花園
部屋に戻ったあたしは上着をソファーに投げ出し寝室に引きこもると、そのまま侍女が呼びに来るまでまたベッドの上で丸くなっていた。眠ったというより、うとうとしてた感じだ。
あの夜と同じ、考えるのはリードのこと。
年の割に考え方が冷めてる方だとは思うけれど、あたしだってお年頃の女の子だ。その気が無くても夢は見た。もっと甘い夢を見ていた記憶だって、遠い昔だけどちゃんとあるんだ。
昔々――そんな言葉から始まる、他愛の無い御伽噺のような夢。
たくさん夢を見た。
憧れた。
はじめてはどんな味がするんだろう、とか。
誰が相手なんだろう、とか。
まぁ、まさか相手が王子様だなんて思わなかったけれど。
でも……あんな、驚きばっかりで、何もわからないような初めてになるとも、思わず。
しかもその後のことで、自ら最悪の思い出に変えてしまって、何とかすることもできなくて。今もこうしてベッドの中で丸くなって、向こうが動くのを待つことしかできない。
でも、とあたしは目元を乱暴にぬぐう。
今日がダメでも、明日がある。
明日、またリードに会いにいけるか訊けばいい。
同じ場所にいるのだから、会いにいける距離にいるのだから。
■ □ ■
そして――あれから、一週間経った頃。
あたしの機嫌は、最高に最低だった。
朝、昼、夕、ついでに晩。何度と無くユリシスやマツリに、もうそろそろリードにあえないか尋ねた。昨日なんてエルディクスを呼びつけてまで、半分怒りながら尋ねたほど。
そのたび、今は無理そうという答えが返る。
理由はさまざまあるけれど、大雑把に言えば仕事が忙しいという内容。
確かに彼に回される仕事は多いから、それを片付けないと眠れないだろうし、じゃあ会えないのは仕方ないことだ――なんて、あきらめていたのは最初の三日か四日ぐらいまでだ。
さすがにわかってきた。
彼が、仕事を理由にあたしを避けているのだと。
いくら怒っていようとも怒ろうとも、それを理由にしたらあたしが大人しく、黙って引き下がるとわかってやっているのだろう。わかってやっているのだろうから、余計腹立つ。
王子の仕事が滞れば、それだけ国が乱れてしまう。そのしわ寄せが、おそらく真っ先に向かうであろう世界に大事な人が多いあたしが、それを良しとしないのを知っていて。
さすがに彼らが、勝手に会えないようにしているとは思わない。
仮にそうだったなら、リードのことだから今頃怒っているはずだから。
もし意図しているのなら、それはリードの『命令』。時々忘れそうになるけれど、あくまでも彼らの主はリードであってあたしじゃない。彼が命じているから、彼らはあたしに仕える。
やっぱ、ここは敵だらけだ。
些細なことも叶わない。
しかしこんな心理状態ではまたあたしが癇癪起こすだろうなと、自分でも何となく先が見えているから会えないのは会えないなりに問題はなかったりするけど、もう一つ重要な問題が。
――あたしの外出が、まったく許されなくなってしまったのだ。
あたし一人で使うには少々広い部屋から、一歩も出してもらえなくなって一週間。前は中庭とかに散歩に行かせてもらえたのに、今は窓の外を見ることさえも許してもらえない状態だ。
綺麗な庭などを眺められる窓は、厚いカーテンで覆われて光も通さず。
あたしは、ずっと読書か――趣味として許された、刺繍なんかをやっていた。
それもあって、あたしはだいぶ機嫌が悪い。
なんであれもこれもそれも、ぜーんぶあたしだけが指を咥えることも許されず、じっと我慢しなきゃいけないの。意味がわからない。会えないのはいいとして、監禁はやり過ぎだ。
もうイヤだ、そうだ脱走してしまえ。
ついでにリードのところに殴りこんでやれ。
そう思ってしまったあたしは、きっと絶対許される。
あたしはクローゼットの奥から、一着のワンピースを引っ張り出した。そう、この城で初めて与えられたあの服。これなら余計な装飾もなく、丈の長さもほどほどだから動きやすい。
侍女がいないのを見計らって、ドレスを脱ぎ捨てて着替える。
扉の外には誰かいるだろうから、もっと別の出入り口を探さないといけない。
