その価値を損なわないように
マツリを崇め奉る目的で襲おうとするも返り討ちにされた連中と、彼女を誘拐した後にいろいろとやらかした夫と、どっちが果たしてマシなのか、どっちもどっちなものなのか。
リードの本音としては、おまえが言うな、という一言に尽きる。
言ったところでどうにかなるわけでもないので、あえて口をつぐむが。
しかし、顔に浮かんだ言葉は、彼に見抜かれてしまう。
「ボクも同類って言いたいんだよね」
「いや……」
「でもボクだってちゃんと考えがあって、ああしたんだよ」
バカと一緒にしないでよね、とエルディクスはいう。彼の言う考えとは、いきなり異世界に連れさらわれたマツリを穢し、人形のようにしたあの日々のことを言っているのだろうか。
だとしたら、その考えとは何なのか。
――初めてリードが見たマツリという少女は、人形だった。
椅子に座って、何も言わず、反応もしない。微かに肩が上下するから息をしていて、人間であることを理解できるが、じっとしている姿は本当に人形のようで、一瞬たじろぐほどだ。
何をどうしたら彼女はそうなったのか、聞いた瞬間にリードは言葉を失う。
あの時、彼女は確かに壊れていた。
にもかかわらず、エルディクスは人形の彼女をよく連れ歩いた。何かをさせるでも覚えさせるわけでもなく、影のように連れていた。それもまた、彼女の立ち位置を微妙にしたのだが。
「だって、お人形みたいなマツリかわいいから」
そう言って、どこか嬉しげに笑う彼には届かないのだろう。
「ボクの後ろを、てこてこついてくるんだよ、少し不安そうに。離れていこうとすると目で追いかけてくるし服を掴んできたりもして、もうね、それがすっごくかわいくてさぁ……」
「いや……確かに最初の頃はそうだったけど」
ひたすらエルディクスについて歩くマツリは、確かにかわいかったとリードも思う。
しかしそのかわいいとは、動物の子供を見るような感覚に近い。親鳥について歩く雛鳥というのが、一番わかりやすい図だっただろう。中身と実情はそんな微笑ましいものではないが。
エルディクスにすべて奪われたマツリの中には、あの頃、何も無かった。
少なくともリードには、マツリに何かがあるように見えなかった。ひたすら、ただひたすらに彼女はエルディクスだけを見て、その姿を常に視界に入れて、彼の後ろをついて歩く。
マツリの世界は、きっとエルディクス一人で終わっていた。
当たり前だよ、とエルディクスは笑う。
「だって、そのためにマツリを抱いて、抱きつぶしたんだから」
一週間かけて、元の世界との繋がりを断ち切って。
次に、彼女の心を砕くように抱きしめて。
何もわからなくなった状態になったところで、そっと手を差し伸べる。
平然と行われたことに、リードは何も言えない。
「最低と言いたいならお好きなように。だけど、そうしないときっとマツリは、彼女の心は自壊してたよ。そうなったらもうボクにも、誰にも直せなくなるから、だったら……ってね」
自壊し、ずっと壊れた人形のままでいさせるくらいなら。
直せるように、その心を手折った方がいい。
エルディクスは意図して、計画して、計算して、マツリの心を丁寧に折り、砕き。
一年――いや、実際には半年ほどかけて、丁寧に作り直した。
その際、自分以外の世界を彼女に与えないようにしたのは、彼女が自分以外のモノにならないようにしてしまったのは、リードには執着を超えた何か仄暗いものを感じさせた。
「本音としてはね、ずーっとマツリを屋敷に閉じ込めておきたいんだよね」
その何かを、エルディクスの言葉が高める。
鎖でベッドに繋ぎとめて、他の世界の存在さえ知らせずに。目隠しをするように外を遮ってしまえば、異世界から来た彼女はどこにもいけないし、何かを知ることすらできないまま。
そうすればマツリは、エルディクスしか知らない。
彼女はエルディクスだけを慕い、彼だけに依存し続けるだろう。
まるで、麻薬ですべてを汚染するように。
「まぁ、そういうのも悪くないけど、ボクは今のマツリの方が好みだな」
「……」
「しかし他の男に笑うのは気に入らない。かわいい顔立ちだって自覚ないからね。年の割には小柄で華奢だし、庇護欲そそられるよ。でもそこをエサに彼女を貪れるから、まぁいっか」
くすくす、と笑う友人に、リードはもう何も言う気も無くなった。
思うのは、こんなのにつかまったマツリの今後。
彼女自身は、おそらく今に不満らしい不満は無いのだろう。エルディクスが女をはべらせていても、何も言わずに離れた場所に佇むだけ。仕事はあるし手に職もついた。
彼女は一般市民向けの、医療系の魔術の勉強もしているようだった。いつ捨てられてもいいようにという感情を透かしながら、書物に視線を落としている姿は痛ましい。
けれどリードにはどうすることもできないのだ。
何かを彼がすることを、彼女は望まないのだから……。
「あぁ、そうだ。リードに言っておこうと思ったんだ」
サインが終わった書類をそろえながら、エルディクスが言う。
その意味深な笑みに、リードはなんとなく嫌な感じがした。
「気が向いてハッカを孕ませる時は、できれば一ヶ月ぐらい前から宣言しておいてね」
「な……なな、何言って!」
案の定――というべきか。
直球すぎる話題に、思わずリードは声を荒げ立ち上がる。
