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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■4.惨劇、襲撃
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マツリとお茶会

 勉強に身が入らない、確かにそうだと思う。

 すぐ目の前にいるマツリに呼ばれても、なかなか気づかないことも多かった。だから思ったよりは疲れていると認識はしていたんだけれども、どうやら疲労は想像以上に積まれていた。


「――ッカ様、ハッカ様?」


 今日もそう。

 何度も呼ばれて、やっと気づく。

 ぱっと顔を上げてきょろきょろと周囲を見回して、まだ勉強を始めてからそう経っていないと気づいた。あぁ、いや、勉強は中断で、今は息抜きにお茶会をしているんだった。

 自分が座っているのは机の椅子ではなくソファーで、目の前には書物の類ではなくお菓子とお茶がずらり。マツリが淹れてくれたお茶の入ったカップからは、ふわりと湯気が昇る。

 今は、休憩中だ。

 部屋にはあたしとマツリの二人だけ。

 歴史を専門としている学者らしい女性教師は、もうここにはいない。

 あぁ、そうだ、今日はおしまいってことになったんだ。正直、何を教わっても覚えられる自信がなかった。右から左へ、左から右へ、聞いたことが通り過ぎるだけに終わりそう。

 おいしそうなお菓子を前にして、あたしの顔はきっと暗い。

 けれど無理してでも笑うべきかなと、そんなことをふわりと考える。


「ハッカ様、お茶、どうぞ」


 微笑むマツリに促されて、あたしはカップに手を伸ばした。

 あたしはそのお茶を飲んで、息を吐き出す。ほぅ、と出て行く空気は暖かくて、少しだけ何かが癒やされるような、よしよしって撫で撫でするみたいな、そんな優しい感じがした。

 泣きそうなくらいに心が穏やかになって、マツリの顔が少し歪む。

 その歪んだ視界で、彼女が心配そうに表情を曇らせるのがわかった。


「ハッカ様、大丈夫ですか?」


 大丈夫かどうか、そう尋ねられたら、全然大丈夫じゃないとしか言えないと思う。こうして自覚しているくらいなのだから、実際はそれ以上に大丈夫じゃない状態なんだなってわかる。

 でも、それをいうとマツリはまた悲しげにするんだろう。

 正直に横に首を振ろうかと思ったけど、あたしはうなづいておいた。

 大丈夫じゃないけど、大丈夫。

 自覚しているから、きっと何とかなると思う。

 勉強はとりあえず進んでいる。よほど専門的な話でもなきゃ、ある程度ならうまく買わせるだけの知識はあるし、大きな夜会でも大丈夫と先生に言われるくらいにダンスも上達した。

 いずれはリードの横に並んで、国内外からお客様を集めた会場で踊るのだろう。

 こことは文化も歴史も違う異国の人と、何か話をすることだってあるだろう。


 しかし――あたしに、そんな日は来るのだろうかと、今は思う。どうやったって数年は付け焼き刃な状態が続くわけだし、そうでなくても生まれは変えられないからいろいろ面倒で。

 だったら、そんなあたしにあれこれ仕込むよりも、生まれも育ちも、ついでに見目もいいどこかの令嬢を囲って、それを実質的な王妃として夜会とかに連れ出していけばいい。

 その方がずっと楽に、違いない。

 名ばかり状態とはいえ、そういう愛人を抱えていい制度は残っているわけだし、他国ではそうやって複数の妃を抱えるのは、わりとよくある普通のことだって本にも書いてあったし。

 そうやって神託以外で都合のいい誰かを、そばにおけばいいじゃない。

 むすっとして菓子をかじったら、マツリが少し笑う。

 拗ねているように見えたのかもしれないけど、そんな可愛げのある状態じゃないよ。


「リードのことが、気になります?」


 問いかけに、あたしは――首を横に振る。勢い良く、ぶんぶんと。

 気にならない、したくない。だから正直に言うなら彼の話題なんてもの、いくら避けられないこととはいえ今は振ってほしくなかった。聞きたくない、名前も何もかも聞きたくない。

 かっかっか、と石版に声を刻む。

『どうでもいい、あんなやつ』

 そう、どうでもいい、あんなの。

 好きなように女の子侍らせてればいいんだ、側近と一緒にね。

 不機嫌さが見て取れる文字を眺めて、マツリは口を開く。

「彼は……彼なりに、いろいろがんばっていますよ」

『頑張った結果が女の子侍らすの? そんながんばりおかしい。いくら名ばかりでも、好きでも何でもなくても、婚約者を軟禁するやつなんか、大嫌い。だから話題にしたくないの』

「……」

 叩きつけるように石版に叫んで、あたしはお茶を一気に飲み干した。


 いろいろがんばっている。


 その結果が『あれ』と、マツリは言いたいのだろうか。

 女をはべらせて、にこやかに交流をすることが。


 ただの女好きじゃないか。エルディクスだってそうじゃないか、悲しげに彼をあの夜、見てたのはマツリじゃないか。なのになんで擁護するの、あたしの非難を悲しげに見ているの。

 彼女の表情を見ていたくなくなって、あたしは目の前の菓子にかぶりつく。

 けれど、あんなに美味しいと日頃思う甘みは、じゃりじゃりするばかりで砂みたい。吐き出すのはいけないから、いつの間にか新しく注がれたお茶で一気に流し込む。

 神様は、さ。

 やっぱりあたしが嫌いなんだろう。

 これから一生一人身か――あの時、死んでしまった方がましだった。あの事故で、みんな一緒に死んでしまえばよかった。シアに逢えないのは悲しいけど、もう会えないなら同じだ。


