華やかさの裏側は
リードの婚約者になって一ヶ月。
あたしは日々、王妃としてふさわしい教養を身につけるべく、勉学に励んでいた。
婚約者になる前から始まっていたけど、なってからはいっそうハード。
今まではある程度手が減されていたんだな、とあたしは思う。覚えることが多すぎて、頭がそろそろ許容できなくなりそうだ。知識もそうだけど、肉体的な方もあるから。
何でも、もうじき行われる夜会で、婚約者として『お披露目』される。
……らしい。説明はされたのだけれども、あいにく未経験にも程がある世界の話で、こんなかんじと絵画を参考資料に出されても、あたしにはいまいちイメージができない。
華やかなんだろうな、ぐらいで止まる。
一応、絵画でなんとなく雰囲気はわかったような、わからないような。
しかしそんなことを言っている余裕などなく、あたしは今日も動き回っていた。
いち、に、いち、に――という声が、鏡の多い部屋の中に響く。
その音にあわせて、あたしは前に後ろに、右に左に。ここ数日の間に、何度も何度も教わった通りに足を運んで、練習用の軽くて丈の短いドレスのすそを、ひらりと揺らした。
慣れない動きに身体が悲鳴を上げそうだけど、そんなことは許されない。
くるりと回って、一歩後ろへ。
手拍子に合わせて数泊おいてから、もう一度前へ。
右へ左へ、足がもつれそうになりながら、あたしはひたすら踊っていた。
ゆったりとした音色は、マツリが魔術を使って奏でている。事前に『専用の魔石』とやらに録音したものを、彼女が再生しているそうだ。なお、実際は生演奏なんだとか、怖い。
生の演奏より音は多少劣化するそうだが、練習に使うには充分らしい。
まぁ、それにあたしには聞きなれない音楽だから、劣化すらわからないけれど。
でも少しだけ、何だかパリパリしたような感じはする。耳障りというか、何というか、もう少し綺麗な音にならないかなって感じだ。これが『劣化』というモノなんだろうか。
でも、あたしからするとこれでも充分な気もする。
綺麗になればとは思うけれど、日常で聞くならこの程度でもいいかなって。
これで劣化というなら、本物はどんな音なんだろう……。
そんなことを思いながら、あたしは腕を振るい、斜め後ろへと下がって。
「姫様、もう少し動きを控えめに。優雅でなければいけません」
ダンスの先生から飛んでくる容赦の無いダメ出しに、ぐっと歯を食いしばって耐えた。ちゃんとやってるもんとか、そんな可愛げのある反論は言えないし言わないし、今更だ。
というか、普通に注意されるのが恥ずかしい時期になっている。
情けないことに、今練習中のダンス――というか曲は、かなり簡単なもの。
素人のあたしでもわかるくらい、ゆったりとしたものだった。
なのにあたしは、ついていくので精一杯。今日が初めてというならまだ慰めになるが、この曲に数日かけてこの有り様。注意されない日はないし、褒められた日もなかった。
疲れてくると身振り手振りも乱暴になって、さっきみたいに注意が飛ぶ。
こんなのを、貴族令嬢は毎日やっているのかと思うと、気が遠くなりそうだった。毎日しているわけではないと思うけど、当たり前のようにこういうレッスンをしているならすごい。
何度か見かけた彼女らの細さが、なんとなく理解できたかもしれない。
そりゃあ、こんなのを頻繁していれば誰だって細くなる。ダンスレッスンが始まって結構な時間が経ったけれど、あたしも細くなりそうだ。コルセット要らずな程度に元から細いけど。
きっと、そのせいなんだ。
ある一部分のふくらみが絶望的に足りないのは。
……いや、今はそれはどうでもいい。
疲れた身体に鞭を振るうように、あたしはもう一度最初から、音楽に合わせて踊る。実際の夜会では休憩もまともに取れないかもしれない、と脅されるような説明をされた。主催の側にいるからこそ、率先して踊ったりなんかしなきゃいけないらしい。
