紹介
「……そろそろいいか」
ふと、リードが小さくつぶやく。
何かあったのかと様子をうかがうあたしの、手を、彼はとった。
え、何、とうろたえそうになるのを、彼の真剣な瞳が押しとどめていく。あれは、かなり真面目な目だった。何かするんだろう、王子として、未来の王として、なにか重要なことを。
こういう時、あたしは静かに彼の横にいればいいらしい。
まぁ、横にいる以外にできることはないんだけど。
立ち上がったリードに、導かれるようにして広間の中心へ。
「そろそろ紹介しておこうと思う」
真面目な声を合図に、演奏もざわめきも、ぴたりと止まった。
ほぼ全員の視線があたしとリードに向かっている。
紹介、という言葉で、この夜会があたしのお披露目だったことを思い出す。ただ飲んだり踊ったり話をしたりするだけの場所じゃなかった、そうだった。緊張で忘れかけてた。
「ここにいる彼女が、神託により選ばれた我が花嫁――ハッカ・ロージエ嬢だ」
握られた手はそのままに、あいた方の手で、あたしはドレスのすそを少し摘み上げる。
そのままゆっくりとひざをまげて、教わったとおりに礼をした。
視線が、ものすごく怖い。間違ってはないはずなんだけど、まるであら探しされてるかのようで笑顔が引きつりそう。だけど、ここで逃げ出すなんてことはできないし、ダメだし。
踏みとどまって、顔を上げて、にっこりと笑って見せた。
「彼女が、不幸な事故で家族を失い、教会に引き取られていた孤児であることは、もう知られていると思う。その事故のせいで、声すらも奪われてしまっていることも、周知だろう」
ぱっと、視線が喉元に集まる気配がした。
そういえば孤児であることばかり言われたけれど、喉のこと、声のことはあまり聞かされることはなかったな。身分ばかり先行して広まって、声のことは置き去りだったのだろうか。
まぁ、一番目につきやすく、そして叩きがいのあるのは身分だし。
「彼女はまだ王妃となる道の半ば、どうか暖かく見守っていただきたい」
王妃、のところを少し強調するようにリードは言う。
ぎゅっと握られた手に、頬がまた熱くなるような感じがした。あぁ、もう、上げたいのか下げたいのかおだてたいのか褒め殺したいのか、それとも期待という言葉で脅したいのか。
緊張すら飛んで行く羞恥などで、あたしはもう限界だった。
……あぁ、でも絶対に認めたりはしない。
盗み見るように見上げた『王子様』してるリードの顔が、めちゃくちゃかっこよく見えたりしてしまったことは。そんなの、絶対に疲れからくる幻覚で気のせいなんだから。
■ □ ■
あたしの紹介などが、するっと滞り無く終わり。
そのまま、リードに手を引かれ、またあのソファーまで移動する。
いつの間にか止まっていた音楽は再開され、人々は踊ったり話をしたりし始めていた。
そういえば、踊らなきゃいけないけど……とても、そんな気分じゃない。あんなに必死に、何度も何度も繰り返して覚えて、先生に合格を言われたステップを、一つも思い出せなかった。
何だか、ほとんど動いていないのに、ものすごく疲れた気がする。
それが表情に出てしまっていたのだろう。
「疲れたか?」
ふと向けられた問いかけに、あたしは少し迷ってうなづいた。
もう嘘をつくだとかごまかすだとか、そういう余裕もない。今すぐ寝ていいですよっていわれたら多分眠れるし、ちゃんと笑顔を浮かべていられる余力もないから、帰りたい。
どこでもいい、気を緩められる場所に帰りたい。
そうか、とリードは呟き、あたしにソファーに座って待つように言った。
彼はさっきまで話していた老夫婦を伴い、あたしの前にやってくる。
二人とも身なりがすごく品のいい、穏やかそうな人だった。あたしがイメージする、おじいちゃんとおばあちゃんそのもの、って感じだ。ふたりとも、優しい顔であたしを見ている。
男性の方は元々騎士か何かだったのか、身体つきがとてもがっしりしている。背丈も首が痛いくらい見上げなきゃいけない感じで、リードよりもたくましい感じだ。
隣にいる女性は、こんなおばあさんになりたいなって思うような穏やかそうな人。シスターが年をとったらこんな感じになるのかな、って思う。雰囲気が、何となく近いように思う。
「ハッカ、こちらは母上の両親……俺の祖父母だ」
「はじめましてお嬢さん」
にっこり、と女性が笑う。
一瞬、何を言われたかわからず、あたしの動きは遅れた。リードの祖父母、リードのおかあさんのご両親。つまりリードにとっては、直接地の繋がった数少ない身内の一人と一人。
驚き、慌てて立ち上がるあたしの手を、リードのおばあさんは握った。
