ただの添い寝
婚約者、そういう段階の事実上の夫婦。
ある意味で、何があっても大丈夫というお墨付きを押し付けられた状態。
いつか、エルディクスが見せていた意味深な笑みと言葉に、今更にも思いを馳せたのは夜になってからだった。遅すぎた、そう思う。もっと早く考えておくべきだったのだ。
あたしは、これまで使っていたのとは違う部屋のベッドの上で震える。
おかしいとは、思った。
当然のように違う廊下を進み、当然のように、いつもとは違う方向に向かう。
道を選ぶことにあたしの意思は関係ない。
そもそも、ずっと使っていたあの部屋にすら、たぶんまだ自信を持ってたどり着けると言い切ることはできないと思う。方向音痴ではないけれど、城の中はまだ慣れていないから。
侍女らに囲まれ、案内されるようにたどり着いたのはさらに豪華な部屋だった。
びっくりするくらいに、豪華だった。
元々使っていたあの部屋なんて、比べ物にならないくらい。
あぁ、これが王妃様のお部屋ってやつだと、思えていたのはついさっきまで。
やたら念入りに身支度を整えられ、複数人に囲まれて丁寧に肌を磨かれ、いつも通りに何かをむにむにと揉み込まれて、下処理されてる肉になった気分になりながら寝間着を身につけ。
リード様が来られるまでお待ちください、という。
侍女の言葉にカチーンと石になること、現在進行形。
ここは王妃様のお部屋じゃなかった。
国王夫妻の、部屋だった。
■ □ ■
さて、夫妻が使うということは、このベッドはあたしだけの物ではない。
いずれあたしの夫となる、彼もまたここで眠り、隣で食事をとる。あたしがぺたんと座り込んでいたベッド、今は横たわるふっかふかのベッドも、彼と一緒に使うためのものなのだ。
「おい」
乱暴に話しかけられ、あたしはわずかに身体を振るわせる。
すぐ傍にいるリードの声は、この上なく不機嫌だった。あれからまもなく部屋に入ってきた彼は平然とした様子で、しかしうんともすんとも反応しないあたしを見てイライラしている。
初対面の時の、あの声音に似ているかもしれない。
だけどあたしはきっと、声が出せたとしても何も言えなかったと思う。
この状況で平然としていられるほど、残念なことにあたしはスレてはいなかった。
それなりに耳年増になってはいるだろう。近所のおばさん達の話とかを、たまに聞くこともあったし。その中には当然、まぁ、そういうことに関係する下世話な話もあるわけで……。
他人事だったそれが、急に自分のことのように思えてくる。
無関係だからって、笑えていた日は遠い。
あたしの頭の中は真っ白だ。
だって、だって。
「……おい、もっとこっちに来ないと落ちるぞ」
隣に彼がいるから。
いや、だって、確かに婚約したけど。
名実共にほぼ夫婦、ということでかまわないと思うけど。ここは彼の部屋でもあり、彼の寝室でもあるから、別に横に寝てようが彼の自由というか当然の権利的なものではあるけど。
いきなり同じベッドとか、ちょっと何かがおかしいと思うんですけど!