だから、ここでへこたれている場合ではない。
教わったとおりに腕を高く、脚さばきは流れるような優雅で。
それを数回繰り返し、外がうっすら橙色に染まった頃。
「今日はこれくらいにしましょう」
ようやく、今日のレッスンの終了が告げられた。
その瞬間に、あたしは床に崩れ落ちる。
毎回、慣れたと思いながらも、終わればこの有様。進歩したことといえば、崩れ落ちてからの復活時間が短くなったこと、それと息切れしにくくなってきたこと。体力ついたかな。
あと、先生からの指導もあまり入らなくなった。
ミスが減った、ということだと思う。
もっとも、その分より洗練されたものを要求されるので、やっぱり怒られるわけで。
明日もがんばらないとなぁ、と思っていると。
「あ、わたし、少し用があるので先に行ってもよろしいですか?」
片付けを手伝っていたマツリが、珍しく慌てた様子で自分の荷物をかき集める。資料だか書類高の確認中だったらしく、ばざばざとまとめたそれらを腕に抱え、彼女は立ち上がった。
「すみませんハッカ様。すぐに戻ってくるので、しばらくここで待っていてくださいね」
そして、そのまま走って部屋を出て行ってしまう。
仕方がないからあたしは、先生に貰った水を飲みつつここでしばらく待機だ。
いつも思うけど、マツリはちょっと働きすぎって気がしている。まるであたしの侍女のようにそばについてくれているのに、そこに追加して元々の仕事もこなしているし。
朝は早くからあたしの部屋にいて、身支度を手伝ってくれて。
こういう勉強にも付き合ってくれて。
その合間に何やら難しそうな書類に、次々とサインして。資料なんかも読み込んで。たまに部下っぽい女の人が、追加で書類などを持ってきたり、何かを尋ねにに来ることもあった。
お屋敷には召使がたくさんいて、家のことはしないですんでるんだろう、けど。
やっぱり、働きすぎ。
そもそもあたしが着てるのはそんな面倒なドレスではないから、別に手伝わなくても一人でも着替えできる。頭からすぽっとかぶって、ちょっと髪を整えたらそれで終わるもの。
リードもマツリを案じて、何度か休息するように言っている姿を見ている。
エルディクスが言っても聞かなくて、もう完全にお手上げだ。
まるで、働けないマツリは『ダメ』って、思っているみたいに見える。働き続けないと死んでしまうみたいだ。そんなことないのになと思うけど、たぶん実際に言ってもダメだろう。
だって、リードやエルディクスが言ってもダメなんだから。
それにしても――マツリ、遅いな。
息も整って、水分も身体に行き渡ったというのに、彼女が戻らない。勝手に出歩くといろんな人に迷惑になって、最終的に彼女が怒られてしまうから、あたしはここでじっと待機だ。
石版を抱え、まだかなぁ、と思いながら窓の外を見ていると。
「あーら、マツリ様。エルディクス様のお傍にいなくてもいいのかしらーぁ?」
そんな声が、そう遠くない場所から聞こえた。
やけに耳に残る高い声で、それだけを聞くとあたしより年下の子供のようだった。けれどねっとりした口調は聞いていてなんとなく不愉快で、嫌な感じがする声だった。
時々、誰かに同意を求める声がするから、おそらく複数。
あたしの頭の中に、一人をよってたかっていじめる集団の姿が浮かぶ。いくら魔術が使えるといっても、それはむやみやたらと人様に振りかざしていいものじゃないのは知っている。
だからマツリは、何もできずに耐えているに違いない。
あたしが、彼女を助けなきゃ。
かっかっか、と手早く『マツリのところにいきます』と声を綴る。侍女数人が少し驚いたような顔をしたけれど、同意を得る前にあたしは荷物を抱えて部屋を出た。
後ろから追いかけてくる声と足音を感じながら、走る。
その間も、あの嫌な声は聞こえていた。