後宮だとか側室だとか
秘密の打ち合わせから一時間ほど。
人目から隠れつつ部屋を抜け出したあたしは、どうにか城の外に出た。久しぶりの外に感動するまもなく、こそこそとした移動は続く。なにせ目立つようしなものだから、大変だ。
そうしてマツリに連れられてきたのは、人気がない場所。
ここは城の裏口にあたる場所で、人通りの少ない道に繋がっているという。
そこで待っていたのは数人の兵士と、シンプルな見た目の馬車。装飾は控えめで、でも貴族とかが乗っているんだろうなと思うような感じだ。これなら城から出てきても違和感ない。
兵士の一人があたしを見て、驚いたように目を見開く。
そりゃそうだろう。
神託の花嫁がこんなところにいるんだから。
「ま、マツリ様……そちらの方は、もしや?」
「えぇ、ハッカ様です。彼女も連れて行きます」
その方が良いでしょう、と何か含みのある言い方をするマツリ。
そこが気になったけれど、あたしはおとなしく馬車に乗り込んだ。
外では不安そうな兵士の声と、凛としたマツリの声がする。あたしが来ることはまったく聞かされていなかったのだろう、かわいそうなくらいうろたえている声だった。
「しかし……マツリ様、本当によろしいのですか?」
「何がですか?」
「いえ……エルディクス様や、ユリシス様に何も言わなくても」
「書置きは残しましたし、皆さんがいるなら問題は無いでしょう」
マツリは、馬車を取り囲む兵士の集団を見て。
「騎士団所属の皆さんに守られていると承知で襲ってくる、そんな者はいないでしょうしね」
「……たしかに」
では出発します、と男性は一礼してどこかに向かう。マツリがあたしの前に座り、うまくいきましたね、と茶目っ気のある笑顔を見せる。扉がぱたりと閉じて、馬車がぐらりと揺れた。
あたしとマツリは、向かい合わせで座っている。
目的地は――あたしもしらない。
ただ、あたしの侍女を迎えに行くという、目的を聞かされているだけだ。それがどこの誰かは知らされていない。でもマツリが選んでくれたらしいから、悪い子じゃないと思うけど。
迎えに行った後、少し散歩もできるらしいから楽しみにしておこう。
だから動きやすい服を、なんてマツリは言っていたんだなと、部屋を抜け出す前のことを思い出す。今のあたしの格好は例のシンプルなワンピース、そしてサンダルに石版。
ワンピースこそ違うけれど、あたしがよくしる『あたし』の姿だ。
マツリは魔術師としてのローブを脱いで、普段着らしい格好を晒している。植物を模した刺繍で飾られたワンピースは、とても似合っていると思った。豪華な格好よりも、ずっと。
顔立ちが少し異国人らしさのある彼女だけど、こうしているとやっぱり普通の女の子なんだなと思う。意外と、そういうところにエルディクスは惹かれ、結婚したのかもしれない。
そう、なんだかんだで、あの二人はお似合いに見えた。
互いに支えあっている感じがするというか、あたしの両親を思い出させるというか。
そういえば、あたしもあんな風になりたかったんだった。
仲のいい、支えあえる夫婦に。
でも、きっとそれはもう叶わない夢だ。リードとの関係は、たぶん出会った直後より酷く冷め切っている。こうしてこっそり抜け出さないと、あたしは外にも出してもらえない。
文句を言う相手は、あたしを徹底的に避けて、女と遊び呆けて。
――思い出したら、少しイライラする。
脱出する時、庭の隅に令嬢の団体を見た。見るからに気合の入ったその姿に、もうため息も何も出ない。ここで泣きわめくだけの力があればいいけど、もうそんな元気もない。
彼女らがリードの傍に、まるで彼が自分達のモノであるかのように侍っているのだろう。
それを、彼は黙って受け入れる。
仮にあれが愛想笑いでも、それすら向けられないあたしは、じゃあ何なのか。
マツリは、あたしを守るためだとか言っていた。彼女自身が過去あれこれ言われ、今も絡まれているから。その反省を活かして、彼らなりに考えていろいろ苦慮しているのだと。
でもそれは周囲の予想。
本当にそうなのか、あたしにはわからない。
それを判断する材料が、どこにもない。
無条件に信じられるほど、あたしは彼を知らないわけだし。
