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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■4.惨劇、襲撃
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神と民

 ――リードとハッカがケンカをして一週間後。


 仕事をこなすリードの、その顔色はあまり良くないものになっていた。

 執務室横の仮眠室での寝起きは、数日もすればそれなりに順応する。結局のところ、どう喚こうとも仕事は二人の関係改善を待ってくれもしないし、逃げ口にするにもちょうどいい。

 ひたすらに仕事を最優先して、食事もそこそこに死んだように眠る日々。

 時々、隣にあった温もりの消失に不愉快なほど心がざわめき、まだ薄暗い明け方にはっと目が覚めては、やけに狭いベッドの上でため息をこぼす。身体は休まれど、心は疲弊した。


 けれど、今はまだあの場所に帰ることはできなかった。

 いろいろと理由はあるが、その中でもっとも大きいのは――気まずい、というもの。

 あの夜の自分はどうかしていた、とリードは思う。

 少し酒を飲んで、いい気分だったから。心の中が緩んでいたから。あとは、彼女が思ったよりも褒められていたから。よい花嫁を、なんて言われて、なぜか自分が舞い上がったから。

 だからまだまだ子供の癖に、子供じゃないと言い張るハッカを――。


「……あぁ、くそっ」


 頭をかきむしり、心の声を吐き出す。

 忘れようとすると、そのたびに思い出しては、記憶に深々と刻まれていく。

 そんなことは、もうわかっているのに。

 色味を増す記憶に抗うほど、さらに濃くなっていくのに。

 それでも、リードは忘れようとして、迷路に迷い込んでいった。あの夜リードは、ずっと触れまいと思っていたものに触れてしまった。ただ触れるだけではなく、心に欲を抱えた。

 触れた瞬間、何かが起きた。

 頭の中で、黒い何かが哂ったのだ。


 ――それは『大人』だ。だから遠慮なく、望まれたままにその柔い素肌を暴いて、隅から隅まで丁寧に、乱雑に貪ってやればいい。何の問題も無い。それは、お前のモノなんだから。


 思い出すだけでも、それは嫌悪と憎悪が入り混じってこみ上げる声だ。自分の一部が確かに囁いた声であることを、認めたくないと思うくらいに、それはおぞましい言葉をしていた。

 魔が差して、ハッカの唇に触れて。

 驚きで目を見開く、その姿を見て――彼は、現実へと引き戻された。

 子供だとか、子供ではないとか、関係なくなった。

 最悪のタイミングで、最悪の行為に出た。

 それを悟ったリードは、とっさに、いつも以上にきつい物言いをぶつけた。誰だって怒るだろう言葉を吐き出して、怒らせて、そうしてきっと、こちらの気分をつぶして欲しかった。


「……あそこまで怒るのは、予想外だったけどな」


 今にも泣きそうな顔で、モノを投げつけてくる姿が、目に焼きついている。

 結構、聞き分けのいい少女だった。そういう意味では、彼女はもしかすると自分より大人ではないか、と彼は思う。精神的な強さは、たぶん向こうの方がたくましいだろう。

 所詮リードは、温かい世界で大事に育てられた鉢植えで。

 彼女は大地に根ざして、自らの力で立ち上がり続けた野の花なのだ。

 そんな彼女をああも混乱させ、怒らせた。

 わかってやったこととはいえ……あれほど怒られると、それなりにショックがある。少しは好かれていると思っていたし、思いたかったが、そんなものは一方的な幻想だったのだろう。

 そんな感覚を受ける資格など、自分にはないとわかっている。

 それでも、やはり――そう、考えてため息がこぼれてしまう日々だった。


「だからって八つ当たりされても困るんだけどね」


 はい、と新しく資料を机に積み上げ、エルディクスは苦笑する。

 彼の家の特徴でもある、紫の瞳に若干の嘲笑があった。

 くだらないことでケンカしている状況を、色んな意味でバカにしているのだろう。実際バカにされてもしかたがないとは自覚しているので、その目つきについてはもう何も考えない。

「そりゃあご令嬢との交流で、あれこれストレス溜まってるのはわかるけどねぇ」

「……交流?」

 嘲笑を、はっきりと浮かべたのはリードだ。

 あれのどこが、と彼は笑う。


 確かに城に連日押しかける令嬢集団と、それなりに話はしていた。そもそも、夜会でもなければ来る必要がないはずの彼女らは、我が物顔で城に通っては自分に合わせろと周囲に叫ぶ。

 武装している騎士や兵士は避けられているが、問題は文官だ。

 平民出身のものも多く、貴族に詰め寄られて身体を壊すものまで出たのだ。

 そうでなくとも仕事に影響が出てきたため、リードがいくつかの仕事をエルディクスを筆頭とした他者に一任することで時間を作り、彼女らの『お相手』をすることになったのである。


 反吐がでるような作り笑いで、リードは適当に相手をしていた。

 散々教わった話術を駆使し、相手を気持よくするだけの意味のないトーク。約束を迫られれば言葉を濁して交わし、詰め寄られたら申し訳無さそうな顔と声で相手をなだめる。

 それは完膚なきまでに『仕事』だ。

 何人もの令嬢と話をしたが、彼女らと交わした内容など何一つ思い出せない。

 もっとも、思い出す意味もないことだからそれはどうでもいい。うっかり忘れていても謝れば彼女らは許してくれる。――王子相手に、許さない、など言えないだけではあるのだが。