それを手で制しながら、エルディクスは続けた。
「だって、マツリを乳母にしたいじゃないか」
一ヶ月経たないと薬が抜けないんだよね、とエルディクスはため息をこぼす。
それが何の薬なのか、リードはあえて問わなかった。
この一年、それなりに近い位置にいたがゆえに把握しているのだ。
非常に、残念なことに。
この親友であり幼なじみであり側近でもあるエルディクスとその妻は、当然ながら夫婦としてありうることをしっかりしている。普段の言動からして、それは間違いないと思う。
それだけのことをしながら、神の祝福の気配がかけらもないとなると。つまりそういうことが起こらない処置を、何かしらそれなりにしているという結論がでる。
さすがにマツリに直接手を出していたら、友人として殴ってやろうとは思ったが、たぶん薬はエルディクスが摂取しているのだろう。その方が楽ではあるし、副作用もそう強くない。
しかし、子ができないことで、マツリはあれこれ言われている現状はどうだろう。
その原因が自分だと思うと、リードは気分が滅入る思いがした。確かに乳母ともなると身辺調査などが徹底されるが、マツリであればその必要性など皆無と言い切っていい。
だが、そのために……と思うと、エルディクスが恐ろしく思えた。
「乳母の問題だけじゃないよ。リードだって知ってるだろ? 女性魔術師の問題」
「あぁ……そう、だな」
そうだった、と言われてようやくある問題のことを思い出す。
女性には男性に無い、特有の現象が起こる。子を宿すという現象が最たるもので、定期的に訪れるという子を授かるための準備もまた、魔術的に影響を及ぼす要因だった。
準備段階では魔術制御が、つくり上げる魔術が乱れる程度である。これは個人で程度がだいぶ代わり、影響を感じないものから、人によってはまったく使えなかったりもするという。
そして極め付きが妊娠。
この段階になると、魔術は一切使えない。
魔力が胎児に影響を与えないよう、自らその機能を閉ざしてしまうせいだという。
マツリは世界を渡ってまで手に入れたいと思うほど、優秀な魔術師だ。こちらの世界で寄る辺のない彼女の普遍的な価値は、その魔術のみと言い切ってもいいかもしれない。
それをむやみやたらと『殺す』のは、あまり賢いやり方ではないだろう。
「それに、魔術師の仕事をするようになって、マツリは少し明るくなったよ」
あれが本来の彼女だね、と、彼女の世界を叩き壊した張本人が言う。
だが、何を言ってもエルディクスには通じないだろう。昔からいろいろおかしい、狂っているというか壊れているように見える男だった。良くも悪くも、国政に向いている人材だ。
目的のためには手段を選ばず、マツリを浚ったり、神託に手を出したり。そのつど謝罪などの姿をみせるが、結局のところ彼がやらかしたことを真剣に反省することは無いのだろう。
それが国のためであるなら、彼はどんな非道も請け負うに違いない。
マツリが、人形のようになったことも。
花嫁としてハッカが、見知らぬ別世界とも言うべき城に繋がれたことも。
すべてが、彼が思う『願い』を叶えるため。
リードを王にするため。
彼が抱く願い『そのもの』であるリードには、そして同じ願いを確かに抱いている彼にはどうしても、エルディクスの在り方を全否定することなどできない。
その結果、二人の少女が、決して良いとは言いがたい環境にいても。
王子として、王として、彼女らの犠牲を受け入れるしかない。
できることと言えば、こうして本人に、いろいろと苦言を漏らすことだけだ。
今いる場所から二人も、それ以外も逃げることはできない。それを許さない仕組みで作られた道しかないのだから。二人がここに縛られることを前提で作られた、王に至る道だ。
ならば、少しでも良い場所に変えるしかないのだろう。
……それが何より、難しいことであるのは承知だが。
「ま、いろいろ言ってみるけど、結局のところは簡単な話でね」
少し癖のあるサインが入った書類を抱え、エルディクスは扉に向かう。
扉の向こう側にいるユリシスに開けてもらい、廊下に出る直前に、彼は振り返って。
「マツリをもう少し、ボクだけのモノにしていたいだけ、だったりするんだよ」
おそらくは、この場にいるものにしかわからない欲を晒した。いずれ時期を見て、あとは彼女の意思もそれなりに尊重してから授かる予定なのだろう、我が子にすら向けられる嫉妬。
独占欲というには、あまりに狂気に近い感情に。
リードはしばらく何も言わず、閉ざされた扉を見つめ続けていた。
■ □ ■
彼が最後の最後、ぽつりと残した言葉。
――リードもいずれわかるよ。欲求にね、素直になるといい。
その真意を理解し、けれど理解したくないという、相反する思いを抱えて。
「わかりたくなんて……ねぇよ」
低く、つぶやく。
ハッカは、強引に与えられた花嫁のはずだった、押し付けられた荷物だった。初対面での言葉に罪悪感もあるし、生まれ育ちへの同情もそれなりにある。
しかし、特に大事にしようと思ったことは無い。
守ろうとするのも、神託がある以上は、やはり守らないと何かと面倒だからだ。
それ以外など、無いはずなのに――どうしてこんなに気になるのか。
今すぐ、あの身体を抱きしめたいのか。
リードはわからず、そして仕事に逃げ出した。