 ……あぁ、もういいや。

 あたしは砂糖などで汚れた指先を軽く吹くと、しおりを挟んでいた本に手を伸ばし、途中から読み始める。この国の細々した歴史を記した書物で、頭に入らないけれど読むしかない。

 文字を目で追いかければ、余計なことを考えないですむから。

 なのに。


「……ごめんなさい」


 マツリが震える声で、そんなことを言うから。

 あたしは、文字の海に身を投げることができなくなった。

 前に座るマツリは、今にも泣きそうだった。

 ううん、泣いているのかもしれない。

 こういう時、あたしは彼女が同年代だと思い知る。大人びて見えるのは、本当にそう見えているだけであって、実際の彼女はあたしより一つ年上なだけだと思い知ってしまう。

 なのに、彼女は一年もこんな、異質な場所でがんばっている。

 よくわからない夫に振り回されて、あたしみたいな子供の面倒まで見て。

 そう、やっぱりあたしは子供だ。

 こうやって、誰かを追い込んでから自分のガキさに気がつく。


「リードのあれは、わたしのせい」

『どういう、こと?』

「わたし、最初ここに来た頃……その、いじめられたり、いろいろされたから」


 気が緩んだのか、砕けた口調に戻ったマツリは、ぽつぽつと当時のことを語りだす。

 それは、あたしとよく似た状況だった。

 異国からいきなりつれてこられ、なし崩しにエルディクスと結婚したマツリ。そこから来る僻みや妬みは、今のあたしとは比べ物にならないほどで、それは毎日彼女を苦しめていた。

 今も充分されているとあたしは思うけど、今よりもっとひどかったそうだ。

 王子よりは手の届きやすいところにいたぶん、狙っている令嬢も多かったらしい。あのに異国出身の魔術師が掻っ攫ったものだから、当時はもう大騒ぎで親世代も困り果てたという。


 そう、普通なら見て見ぬふりをしそうな親すら困った。

 なにせ我慢と限度を知らないお嬢様だ。どんな手段を持ってしても、そう例えばマツリを殺してでもなんて、物騒なことを当然のように口にしあうくらいだったんだという。それは頭がゆる過ぎはしないかと思うけど、あのルーフィを見てると存在に納得できるから悲しい。

 このままでは大変なことになるのでは、と周囲が重い腰を上げた時だ。

 仲裁として間に入ったのは、元凶であるエルディクス。彼は妻に、一種の罠かと思うくらいに害意むき出しで近づく令嬢方を、自らが丁重に相手をすることでマツリを守った。

 本人はそう言わないけれど、マツリはそう思っているという。


「たぶん、リードは彼と同じことを……していると思うの」

『同じ?』

「ああやって、あなたを守ろうとしている。ここ最近、令嬢の方々がまた城に大挙するようになっているし……だから、もしかしたらを考えて。わたしのような目にあわせないために」

 モノをぶつけられたり、足を引っ掛けられて転ばされそうになったり。

 そういう目に、合わないために。

『だけど』

 と、あたしは声を綴る。

『あたしには、どうしてもそう思えない』

 マツリはエルディクスに愛されているから、そう思えるだけだ。

 あたしは、愛されていると思えない、思わない。マツリは、彼女はまだ、エルディクスに求められてこの国に来たからいい。存在を求められるのは、心の支えになると思う。


 けれどあたしは、成り行きでここにいる。

 神様が気まぐれか何かで選んだから、こんな場所にいる。

 望んだのはエルディクスで、マツリで、あとは神様ってところ。リードは神託も、それが選ぶ花嫁も興味が無い。あたしが嫁ぐ予定である彼は、あたしなんて微塵も望んじゃいない。

 好きでもないし嫌いでもない、あえて言うなら無関心。いくら、ああやって令嬢のご機嫌取りをすることが、あたしを守ることだとしても。それに効果があるとしても、だ。

 本当のところは、何もわからない。

 もしかしたら本気で、あの令嬢達から愛人を選ぶのかもしれないし。

 もう、選んでいるのかもしれないし。

 その人とスムーズに結ばれるため、いろいろやっているのかもしれないし。


 ……なんだろう。

 ものすごく、イライラしてきた。


 あたしが何かの、ダシみたいな扱いだから、かな。そうに違いない。けれどいくら腹が立ったところで、あたしにできる『報復』も『復讐』も無い。そこまでの力も何もない。

 これでもしもあたしが貴族の生まれだったら、振り回してくれたことへの怒りに任せて好き勝手したんだろうけど……いや、やっぱしないかな。そうするあたしは、あたしじゃないし。

 しかしそうなると、この苛立ちの行き先も無いわけで。

 あぁ、これで外に散歩に出られたら、少しは気も晴れるんだけど。


「……じゃあ、出かける?」


 しょんぼりとうつむいていたあたしに、マツリが小さな声で言う。

 そこに浮かんでいるのは、にやり、という感じの無邪気な笑顔。気休めとか冗談とかリップサービスってやつじゃない感じの、いたずらっこみたいな、とても親しみのわく表情だ。

『いいの?』

「実は今日、例の侍女を迎えに行くの。本当はわたし一人で行く予定だったんだけど」

 こっそりとね、と。

 そう言ってマツリは微笑み、空っぽになったカップを手に立ち上がった。

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