少女の願いと諦め
あたし――ハッカ・ロージエが暮らしているのは孤児院だ。それほど大きくはない教会の敷地にあって、親代わりを務めるのはシスターと神父様。それと年長のお兄さんお姉さん。
子供の数は常時十人前後、多くても二十人で、そんなに多いわけではない。
そして、小規模とはいえ裕福でもなく、いつでも家計はキツキツだ。
でも仕方がない、ここは寄付で成り立っている場所。
周囲の施しで、なんとかなっているところ。
だから成人である十八歳になったら、みんなここを出て行く。出て行って、少ないお給金から寄付する。大事な妹や弟のため。それ以外に気まぐれに来る貴族からのお金が、生命線。
あたしは十五歳になった。
もう婚姻が認められる年齢で、あと三年で成人する。
だから、あたしもあと三年経ったら働きにいかなきゃいけない。そのために、料理やお裁縫といった技能を身につけないと。少しでも何かできれば、それだけ道が多くなるのだから。
あぁ、でも。
あたしには無意味なことかもしれない、と思う。
何をできるようになっても、あたしみたいなのは誰も雇ってくれないんじゃないかって。
行き場がない子。そんなもの、珍しいものじゃない。親がいてもいなくても、貧乏でもお金持ちでも、爵位があったって――行き場がない子は、どこにもいくことなんてできないんだ。
だからあたしは、ここからきっと出られない。
ずっとここにいて、いつかシスターと呼ばれるようになるんだろう。子どもたちの姉になり母になり祖母になって、神さまのところに旅立つまで一人。ずっと一人で生きていく。
家族がほしいって、思わなかったわけじゃない。
あったかい家、ふかふかのベッド、お腹いっぱいになれる世界。そして、互いに大事に想い合う伴侶。それはおとぎ話のようにキラキラしていて、憧れないわけがないことで。
だけど、誰かと結婚とか、少しも考えられない。
一人で育てられるとかいう無責任なこと、言えるわけがないし。
うん、やっぱりあたしは一人だ。ずっと一人なんだ。
でもやっぱり、憧れる。お兄さんやお姉さんが、時々奥さんや旦那さんを連れて里帰りする時に。その幸せそうに寄り添う姿に、忘れてはいけないけど忘れたいことを思い出して。
羨ましいけど妬ましくて、でもやっぱり嬉しい。
誰かが言った。
――あんな風に、幸せになりたい!
誰かが笑う。
――そんな都合いいこと、あるはずがない!
どっちも、あたしの頭の中に浮かんだ、ずいぶんと幼い声。
幸せになりたいけど、なれない。
なれる気がしない。
そんな歪な願いと諦めを抱え、あたしは今日も生きていた。だって、この孤児院は、この世界は、あまりにも残酷だったから。神さまの近くのはずなのに、どうしてか残酷だったから。
名前すら与えられず、捨てられた子がいる。
発見が遅れて、助けられなかった小さな命もある。
迎えに来るよといわれて置き去りにされた、そんな子もいる。
そんなその子が、あたしは、ちょっとだけうらやましい。だって、期待できるだけマシじゃないって、思う。迎えに来てくれるって、思えるだけ。その相手がいるだけで。
誰かが自分を覚えているという、それは祝福のように見えた。
もちろんそんなこと、本人だって信じてない。そこまで『子供』はバカじゃないし、あたしだって本気で羨んでいるわけでもない。ありもしない夢に酔えるほど、子供にはなれない。
少しだけ、そんなことを妄想してしまうだけのこと。
だってあたしは――もしかしたら迎えに来てくれるかもしれない、とか。
今日から一緒に暮らせるよ、と手を引いてここから出してくれる両親、とか。
そんなこと、夢に見ることもしない。
だって、あたしの家族は、あたしの目の前で死んだから。
ここでは珍しい、捨てられたのではなくて親を亡くした子が、あたし。あたしの親は、いいや家族はあたしの目の前で死んだ。死んでしまった。あたしだけが、助けられてしまった。
あたしは親を亡くし、それから捨てられた子。
生きている身内がいるのに、彼らに死体と一緒に捨てられた子。
誰にも――引き取ってもらえなかった、かわいそうな子。
あたしはそうは思わないけど、周囲は時々、そんな目であたしを見ていた。そんな目をたくさんたくさん向けられる、心底嫌になって叫びたくなるような最悪な夢を見ていた。
慣れたよ、慣れたって笑いたいよ。
だけど無理だから、ひたすら悪夢の中で耐えた。
■ □ ■
ぱちり、と目を開けると――目の前は、真っ白。
それはあたしの身体を支えるベッドにかけられた、毎日洗濯しているシーツの海。ぼんやりとした意識をかき集め、あたしは二度寝の誘惑に今日も勝利した。
というか、やっと浮上した意識を手放したら、また嫌な夢を見てしまいそうで。
だから起きるしか無い、という現実。
ゆっくりと身体を起こす。白いけどゴワゴワしたシーツに、丸みのある細い影が走っているのが見えた。あれは、あたしの髪がつくったもの。シーツよりも白く光る、あたしの髪。
無駄に白い、真っ白な。
長い長い、あたしの髪の毛。
それが起き上がろうとするあたしの、視界を垂れ下がることで隠している。
切るのが面倒だったからずっと伸ばしっぱなしで、前髪もそれ以外も引きずりそうなほど長くなってしまった。たぶん、ここの子の誰よりも長いだろう、と自負している。
ここまで来ると余計に切ってしまうのが面倒で、それに下の子が綺麗だと喜ぶから悪い気もしないし。髪を洗うのはいつも水でごしごしするだけだから、長くてもさほど影響はない。
普段は前髪を真ん中で分けて、そのまま。
時々、適当に頭の後ろで一つにまとめて結うぐらい。だいたい、差し入れられてもあまり選ばれない黒い髪留め何かを使って。お陰でかわいいものは他の子に行くし、ちょうどいい。
色素が人と比べてとても薄い髪というのは珍しくないけど、ここまで真っ白いものは神父様も見たことがないという。お年寄りの白髪とも違う、と言われるけど違いはわからないな。
雪のような、白い髪。
お父さんともお母さんとも違った、あたしだけの特別な色。
瞳の色は二人と同じ、ちょっと色素が抜けた灰色。
肌の色はお母さんと同じで、日焼け知らずの色白仕様。
ほんと、髪の色だけが……二人の誰とも似ていない、変な子があたしだった。生まれて間もなかった弟は、うっすらとだけどお母さんと同じ髪の色が生えていたのに。
やっぱりあたしは、拾い子、だったのかな。
あたしを愛してくれたお父さんやお母さんとは、何の血の繋がりもない……。
そこまで考え、あたしはフルフルと頭を左右に揺らす。
思い出さなくていいことを、追い出すため。
言いたい人には言わせればいいと、自分でそう決めたことじゃないか。見た目がどうあれあたしはあの二人の子供で、あのかわいい赤ちゃんのおねえちゃん。それが真実だ。
あたしは何も変わらない、人の言葉で揺らがない。
二人がそう思ってくれたなら、あたしは二人の――ロージエ夫妻の子供だったんだ。
「……」
ぺたん、とベッドに座ったまま、あたしは窓の向こうを見た。
町並みの向こう側に、太陽が登っているのがわかる。少し眩しいその方角をみて、あたしはお父さんお母さんにおはようを告げた。それから、小さかった大好きな弟にも。
おはよう、あたしは今日も、何とかがんばって生きています。