いざ決戦の夜へ
そして、とうとうやってきた夜会の日。
あたしは朝から、これでもかと徹底的に磨かれていた。
ダンスの最終チェックから始まり、優雅そうに見える歩き方など。
喋り方という要素が使えない分、それ以外を徹底的にたたき上げていく。おかげ様というべきか、それなりに見れるレベルにはなってきたと自負したい。むしろさせてほしい。
足りないのは知ってる、けど今だけは程よく自惚れていたかった。
中身がそれなりに整う一方、当然外側も仕上げていく。
髪は傷んでいたらしい毛先を少し切って整え、いい匂いのするクリームを刷り込み丁寧に手入れをされた。肌なんかも産毛だとかを取り除いて、オイルやら何やらを揉み込んだ。
爪は宝石みたいにぴっかぴか。
そうして積み重ねた成果は、今夜披露されるのだ。
早めの入浴を終え、いつもより念入りにあれこれ揉み込み整える。
いつもより艶やかさを感じる髪は、前髪の一部を後頭部でまとめるいつも通りの形に。ただしつける髪飾りは普段よりずっと豪華で、動きに合わせれ揺れる飾りがたっぷりなものだ。
揃いで作ったという赤い首飾りは、ドレスをより際立たせる。
今夜のために作られたドレスは、膝丈のゆったりしたデザインだった。
無駄肉も無ければ必要な肉もないあたしに、普通のドレスは似合わなかったのだ。特にコルセットで腰を締め上げる、あの手のタイプはさほど締め上がらないので意味がなかったり。
なので腰を締め上げない、ワンピースのようなドレスになっていた。
スカート部分には薄い生地を何層も重ねて、花弁のような広がりを持たせている。
色は白と黒で構成されていて、飾りとして使われているビーズなどは赤。首飾りのもそうだけどただの赤ではなく、うっすらと橙色――リードの色を加えた温かい色味のものだ。
最後にレースでできた幅広のチョーカーを、首にくるくるっと巻きつける。これで多少の曰くがありながらも、見てくれだけはそこはかとなく神秘的っぽく装った花嫁様の完成だ。
後はこの、会場と廊下で繋がる控室から出て行くだけ。
ここにはリードとあたしだけがいて、ふたりとも無言のままだ。まぁ、あたしは喋れないのだから、彼が喋らない限りはどちらも息を吸う音しか発さないわけなのだけれども。
仮にあたしが喋れたとしても、たぶん何も言わなかった。
部屋の内装や、窓の向こうを見るだけでいっぱいいっぱいだったに違いない。
中庭がよく見えるこの部屋は、シンプルな作りをしている。部屋の中央に三人ほどが座れそうなソファーが二つあり、向かい合わせに配置されたその間に低いテーブルがあるだけだ。
そのテーブルにはちょっとつまめるお菓子や軽食、冷たそうな飲み物なんかが二人分ほど並んでいるけど、あたしも彼も手にしない。緊張でとてもじゃないけど、何も要らない気分だ。
リードはずっと、窓から外を眺めていた。
この部屋には先に入っていて、ずっとあたしを見ないままでいる。
まぁ、未だに衣装に『着られている』感が強いから、じろじろ見られても困るけど。マツリだとかは似合う似合うと言ってくれたけど、そう思いたいんだけど……なかなか自信がない。
今も、ソファーに座ってからずっと何事もありませんように、と祈るだけだ。
すでに胃の辺りが、かすかにキリキリと傷んでいる。
一刻も早くするべきことを終えて、楽になりたかった。
そんな思いを裏切るように、あたし達の出番はまだ来ない。もう結構な時間が経っているはずなんだけど、どうしたんだろう。……主役は遅れて、ってことなんだろうか。
夜会はすでに始まっていて、賑やかそうな音がかすかに聞こえてくる。聞き覚えのあるこの演奏はたしか、ダンスに使うものだ。それが聞こえるということは、あたし達の出番はもう訪れてもいいはずなのに、まるで焦らすかのようにあたしと彼はずっとここで待たされている。
途中、様子を見に来たマツリが言うには、いつになく人が多いらしい。
それでいろいろ見直す必要性が出て、しばらく時間がかかる……とのことだ。見直すのは軽微だとか、その辺なんだろうなと思う。一応貴族ばかりが招かれているし、王族も出るし。
何かあっては大変だから、ということなんだろう。
人が多いのは、たぶん『あたし』がいるから。
神が選んだ花嫁を見に来たんだろう。
あるいは、孤児のあたしを笑いに来たってところか。