まぁ、窓しかないけど。窓の鍵は内側からかける簡単なものだから、あたしでちょいちょいっと外してしまえる。さすがにここから抜け出すことは考えてないんだろう。
最近のあたし、そこそこにおとなしかったから。
カーテンをそっと開いて、いざ外へ――と、思った瞬間。
「……」
あたしは、まったく動けなくなった。
この窓の向こうには庭がある。時々散歩していた、とっても綺麗な庭だ。いつも花がたくさん咲いていて、いい匂いとその彩りで五感を楽しませてくれる。城の中で好きな場所の一つ。
そこに、リードの後姿があった。
でも数日振りに見かけた彼に、動けなくなってしまったわけじゃなかった。
彼の周りにいる、『彼女達』の存在が原因だ。
クリスティーヌとルーフィを筆頭とした、十人前後の令嬢集団。リードは、楽しげに笑っている彼女らに囲まれていた。みんな華やかな装いで、リードと実につりあう感じがして。
あたしは思わず、自分の身体を頭の中に浮かべ、彼女らと比べてしまった。
比べるまでもなかった、あたしの貧相さが浮き彫りになる。
いつか聞いた、傀儡にされる名ばかり王妃の話。自分の王妃を疎んで嫌って追い出して、いろんなことが重なった結果、城を大混乱に陥れてたくさん死人を出した大昔の王様の話。
あたしもそうなるんじゃないかって気がして、わずかに身体が震えだす。
でも、でも。
そんなことリードはしないはず。
そうするなら、こんな勉強とかさせないで、どこかに閉じ込めているはずだし。
縋るように思いながら、あたしはその華やかな集団を見ていた。今のあたしじゃ、絶対に勝てない彼女達。唯一勝てるのは神託の有無、礼儀作法だとかは比べるのも相手に失礼だろう。
勝ち負けとかじゃないのは、わかっているけれど。
わかってる、けど。
その時、リードがわずかにこちらを向く。窓からそっちを見ているあたしに気づいたのかと思ったけど、どうやら斜め後ろにいた令嬢に振り向いただけらしい。
リードは優しい笑みを浮かべ、後姿しか見えない令嬢と何かを離していた。
「――」
声が出なかった。
いや、息が出なくなった。
あんな笑顔、あたしは知らない。見たことが無い。いつだってリードはしかめっ面で、不機嫌そうにしているだけで、笑っている姿を見ないことはないんだけれど、あんなじゃない。
絵に描いたような王子様の笑顔に、令嬢達はうっとりと目を細める。あんな笑顔を向けられた人なんか、きっともっと幸せそうにうっとりしているに違いない。
彼は――リードはあたしの旦那様に、なる人なのに。
どうしてあたしは、彼の笑顔すら満足に知らなくて……向けられもしないのか。
あたしは、ずるずるとその場に崩れ落ちた。かたん、と音を立てて床に倒れる石版。その裏面には、リードへの言葉がいくつか記されていた。予め用意した、あたしの言葉。
今となっては、届けるのも腹が立つような――あたしなりの、謝罪と想い。
思わず石版を掴み、床に叩きつけようとして思いとどまる。あんなやつのために、大事なこれに八つ当たりするなんて……あたしは、どうかしていた。
窓の前から移動したあたしは、いつものようにベッドに寝転がる。
さっきの光景を、忘れたいのに思い出してしまう。あぁ、きっと、だからあたしを外に出してくれなくなったんだ、会ってくれないんだ。彼女らから愛人だか何だかを選ぶから。
あたしがいたら選びにくいと思って、また――癇癪をおこすと思って。
謝ろうとか、説明をしようとか。
仲直りしようとか、もうどうでもよくなった。
愛人でも妾でも王妃でも、もう好きに作ればいいんだ。そうだ、あたしは別に彼が誰を選ぼうとも気にしない。だってあたしは、リードのことなんて好きでも何でもないんだから。
リードだってそうだ、そこはお互い様なんだから。
だけどね、それでもあたしは、そこまで割り切れる世界に染まれないから。
『あたしが要らないなら、嫌いなら、もう教会に帰してよ』
受け入れたように見せかけて、こんな風に突き放すのはもうヤだよ。
文字を書いて、消して、叫んで、消して。
叫びたい言葉を思うままに吐き出したあたしは、そのまま眠りに落ちた。