謝り方を知らない
なにやら派手にやりあっているような音がして心配になった直後、険しい顔で部屋を飛び出してきたリードをユリシスは追いかけた。ずんずん、と音を立てるように歩く背を見る。
ユリシスにとって、この王子は真面目だが意固地なところのある面倒な相手だった。
悪い人間ではないのだが、素直さが足りないのだ。
エルディクスほど露骨に素直になれとは言わないのだが、もう少し自分を曲げることを知ってもいいのではないかと、幼い頃から側にいて、ずっとそんなことを思っていた。
しかしそれを教わることもないまま、彼は孤高の位置に立ってしまった。
たった一人で立たねばならなくなった今となっては、そのまっすぐすぎる頑固さは、ある意味で幸いと呼べるのかもしれないが、こと人付き合いに関してはやはり災いだったのだろう。
「手を出したのか?」
「してねーよ」
乱暴に執務室の扉を開けて、中に入る。
ついてきた数人の部下に、外で待つように言ってからユリシスが続いた。
二人っきりの部屋の中、すわり心地がいいらしい椅子に座るでも振り返るでもなく、リードは背中に怒りの一文字をくっきりと浮かべたまま、何を言うこともなく立ち尽くしている。
するべき仕事もないし、寝るのなら隣にある仮眠室に行けばいい。
それをしないでいるのはきっと、眠気すら忘れてしまったのだろうと思う。
ならば。
「……城下、いくか?」
「行くわけねーだろお前バカだろこんな状況で遊びに行けるわけねーだろバカだろお前」
あぁ、でも、とリードはつぶやき。
「一番のバカは俺か……どんな顔であえっつーんだよ、クソ」
うろうろ、うろうろ。
部屋の中を行ったり来たりしながら、リードはぶつぶつとつぶやき続ける。
これは相当根深い問題になりそうだなと、ユリシスはここにいないエルディクスにどう報告しようか考えた。朝一にこの状態を目の当たりにし、リードのあれこれを聞かされる彼には申し訳ないような気もするが、だいぶ強硬に話を転がしてきた弊害なのだから諦めてもらおう。
そもそも、あまりにも早すぎたのだ。
エルディクスや一部貴族が、あまりにも早く話を進めすぎた。
神託を賜るまではよかったのだ。そこまでは、むしろ急いで問題なかった。年齢的にも適齢期に入っているリードは、国内に留まらず他国からも縁談の話がそれなりにきていたし、断りきれない大国から姫を、なんて話が来る前に、この国の中で片付けたい問題だった。
これでリードの両親の、どちらかが存命なら良かったが。
彼一人となっている現状で、他国の、それも断れないような大国からくる花嫁は、少しばかり面倒な相手。この国は中立であることで保たれてきた、属国にされるわけにはいかない。
仮に相手にそんな意思がなくても、その邪推からは逃げられないだろう。
だからこその神託、だからこその花嫁。
問題は、その花嫁と王子を、あまりにも急いでくっつけたことだ。
――我々は、もう少し彼女の心境を考えるべきだった。
いきなり住み慣れた世界を奪われ、こんな場所に閉じ込められて。あれを覚えろ、それを完璧にこなせ、あれはしてはいけない――そう、要求されるばかりの日々は、疲れるだろう。
その日々の中に、もっと二人で過ごす時間を作ればよかった。
エルディクスは彼なりに努力していたようだが、ただ一緒にすればいいわけではないとユリシスは思う。多少の効果はあっただろうが、所詮それは焼け石に水。ないよりはマシなだけ。
そしてとうとう、積み重なった歪が爆発したのだろう。
扉の向こうであったこと、ユリシスは何があったかわかりはしない。
尋ねることもしない、しないが。
今からでも、どうにかならないかとは、思うのだ。
ひとりぼっちのこの王子には、人並みの幸せがせめて与えられるべきだと思う。思いを通わせ合う伴侶を手にして、家族を授かるという、そんな他愛無いものが彼には足りないのだ。
久しく見なくなった無邪気な笑みを、彼女は与えてくれると信じている。
その道を、どうやって繋ぎ、繕えばいいのだろう。
「なぁ」
「どうした」
物思いに耽っていると、ふとリードが声をかけてくる。
視線を向けた先に、泣きそうな顔をした彼が振り返っているのが見えた。うっすらと頬が赤く見えるのは、もしかするとあの少女に何かした結果、横っ面を張り倒されたのだろうか。
「あって間もないやつにあんなことするほど、俺って軽率で女好きだっけ」
あんなこと、の意味はわからない。しかし横っ面を張り倒されるのだから、何かしら女声に対してするべきではないことを言ったかしたかしたのだろう。リードにしては珍しいことだ。
いっそ冷淡なくらい、彼は興味が無い異性には辛辣なところがある。
上っ面の愛想笑いを隠しもせず、さっさと帰れ、を音にせず態度で示す。悪い癖だと周囲はよく苦言を呈するが、本人はまったく気にしていないから、たぶん当分治らないだろう。
そんな彼は、しかし礼儀正しくはあるので平手打ちをされたことはないはずだ。
少なくともユリシスは、今日、初めて見た。
「好きでもないヤツに、あんなことされて……あーあ、完全にへそ曲げられたわ。さっさとお前んとこにいる侍女、こっちによこしてくれよ。そしたらちょっとは、あいつの機嫌も直る」
はず、と続ける声は弱々しい。
これは本格的にまいっているなと、ユリシスは思う。
確かにユリシスが面倒を見ている最中の彼女を、侍女として花嫁――ハッカにつければ、彼女の機嫌はたちまち良くなることだろう。そうするように言ったのがリードだと知れば、それなりにかれを許そうと思ってくれるかもしれない。けれど、それでは根本の解決には遠い。
片付けられた机に座り、あー、と唸りだしたリードの頭をそっと撫でる。
不器用な彼は、大事なことを教わらないまま一人になった。
例えば――そう、気になる異性への接し方。
こればっかりは自分はもちろん、きっとエルディクスも役には立たない。ユリシスは婚約者もいない独り身であるし、エルディクスにはマツリという妻がいるにはいるのだが。
あぁ、とユリシスはそこまで考えて、改めて気づく。
マツリは、悲しいくらいに、エルディクスに怒りを見せないな、と。