 さすがに名前ぐらいは覚えている、けれどそれ以上を記憶する価値はないだろう。

 どうせ彼女らはリードという『優良物件』への賛美と、自分の印象を少しでもよくするための上滑りしたおべっかと、彼の心を満たすハッカを蔑む音しか吐き出さないのだから。

 正直、あれほど無意味かつ無駄で、今すぐにでも投げ捨てたい価値の無い仕事はこの世にないとリードは思うが、だからといって疎かにはできない。

 なぜならば、ああやって相手をしないと、客室に居座ろうとするのだ。

 なまじ親がそれなりの地位にいるので、始末が悪い。

 その気になれば、一週間ぐらいなら城に居座れないこともなかった。お題目としては花嫁修業だとか、その辺だろう。相手をすればひとまず満足して帰る、だから相手をするのだ。


「後釜狙いも、あそこまで行くと露骨でドン引きだよねぇ……」

 とはいえ、と書類を机を使ってトントンと揃え、エルディクスは続ける。

「ハッカに変なことをされても困るしね。噂とはいえ、いろいろあるし」

「……まぁ、な」

 歯切れ悪く答えるリード。

 書類の中には、城下で流れる話についてのまとめもある。

 一応、すべてに目を通しているので、内容はだいたい把握していた。自分にも関わりがあることなのだから当然だし、こういうところから火種が生まれるから見逃すわけにはいかない。


 その中に、一つ気がかりな案件がある。

 この国には固有の宗教というものはなく、リードを含めて国民は世界的に広く信仰されている神を崇めるものが多い。この国でいう神とは基本的に一つで、教会が属するのもそこだ。

 しかしそれ以外にも、小規模な宗教や信仰、教えはある。

 その中には『価値観の違い』というには、少々厄介なものもあった。最近、国内でにわかに信徒を集めている新興宗教がその筆頭として今、リード達の頭を悩ませる種となっている。

 特に名前が無いそれは、一年ほど前から存在を確認されていた。

 それだけなら、そう珍しいことではない。


 問題は、その教義の中に、他では見ない『生贄』に関するものがあることだ。さらには他宗教をすべて『邪教』と呼称して、信者とわかれば威圧的に絡むなど小さな揉め事が絶えない。

 神託は彼らにとって不吉なものであり、それが選んだということで、どうもハッカが生贄として目をつけられてしまっている、という報告が頻繁に上がってきているのだ。

 さすがに城にいれば彼女の身柄は安全なのだが、彼らにとって生贄候補は何もハッカ一人ではない。例えばハッカが育ったあの教会に暮らしている人も、おそらく有力候補だろう。

 エルディクスが部下を使ってそれとなく見張らせているらしいが、いつまでも警戒し続けるわけにもいかない。ハッカと血の繋がった身内ならともかく、そうではないのだから。

 しかし彼らに何か会った場合、ハッカはとても悲しむだろう。


「それを思うと、早く手を打たないとね」

「……わかってる」

 エルディクスの言葉に、リードは深くため息をこぼした。

 ハッカを部屋に押し込んだのは、彼らとの接触を少しでも防ぐためだ。身元などをしっかりと確認して信頼できる相手以外、彼女に近づかないように日課の散歩すらも奪っている。

 彼女にはとても窮屈な思いをさせているのはわかっているが、これは必要なことだった。

 とはいえ、それでも近づこうとする者はいる。


 そのために――リードは、自らを囮に使うことにした。ハッカに近づき、あわよくば何かをしようとするものの大半は彼女に嫉妬する令嬢達。つまり目当てはリードということになる。

 彼女らをリードが引き受け、残りをエルディクスが何とかするのが作戦内容だ。

 例の新興宗教の団体への捜査の手は、だいぶ大詰めを迎えている。彼らが、小さいものが多いとはいえやらかしていたのが幸いした。積み重なった罪状は、騎士団を動かせる量になる。

 誘拐や傷害、小さな教会での乱闘や破壊活動。

 死人こそ出ていないが、若者を中心にしているせいか、やたら乱暴な集団だ。リードからすると大きな事件を起こしていないのが不思議で、もしかするとそれがハッカに関することになるのかという恐れもある。状況は後手に周り気味で、あまりよいものではなかった。

 もっと早く手を打っていれば、そんな後悔が色を増していく。


「……そういや、連中、マツリのことを『神様』だとか言ってたな。異世界からきたこの世界の救済のために来てくださった女神、だったか。あながち間違ってないから恐ろしいよな」

「そしてボクの屋敷に押しかけたりね。返り討ちにして牢獄に叩き込んだけど」

「あの時、もっと踏み込んで全員とっ捕まえておけばな……」

 くそ、とリードは吐き捨てる。

 エルディクスとマツリが暮らす別邸への襲撃は、宗教だとか、そういうのを知らない時期に起きたことだった。なので襲撃者だけが牢獄に押し込まれ、その裏までは探らなかったのだ。

 事件が起きてだいぶ経っているし、今から追加で罪状をということは難しい。

「でもあれから半年ぐらい、やけに静かだったよな。あれだけあっちこっちで小競り合いして鬱陶しかったのに。確かこの報告書にも、なんか変なことが書かれて――おい、エル」

「なんだい?」

「集団のリーダー格数人が、金髪の悪魔に病院送りにされたってあるんだが……まさか」

 リードは恐る恐る、腕を組んで佇んでいるエルディクスを見た。

 彼はどこか演技くさい仕草で、艶やかな金色の髪をかき上げ、笑う。


「ボクのマツリを、集団で手篭めにしようとするから……ちょっとね」


 ――男として使い物にならなくするってのは、ちょっとの範疇なのか?

 リードは思ったが、あえて何も言わないでいた。

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