初めての夜会
「リード、ハッカ、そろそろいいかい?」
必死に落ち着かせた直後、タイミングよくエルディクスがやってくる。
貴族よろしく着飾った彼は、いつも以上に美形というか……令嬢の方々が、わっと寄ってきそうな感じがした。既婚だと知っていても、お構いなしに群がられてそうだなと改めて思う。
その後ろにはマツリがいて、彼女も華やかな装いをしていた。
あたしと同じで、腰を絞り上げていないタイプの、ゆったりしたドレス。落ち着いた色合いの青いドレスは、肌の色が白くて髪が黒い彼女にとても良く似合っているように思えた。
どうやらエルディクスに合わせたものらしく、共通した刺繍がいくつかある。
やっぱり夫婦だな、とあたしはぼんやり思っていた。
「よし、いくか」
立ち上がったリードは、あたしに向かって手を差し伸べる。
この手をとって、立ち上がれ……ということ、らしい。せっかく落ち着いたのに、またあたしを混乱させるつもりなのか、悪魔だ。しかしこの手を取らない限り、ダメなんだろうと思う。
マツリを見ると、応援するようににっこりと笑顔を向けられた。
そして、彼女はエルディクスに腰を抱かれるようにして、部屋を出て行ってしまう。見せつけるようなそのいちゃつきっぷりに、少し前に感じたあれこれは錯覚かなと思ってしまう。
まぁ、普通に考えて奥さんを道具扱いはないだろう。
ましてやマツリは貴族でもないのだし、大事で大好きだから結婚したに違いない。
再び二人っきりになって、あたしは意を決してリードの手をとった。
軽く握り返され、引かれるままに部屋を出て廊下を進む。
どうやら、このまま会場に入るらしい。
恥ずかしいから離れたいけど、そうもいかないのはわかっている。
それはもうじき結婚する関係というのもあるけど、神託が下ったあの日、あたしが人目も気にせず走って逃げて逃げて、逃げまくったのがちょっとだけ面倒事の種なんだそうだ。
そりゃ、これだけ目立つ容姿のあたしが騎士団に追いかけられていたら、それを見かけた人は誰だって目を向けるだろうし、しかも神託の結果ともなればそれなりに覚えもするだろう。
逃げ回ったというのは、よろしくない邪推を呼ぶ。
神託とはいえ、まだ若い娘を強引に連れ去ったのではないか――とか。
あれは神託ではなく、神託のような効果をもたらす魔術だったのではないか――とか。
それらしい身なりと年齢で、何があっても問題にならない存在。使い用によっては実に便利な道具であるあたしを利用するために、それらしい演出をしつつ『誘拐』したのではないか。
そんな『邪推』を、半分冗談で口にする人も、いるという。
まぁ、全部が全部間違っていないので、若干面倒くさい話だった。実際あたしは、有無を言わさず浚われたわけだし、見た目の特異さを利用していないとは言わせないし言えないし。
だからこそ、この夜会では仲睦まじい姿を見せなければいけない。
少し前を歩く夫婦のように、と思ったけど。
「警備は予定通りです、怪しいものは入っていません」
「了解。ま、後はなるようになるか」
あたし達の前を歩くエルディクスとマツリは、何やら小声で会話をしているようだ。
その表情から、おそらく『仕事』なんだろうな、と思う。
こんな時、こんな格好でも、二人は仕事から離れることはできないらしい。部屋を出る時寄り添っていたから、せっかくリードと仲よさげにする参考にしようと思ったのに。
あたしはあの瞬間の二人を、何とか思い出そうとする。
あの時、マツリはエルディクスにされるままというか、彼に抱かれるままでいた。
抱き返すと言うことは無いけど、抵抗もしない。
つまりそうすればいいのだろうけど、それ以外がないのが不安だった。こんなことなら事前にあれこれ聞いておけばよかった気がする、マツリは恥ずかしがりそうだけど……。
そうこう考えるうちに、あたし達の前に豪華な扉が迫っていた。
この向こうが、あたしにとっての『戦場』。
開けるよ、とエルディクスが言う。
リードがうなずき、あたしの手を軽く握ってきた。
音も無く大きな扉が、ゆっくりと向こう側へと開いていく。
扉が開いた瞬間、ふわり、と香るのは一瞬顔をしかめそうになるような、やたらと甘ったるい感じのする変な香りだった。顔に出なかったのは、それなりに成長した証だろうか。