すると、どうしても『疑い』へと、思考は傾く。
考えるほど、彼への怒りと、よくわからない感情が渦巻いて気分が悪くなった。マツリを疑ったり責めたりしたいわけじゃないけれど、ことリードに関してはやっぱり信じられない。
だって彼だって男だし、彼女達は綺麗なのだから。
男の人って、そういうのに弱いものだって、あたしは知ってる。女だって、見目がいい異性がいたら目が向くから一緒だ。誰だってきれいなものには弱い。そういうものだと思う。
加えて、この国には過去の遺物と化しているけど、複数の妻を持っていい、という王族というより王様専用の仕組みが残っている。
書物で読んだけど、この国の王様というのは結構いい年になってから、父親が亡くなるなどしてから即位することが多いらしい。むしろリードみたいに若くして、というのはごくまれ。
何十人もいる王様の中でも、リードを入れても片手で足りる。平均すると三十代で測位することが多いらしく、早くに結婚するのだからそりゃあ子供が一人二人はいるよねって感じだ。
そういうことがあって、複数の妻、なんてものの需要は一部貴族が自分の娘を売り込む大義名分にするぐらいで、後はもう冗談で使われることもないくらい影の薄いものだった。
言われた王様は、きっと断っていたんだろう。
だから存在価値が疑われるくらい、それは使われない制度で在り続けた。
リードもそうしたかったんだろうなと思う、リードというよりもエルディクスかな。一人を認めれば際限なんてなくなるだろうってことは、あたしにだってわかる。
どこそこの令嬢は良かったのに。そう言われたら断れない。そうやって増えて増えて、王が即位するたびに数十人規模で城に令嬢が囲われる、なんて国も他所にはあるらしい。
そういう立場の女性を、その国では『側室』と呼ぶのだそうだ。
なぜなら、その国では王様の正妻――この国で言う王妃のことを『正室』と呼ぶから。
彼女らがいる場所が『後宮』で、そこには王以外の男性は入れないらしい。
なかなか面倒な仕組みがあるものだなと思いつつ、そんなものがこの国にあったら大変だなとあたしは思った。そもそも、数十人も貴族の女性を囲ったら、お金掛かりそうだし。
ここは、歴史はあるけどそう豊かとはいえない国だ。
一瞬で国庫というやつが干上がりそう。
まぁ、そこまで行かないにせよ近い状態にはなるかもしれない。連日通ってくる令嬢を見ているとそう思ってしまう。ルーフィやクリスティーヌの派閥は、たぶん毎日来ているし。
そういうのを、リードや周囲は忌避したんだろうな。
けれども状況は、たぶんあまりよくないだろう。
世の中、物語みたいにポンポンと物事は進まない。貴族の貪欲さは半端ない。程度の差はあれど誰もが憧れる『王子様』は、この国でもっとも射止めるための競争が激しい高嶺の花だ。
さすがに結ばれるかわからない縁に、すべてを賭けることはできない。
王子一本に絞って、それがダメだったら家もあれだけど、令嬢が一番哀れ。
だって残るのは行き遅れた娘と、余り物のような相手だ。王子を狙っている間に、貴族の良い相手は他所に取られてしまうから。娘の結婚相手は親が決めるから、娘から拒否もできず。
ましてやリードには、神託が選んだ花嫁、なんてものがいる。
公的な愛人にせよ未来の王妃にせよ、なかなか茨の道だなと思う。
なので王子を狙いつつ、キープとして許婚なり婚約者なりを用意しておく。そうして万が一にもダメだった時には、すぐに別のところに娘を嫁がせるという滑り止めみたいな足掻き。
殿方の方も、相手が王子ともなればかなりの確立でその縁談を得られるので、結構乗り気で受けてくれただろう。余り物にならないような人なら、それこそ引く手数多だろうし。
で、リードの言葉に頭を抱えてしまったわけだ。
そういうことをしている女はいらない、という主旨の言葉に。
とはいえ、城に押しかけてくる令嬢方は、みんな『相手』がいるという。口約束程度とはいえ万一の備えを用意してから、その安心感に後押しされて城に通い詰めているという。
どうやら、リードの言葉はあまり意味がなかったらしい。
そこだけは、少しかわいそうに思った。