知りたくない、知りたくはない
リードと会わない生活は、さらに一週間も続けば慣れてしまった。この部屋から出られないということも、慣れるとそう苦痛ではない。元々、それほど自由な外出でもなかったし。
やることは多いし、正直勉強が忙しくて歩く元気もないくらいだ。
国の歴史なんてほとんど知らないし、庶民からすると知らなくても問題ない。そもそも王様の名前すらちゃんと把握できていないのだから、何から何まで覚えなければいけなくて。
ちゃんとした先生を付け、あたしは今日も書物と文字と乱闘中。
そうして頭を使っていると、余計なことを考えなくて済むから楽だった。
身体は疲れない、けれど頭が疲れるから夜になると眠くなる。そうなるといっそ一人寝というものが快適に思えて、食事をとってお風呂に入って、少し息抜きに本を読んだら眠る。
朝は早く起きてしまうけど、横を見て寂しいと思うことも減った。
カーテンは基本的に閉めっぱなしで、けれどさほど苦痛でもなくなっている。お日様に当たりたいなと思わないでもないけど、そこに追加する不都合を思うと我慢できる程度だ。
しいていうなら、そう。
部屋を変えてほしいなって思うくらい。むしろ、そのほうが何かと円滑に進むんじゃないかなと思うんだけど、何やら忙しそうにしているエルディクスには、まだ言えないままだ。
マツリはそういうのの決定権はないだろうし、ユリシスもそうだろう。
リードは最初からアテにはしてない。
――あんなの、あんなやつ、あたしは大嫌いだし。
部屋から出してもらえない日々でも、変わりなく続く勉強の合間。外からかすかに聞こえるのはきゃあきゃあという、若い娘のはしゃぐ声。あたしの集中を乱す耳障りな声だ。
カーテンは外と部屋を隔て、光も通さない。
しかし、それでも声までは隠してくれないらしい。
その中心にいるのは、紛れも無いあたしの『未来の夫』だった。あれから一度もカーテンを開かないでいるから姿は見ていないけれど、どうせ笑顔と愛想を振りまいているのだろう。
一人ひとりの目を見て、にっこり微笑んで。
自分を見てうっとりする女子を、どんな顔で見てるんだか。
あー、考えたくないムカつくムカつく。
申し訳無さそうにマツリが表情を曇らせるのもムカつく、なんで彼女がそんな顔をしなきゃいけないんだって思うと、とりあえずエルディクス殴りたくなる。あー、ムカつく。
マツリは、エルディクスは、それがリードの仕事だっていう。
城に下心を隠しもしないでやってくる令嬢を、ああしてもてなすのが。
そうやって愛想を振りまくのが、彼の――そしてあたしの仕事になるって。わかってはいるんだ、そういうものなんだって。頭では理解しているし、理由にも納得できている、けど。
だけど、あたしはこう思ってしまう。
仕事だと理解する裏で、じゃあ本当の笑顔はどこで見れるのって。
普通ならそれは家族とか友人とか、そういう心を許せる、ごく一部の人の前でだけ浮かべて見せるものなんだろう。例えばエルディクスとか……今はいない、王様とか、そういう人。
彼らには向けただろう笑顔。
あたしには、決して向けない笑顔。
そこから導き出せるのは、あたしはそういう対象ではないということだ。
つまり、あたしは彼に心を許されてなんていなかったわけだ。妻になるのに、あたしはあの令嬢達と同じようなもの。ううん、あたしは愛想すら向けられないから、それより下かもね。
王妃を望んで、今は愛人辺りを狙っているらしい彼女達よりも。
あたしは、彼から遠いところにいるのかもしれない。
そう思ったらいろいろ、納得してしまった。今までも城に来ていたはずの彼女らを、ここへきて急にもてなすようになったリードの真意も見えた気がした。
あたしは、とうとう本当に象徴というか、傀儡のようなものになるわけだ。
そのために、彼女らから探すことにしたんだろう。
夫に愛されない王妃様。
けれど、それを表情に出せない、出しちゃいけない王妃様。
