛び出す。
目を覚ましたあたしに、じっとしているように叫んで扉を閉めた。
金属と金属が、ぶつかり合う音がする。
何かが爆発するような、音もした。
寝起きのあたしにもわかる――何かが襲ってきて、戦っている、と。見えない外では戦いが始まっていて、狙いはあたしなのだろうか。あたしが乗っていると知っていれば、確定だ。
だけど物盗りの可能性もあるし、そうなら戦いはすぐに終わると思う。
騎士程ではないにせよ、兵士は戦うことが仕事だ。
――なら、どうしてそれを襲う対象に選んだのだろう。
もしあたしだったら、兵士が守っている馬車なんて狙ったりはしない。よほどの手勢を揃えるだとか、あるいはそこまでするに値する目的でもなきゃ、たぶん誰もが狙わないはずだ。
外から聞こえる音はやまない。
ここまで抵抗されたら、目的があっても普通は引くと思う。
意地でも達成したいことがあるのだろうか。
だとしたら、それは。
いろいろ考え、あたしの思考は悪いことばかり浮かべ始める。いや、悪いことというよりも単純な現実という気もする。だって、ここまでするには相応の何かがあるはずだから。
それは、たぶんあたしなんだろうと思う。
だって他にない。マツリは確かに次期公爵の奥さんだけど、それだけで襲ってくるかというとどうだろう。一人でいたならともかく、兵士が一緒にいるわけなのだし。
それよりあたしがここにいる、ということを知った何者かが、あたしを目当てにしていると考えた方が自然だ。執拗に攻撃を仕掛けて来ているらしい音からは、そんな予感しかしない。
外は、大丈夫なんだろうか。
マツリは、兵士は、ケガとかないだろうか。
きっとあたしのせいでこうなったに違いないのに、あたしは何もできない。無力さと石版を強く腕に抱き、馬車の床にうずくまるようにしていると、勢いよく扉が開かれる。
そこにいたのは兵士でも、マツリでもない。
エルディクスやユリシスと同年代風の、若い男だった。
「白い髪に灰色の目……これが、神託の花嫁か」
男はつぶやき、血や泥で汚れた手であたしの腕をつかむ。
力任せの行動は、痛みを産んだ。
痛みに身を捩るようにしてもがくけれど意味はなく、そのまま外へとひっぱりだされる。
そこで見たのは、地面に倒れ付す兵士と、男達に拘束されたマツリの姿だった。ぐるりと周囲を見回せば、あたし達の数倍の人数が取り囲んでいる。想像以上に、状況は悪かった。
こんなのじゃ、勝ち目なんてあるわけが無かった。
「ハッカ……っ」
男の拘束を振りほどき、マツリはあたしに向かって走ってきた。
あたしの腕を掴む男から引き離し、その腕に抱く。
「わたしに、今度は何の用ですか」
ぎゅっとあたしを抱きしめ、マツリは強い声で問うた。今度、という言葉からして、彼らと何らかの接点があるのだろうとわかる。それも、あまりよくない意味の、関わりが。
睨みつける視線は強くて、親しみなんてものはない。
これは敵を見る目だ。
その視線の先にいる男達は、襲撃者とは思えないほど不気味に穏やかで。
「一緒に来ていただきます、我らが女神」
一人がそういったのを合図に、彼らは一斉に地面にひざをついて頭を垂れる。それは兵士が君主にするような行動で、けれどマツリは、彼らを嫌悪感をあらわにした目で見ていた。
「……嫌だと言ったら?」
「あなた以外を、この場で始末するのみです」
と、あたしの腕を掴んでいたあの男は、冷たい目をして言い切った。
その目に、冗談とか、そういう気配は微塵もない。この男は本気なんだろう。マツリの返答一つであたしや兵士、つまりはマツリ以外を全部殺してみせるんだろう。
マツリは一瞬、呻くように息を詰めた。
「……彼らに手を出すことは許しません。もちろん、この方にも」
「我らが女神のお言葉ならば」
男達は再び、服従の意を示すように頭を下げる。
やっぱりその構図は、君主と臣下のそれに似ていた。
■ □ ■
たどり着いたのは山の中。
いかにも何か曰くがありそうな、洞穴の奥。
最初からこうする予定だったのかはわからないけれど、急ごしらえとかではない、意外としっかりした作りの牢獄に入れられた。ちょっとやそっとじゃ、これは破壊できそうにない。
そもそも、あたしにはそんな力はないんだけど。
「女神様はどうぞこちらへ」
「……ハッカ、ここで待っていて。必ずわたしが、わたし達が何とかするから」
マツリはあたしから離れて、彼らと共に行ってしまう。
残された見張りの男は、あたしを心底見下げ、軽蔑した目で見た。嫌悪、といってもいいかもしれない。どっちにしろいい感情がこもった視線ではないし、向けられたくないものだ。
嘆かわしい、と男は嘆く。
「邪教徒の神に見初められた愚かな娘を、あのように高貴なる方が守るなど……」
この国も腐ってしまった、と苦々しさを声にたっぷりと含ませた。
彼らにとって、マツリは女神だ。
多くの人にとっての神と同じようなもので、彼らにとってその神は邪神らしい。神託に選ばれたあたしは、彼らには邪神そのものといっていい存在で、だからこそのあの視線のようだ。
そんなのあたし関係ないじゃん、と思うけど言わないし言えない。
言ってどうにかなるなら、こんなことにはなってない。
あたしを前にして、男は感情を抑えられなくなっているのだろうか。
次から次へと饒舌に語る。
「あの方は、異世界より招かれた我らの神、女神だ。邪神に支配されたこの世界を、あの純粋なる漆黒でお救いくださるお方なのだ。なのに、あぁ、なのにあの男は、我々から奪った!」
頭を抱え嘆く男。
……異世界、という言葉にあたしは驚く。
異国から来たと聞いていた、けれど実は違った、らしい。
彼女は魔術の才能があり、そこに目をつけられてエルディクスが招いたという。彼らの言葉から言うと『誘拐』で、自分達のところに来るはずだったものを『略奪された』らしい。
マツリがこの世界に来て少しして、彼らは彼女の存在を知った。
彼らの教義に当てはまる、女神である彼女を。しかし彼女は邪神を崇め奉る国の中枢にいる男に、エルディクスのモノになってしまった。花嫁という形で、彼のモノになった。
そこに怒り、彼らは何度となく『取り戻す』ために行動を起こしたという。
結局はエルディクスの前に、敗れ去ることになったらしいけれど。
苦汁をなめていた彼らだったけれど、そこにまたとないチャンスがやってきた。
それが『あたし』だ。
正確には、あたしがいることで発生した今日の外出。基本的には城にいて、外ではエルディクスがだいたい一緒にいるマツリが、あたしと一緒に外にでてきた、なんて美味しい展開。
見逃せるわけもなく、金に物を言わせてとにかく人を集めて――今に至る。
誘拐しただけでは飽きたらず、彼らには何か目的があるらしい。
「お前はこれから罪を背負う」
マツリという女神を奪った罪を。
贖え、償え、と男は言い聞かせるように言ってくる。
「罪を贖うために――お前は、死ね」
あぁ、もしかして。
嫌な予感がぶわりと芽吹く。一足飛びで花まで咲かせてくださる。あぁ、もしかしなくてもこれってあたし、死ねってことは、あたし――たぶん、ただ死ねばいいわけじゃないだろう。
こういう場合、ありがちな言葉がある。
生贄、だ。