そこまで考えて、あたしはため息をこぼす。見世物にでもなった気分だ。これから、ずっとそういう気分でいなきゃいけないと思うと、もう何度目かも忘れたけど気が滅入る思いだ。
やっぱりあたし、あの教会でひっそりしていたかったな、とか。
神様なんてやっぱり大嫌いだ、とか。
いろいろ考えては、また気分がスコンと軽い音を立てるように下へと落ちて。
また、ため息を小さく一つ。
「緊張してるのか?」
ふと、近くに来たリードが声をかけてきた。ため息が聞こえてしまったんだろう。
ごまかすだけの余力も惜しくて、こくり、とあたしは素直に頷いた。
緊張しないわけが無い。
だってこの手は空っぽなんだ。あたしはハイかイイエしか、相手に伝えられない状態になっている。石版は部屋に置き去りだった。踊るとなると、手荷物は邪魔になるから。
シアがいたら、そう思う。
彼女ならあたしの声を、ちゃんと拾ってくれるから。
「お前は俺の傍で、黙って笑ってればいい」
そんなことを考えている、あたしの頭をぽんぽんと撫でるリード。
「俺やマツリや、エルが一緒だからな。そもそも王妃とかそういうもんは、人が良さそうににこにこ笑ってればいいんだよ。それでどうにもならないところを、カバーするのが俺だ」
そう、リードはいうけど。
それだけじゃすまないから勉強が大事で、人付き合いのノウハウも大事で。傅かれて豪華な生活を送るだけではいけないから、だからあたしは毎日必死に頑張っているわけで。
甘えなきゃいけない、甘えざるをえない、この現状がたまらなく嫌だ。
「大丈夫だって。手や足を出さなきゃ、お前は……その、なんだ」
言いにくそうにリードは視線をそらす。
ぽりぽり、と頭や頬を指先でかくようにしながら、うー、あー、と迷うようにうめいて。
「……おとなしくしていれば、見目はどこぞのお姫様みたいだから、な」
綺麗だし、と。
そんなことを言って、距離をとった。エルディクスがいたら、逃げた逃げた、と笑いながら囃し立てるに違いないその行動に、あたしはしばらくぽかんとしてしまう。
綺麗って言った。
あたしを。あたしのことを。
あのリードが。
「……」
ほわ、と頬に熱が集まるのがわかる。
きっと赤くなっている。
見られたくないし、気づかれたくも無くて、あたしはうつむいた。
リードが逃げるように距離をとって、あたしの方をみてなくて本当によかった。心の底からそう思いつつ、あたしは彼の言葉を頭の中で繰り返し響かせる。
不意打ち――だった。
容姿について言われることといえば『不気味』だの『薄気味悪い』だの、そんな言葉ばかりだったあたしにとって、見た目を――服装込みとはいえ褒められることは特別なものだ。
そりゃあ、この生活が始まってからは綺麗って言葉はたくさん聞いた。
だけどリードに、未来の旦那様と決まっている相手に言われたのは初めてで、この衝撃のような塊をどう自分の中で処理すればいいのかわからない。処理したことも抱えたこともない。
声がもし失われていなかったら、意味不明なことを喚いたかも。
それくらい、あたしは混乱していた。
だって、そんな言葉、想像も空想も妄想さえもしなかった。
リードが、そんなことを言うなんて……ぜんぜん、考えたことも無かったから。
お、落ち着けあたし。こんな状態じゃ、絶対に失敗する。ダンスで足を踏むのは当然のこと歩くこともままならない感じだ、いけない。練習を全部ムダにすることだけは避けたい。
必死に言い聞かせても、ドキドキと心臓はうるさくて顔は火照ったまま。
こんなのじゃ、とても夜会の会場になんて出られない。
落ち着け、落ち着いて。
ちょっとしたサービスみたいなもの、なんだ。あたしの緊張をほぐそうと、リードなりに言った冗談なんだ。成功どころか大失敗だけど、彼なりにきっと気を使ってくれたんだ。
他意はない。そこに他意はないんだ。
そうに違いない、だから。
だから本気にしちゃいけない。
本気になっちゃ、いけない。
必死に呼吸を整え、目を閉じて頭を空っぽにする。これ以上、余計なことは何も考えないようにして、待ち構えている夜会のことだけ考えて、教わったダンスの振り付けを思い出して。
リードの言葉を、頭の中から叩き出して。
叩き出そうとする過程で直視して、また頬が熱くなって。
……あぁう、リードのバカ。