たぶんこれは元々はいい香りのする香水なんだろうけど、複数の香りが配合だとかそういうものを考えずぐっちゃぐちゃに混ざり合っているせいでとてもひどいことになっている。
その原因は、すぐに分かった。
ぎろり、とあたしに向けられる視線は、同年代の女子のもの。
リード狙いだと思われる令嬢が、わんさかとそこに待ち構えていた。
一瞬、鋭さを持ってあたしに向いた視線はすぐさま横のリードに向けられ、ぶった切るぞと言わんばかりの瞳はとろんと優しくとろけている。以降、隣のあたしは完全に無視された。
まぁ、気持ちは分からないでもない。
今のリードはまさに王子様、目も行くしとろんともなるだろう。
しかし、どんな視線を向けられるのかと内心で恐れていたあたしからすると、これはこれであまり落ち着かないと言うか、何と言うか。喜ばしいのに妙な気分で、複雑な心境だ。
あたしは不思議な世界に、リードについて一歩足を踏み入れる。
エルディクスとマツリはもう、あたし達の前にはいない。
彼らもまた招待客なのだそうで、すでにそれぞれの知り合いなどのところに向かったのだろうと思う。ここは城の中だし警備は万全、招かれたのも大丈夫な貴族だけなのだろうし。
「行くぞ」
くい、と繋いだ手を引かれ、あたしはリードが向かう方へ歩く。
てくてく、と歩みを進める中で、聞こえたのはヒソヒソとした声だ。
扇などで口元をそっと隠したご婦人方や、背中を向け気味にしつつも視線だけはしっかり向ける男性が、ぼそぼそもごもご、とせわしなく口を動かしているのが見える。
「あれが……」
「神託の、なのかしらね」
「不思議なお色をした御髪ですこと」
「まさに神の……」
隠れない囁きを聞きながら、あたし達は会場のある場所へ向かう。他よりずいぶん豪華な飾り付けをされた一角が、どうやらあたし達の『居場所』らしい。ずっと立ってなきゃいけないのかと思ったけど、見ればあちこちに椅子やテーブル、ソファーなんかが置いてある。
そういうところで談笑している人も、ちらほらと目に入った。
そういえば『舞踏会』ではないのだから、ずっと踊ってなきゃいけないわけでもないか。
リードに薦められるままソファーに腰掛け、あたしは小さく息を吐き出した。
しばらく待ってろ、と言い残して、彼はどこかに向かってしまう。いや、こんなところにあたしを置き去りにされたら困る。しかしリードはさっさとあたしを置いて行ってしまった。
むぅ、と不機嫌を思わず顔に出しかけ、必死に隠す。
きれいな顔で、優しい目で、すん、とすました感じでいなきゃいけない。
座り方を教わったとおりにして、それから広間に視線を向けた。
人々はもうあたし達、というかあたしにはその意識を向けていない。ちらほら見ている人がいないわけではないのだろうけど、みんな思い思いに踊ったり話したりしている感じだ。
主役になっているのは、あたしを置いて初老の夫婦に話しかけに向かったリード。
そして、着飾った女性達に囲まれているエルディクス。
……マツリは、あたしから少し離れた壁際で、静かに会場を見つめている。座ることもしないまま、影みたいにぼんやりと。その目は、姿は、とても遠い場所にいるように見えた。
その姿を見ると、どうしてもあたしは教わった顔を保てない。
女性に囲まれ笑顔を浮かべる、彼女の夫への怒りがふつふつと湧き上がる。
いくらこういう場所に顔を見せるようになって一年くらい経っているとはいえ、マツリがこの場所に慣れていないのはあたしだってわかる。慣れていたら談笑相手くらいいるはずだ。
一人で立っているのは、つまりそういうことなんだ。
なのに、どうしてエルディクスは彼女を一人にするんだろう。女の子に囲まれて、デレデレ優しい顔をして愛想振りまいて、大事な奥さんはほったらかしとか何考えてるんだろう。
せっかくだし、マツリと一緒にいようと立ち上がりかけたところで。
「これはこれは……魔女殿は今宵もお一人ですかな?」
「お久しぶりです、ディオン・セヴレス様」
マツリに近寄る男の、その名に、あたしは動きを止めた。
だってそれは、気をつけるように言われた貴族の、嫡男の名前だったから。