優しい暖かさのある手だった。こうして近くでよく見れば、確かにあの肖像画にあったリードのお母さんと、目の前で微笑んでいる二人は似ている。親子だから当たり前ではあるけど。
でも、やっぱり親子って似るんだなってことを、改めて感じた。
頭の中はそんなことを思う程度には冷静で、でも身体は追いついてくれなくて。
突然の紹介に、あたしは話に首を振るぐらいしかできなかった。きっと声が出ても、何も言うことはできなかったと思う。こんな状況で、気の利いたことが言えるようなセンスはない。
そんなあたしをおばあさんから離して、リードはいつもより穏やかな声で言う。
「本当はちゃんと席を設けて話をしたいけど、ハッカが疲れたらしいからもう戻ります。あまり慣れていない場所ですから、彼女も疲れてしまったようですし……すみません」
「いや、いい。あれも王妃になって最初の夜会では、何かと気疲れしていたからな。貴族の娘でさえそうなのだ、神託を背負った庶民ともなると……リード、彼女を支えるようにな」
「もちろんです、お祖父様」
「いずれ、我が家にでもお越しなさい」
「お茶を用意して、待っていますわ」
「はいお祖母様。もう少し状況が落ち着いたら、必ず」
祖父母と話をしているリードの、その表情はとても穏やかだ。普段の姿はどこにいったんだってくらい別物。だけど猫をかぶっている感じはしない、これも彼の素なんだろうか。
「それでは、またあとで」
行こう、と声をかけてくるリードにつられて一礼。
そのまま彼は、あたしの手を引いて出入口である扉の方へ向かう。その両脇に控えていた兵士が扉を開くまでの少しの間に、リードは会場の中にいるエルディクスに視線を向けた。
こっちを見た彼が小さくうなづくのを見て、リードは会場を後にする。
たぶん、あたしを連れて先に出るということを、目で伝えたんだと思う。そういうところを見るとふたりとも、なんか凄いんだなって思う。そういえば普段も、会話なしに意思疎通してるところを何度かみかけたっけ。まるであたしとシアみたいだな、ってふと思った。
……あぁ、こうして何度、あたしは彼女を恋しく思うんだろう。
「大丈夫か?」
廊下を歩いている途中で、問いかけられる。
よほど疲れた顔をしてたのか、彼が心配そうにこっちを見ていた。
「悪かったな、マツリがあれで結構普通だったからさ……」
リード曰く、あたしと同じく故郷では庶民生まれのはずの彼女は、夜会でとても立派に立ち振る舞ったそうだ。物怖じせずに貴族に応対し、その姿はまるで生粋の貴族令嬢のよう。
おかげで彼女を見下していた令嬢は、唖然としたらしい。
それどころか、あんな風になれと言われた令嬢も多数いたとかいないとか。
社交界ですっかり株を上げたマツリをみて、二人の結婚に反対気味だったエルディクスの親類も彼女を認めたとか。ちなみにエルディクスの両親は、普通に賛成していたんだそうだ。
親戚だけがぶつくさいってる感じだったとかで、貴族ってやっぱ面倒だなと思う。
あのエルディクスが、何度も『本当に庶民だったの?』と尋ねたらしい。
それくらい、マツリは立派に、彼の妻としてはじめての夜会を乗り越えた。一方のあたしは途中離脱っていう有り様で、比べられても仕方ないのはわかるけど情けない感じだ。
けれどリードがいいたいのは、どうもそこじゃないらしい。
「マツリがああだったもんだからさ、ああいうとこに慣れていないヤツがどうなるのかさっぱり失念してた。ほんと悪かった、めったにお祖父様もお祖母様も出てこなくて、つい、な」
聞けば、リードのお祖父様はもう家を息子夫婦に譲っていて、郊外にある領地の一つで隠居生活をしているらしい。こういう場所にはもう来なくなって長くて、リードも久しぶりだったんだそうだ。だから真っ先に話をしに言ってたのか、そりゃあ、話もしたいだろうな。
あたしだって今そこに神父様とかシスターがきたら、役目とか投げ出して話しに行くし。
だから、大丈夫。
唇の動きをリードは読めたりはしないだろうけど、笑顔を添えて言った。これなら、大丈夫っていいたいのは伝わるだろうし、そんな謝罪つきで心配されるほどは疲れてはいない。
まったく疲れていない、ってわけじゃないけど。
「そっか……」
ぽむぽむ、と頭を軽く叩くように撫でられた。
あたしやシア、神父様やシスターが子供達にするような行為。
「とりあえず部屋までは侍女に送ってもらえ。俺はすぐに会場に戻るから」
理由は適当に用意しておいてやるよ、と彼は笑って。
数人の侍女が待っている控え室の前で、あたしに背を向けた。