こうして勉強しているのも、そうなったら無意味かな。それを気づかせないために、勉強させられているのかもな。あぁでも表向きは王妃だから、やっぱ必要なことなんだろうか。
……まぁ、いいよ。愛想笑いなら、これでもそれなりにうまくなった。あたしだってお腹がすくのはとても嫌だと知っているし、みんなが不幸になるのを黙ってみていたくはないし。
あたし一人が笑顔を浮かべることで、すべて丸く収まるならそれでいい。
それで国が平穏なら、その『仕事』をこなしてみせる。
仕事。
仕事だって。
自分で思って、少し悲しくなった。
最初からわかってたことなのに、あたし自身を望まれたわけじゃないってことは。神託があるから孤児のあたしは、こんなところにいる。ここに、こうしていることを許されている。
あたしは、リードの『妻』であればいい。
若い王の傍に添う、神様が選んだ『王妃』であればいい。
愛される必要なんてないし、愛する義務もない。
そういう立場と存在であれば、実態なんてきっとどうでもいいんだろう。
それは……ちゃんとわかっていたことだ。だけどちょっとだけ、絵に描いたような『もしかしたら』が見えてしまって、バカなあたしはホイホイと釣られて、そこに過大な期待を寄せて。
見事裏切られて、このザマ。
これなら最初から、道具のままでいろという態度でいてほしかったな。
中途半端な優しさは、誰も救いはしない。
あたしはそれを知っている。まぁ、でもその『中途半端な優しさ』が、ある意味で専売特許の連中だからね、金持ちとか貴族って言うのは。あたしはちゃんと知っているんだから。
気まぐれに寄付をして、ある日突然ぱったり無くなる。そういう施しだとか寄付だとかが上流階級の『流行』の時はいいけど、それが去った後というものは本当に悲惨なものだ。
集まった寄付でできることは、高が知れている。
額そのものはそこそこにあるけれど、焼け石に水ってやつだ。
せいぜい建物を直して、少しでもいい服を仕入れるぐらい。その服だって着古したものばかりで、仮に新品でもそういい品ではない。そこまでのものを買うだけのお金なんてないんだ。
そうやってその場を改善するだけで、一時的な寄付は全部飛んでいってしまう。
あたしは、定期的に寄付をしてくれるような貴族なんて知らない。その時の気分で中途半端に手を差し伸べて、いい人を演じて、そこで満足して去っていく偽善者しかしらない。
あるいは、見目のいい子を下卑た目で品定めして、連れて行こうとするクズだ。
偽善でもないよりマシと、誰かは言うかもしれないけど。
下心があっても引き取られるのはいいことだとか、言われるかもしれないけど。
やつらのソレは、偽善の皮をかぶった遊びだ。クズはさっさと牢獄にでもはいってしまえばいいんだ。あいつらの『遊び』の影で、いつだって不幸になるのは『あたし達』だった。
だからこそあたしは、そんな『詐欺』みたいなものには、詐欺にも劣る遊びには、絶対に引っかからないつもりだった。そういうものを見抜くだけの目はあると、これでも信じていた。
なのにいざ我が身に降りかかれば、こんなもの。
簡単にだまされて、絆されて、こんなに頭の中をかき乱されてしまう。
もう、カーテンを開こうとは思わない。
外に出ようとも考えない。
見たくない、知りたくも無い。
知らなければ何も考えなくていい。
深く関わったらロクなことにならないと、あたしはやっと学習したのだ。
……とはいえ、あたしはやっぱり『王妃』にならなきゃいけない。自ら望んだものではないとはいえど、この立場からは死ぬまで逃げられない。逃げることも許されていないんだろう。
なので今日も、苛立ちでぐちゃぐちゃになった頭に、いろいろ詰め込んでいく。
覚えるという行為は、そんなに苦手じゃないと思っていた。
でも、今までの経験がほとんど生かせないことを覚えていくのは、結構きつい。
これで心が穏やかだったらいいけど、濁流のごとく乱れているわけで。身が入らないのですねと先生に、憐れむように、慰めるように言われて、今日の予定は全部キャンセル。
急遽、マツリを相手にしたお茶会が始まった。