……などという叫びを、必死に胸の奥へとしまって、隅っこの方で小さくなる。
隅っこも隅っこ。
握りこぶし二つ分しか、端っことの隙間が無い。
ほんの少し身じろげば落ちてしまいそうな場所で、あたしは少し丸くなっていた。
一方、あたしと彼の間にはあと二人ぐらい眠れそうな隙間がある。花嫁にガン無視された上に背を向けられ、作られた隙間で拒絶を示された花婿は――いつの間にか眠っていたようだ。
規則正しい寝息が聞こえている、から。
本当に眠ったのか確かめたいけれど、動くことで起こすのは怖い。
だからあたしは、このまま小さくなって眠るしかなかった。
だけど、いざ眠ろうとすると、彼の息が気になる。
静かな部屋に響く音。
すぐ傍に、誰かがいるという感覚は、確かに慣れてはきた。緊張も感じなくなって、誰かがいるのが当たり前になってきている。誰も居ない方に、少しの違和感を覚えてしまう程度に。
でもそれは明るい時間帯だけで、誰かと寝床を共にするなんて……久しぶりで。
その相手は異性で。
これからずっと一緒にいる、相手で。
そう、あたしはこの人の『花嫁』なんだと、ふと思った。
思ってしまった。
シスターに聞かされた花嫁――妻の『仕事』を、あたしは頭の中に呼び起こす。
十五歳になった、それはこうなる少し前の何でもないはずのとある日。いつものように教会の手伝いなどをしていたあたしとシアは、シスターに呼びつけられてある部屋に着ていた。
そこには近所の同い年の子が集まっていて、なぜか近所のおばさん達もいて。
彼女らに聞かされたのは、これからあたし達が何度か経験する、そういう行為の話。もうそういう年頃だからってことで行われたそれは、言うならば『勉強会』だった。
結婚できる年齢になったから、ちゃんと教えなきゃいけないってことらしい。法律とかで決まっているというよりも、教会の周辺では自然とそういう習わしになったんだそうだ。
中にはもう経験済みの子もいて、まぁ、それはそれでモメたけど……。
ともかく、最初はいちいち真っ赤になって、キャーキャー言ってたあたし達は。
終盤、無言になって話を聞いていた。
最後にシスターは、低く真剣な声で言う。
――あたし達はもう、そういう行為を行える『対象』だと。
だからよく考えて行動しなさい、そう言われた。もう純粋な『子供』ではないと、言われたような気がした。自分の身は自分で守る、そのために知識を手に入れておきなさいと。
でも、それは確かにそうだ。
あたしの年齢になると子供を生むことができる。
そんな身体に、作り変わっている。
子供には子供なんて産めないのだから、つまりあたしはもう子供じゃない。あたしは、育てられるだけの存在ではなく、もう何かを育てることができる存在になってしまった。
それは、すぐそこで寝ている彼も同じこと。
貴族や王族が、ああいう知識をどう手にするのかしらないけど、知らない、ってことはさすがに無いんだろうと思う。彼は王子様なのだから、間違いがあったら大変なわけだし。
ふと、思う。
あたしの貧相な身体に、彼はこう、何か感じてくれるのかと。
男の人は女性の身体にグっとくるもの、らしい。
多くは胸で、あるいは顔で、腰だったり足だったりすることもあるそうだ。とかく、ゆっさゆっさと揺れるほどの胸が大人気なんだと、そんなことを一度聞いたことがある。
しゃべっていたのは近所のおじさんやお兄さんで、まぁ、酔っぱらいだ。
酒場のおねえちゃんがどうのこうのと、大声で盛り上がっていたので嫌でも聞こえてしまっただけの話。だけど、ちょっとした小骨のように、今はあたしに突き刺さってうずいている。
胸、顔、その他の部位。
どれもこれも自信が無いあたしは、不安しかない。
前よりは付いた肉も、胸にはいかず。ひょろりとした足は、細いというよりも貧相。顔もブサイクと罵られるほどではない、だけど美人という程でもない。美人さでいうならエルディクスやユリシスの方がよっぽどそうだと思う。マツリはもちろん美人、いや美少女かな。
そんな美形に囲まれているのが、リードなのだ。
だって、いくら国が乱れるかもしれないと言われたって、ね。
あたしに魅力を感じなかったら、その時はあたし以外がおそばに行くしか、ないんじゃないだろうか。だって王族にとっての『妻』は、子供を生むのが最低限のお仕事なんだろうし。
ましてや今はリードしかいないから、あたしが頑張らなきゃだし。
でもあたしが『ダメ』だったら、あたしにも、神託にも、意味がないじゃない。
不安だ。
ものすごく不安だ。
だって、名実共に婚約者になって――ある意味、何をしても大丈夫な関係になって。こうして一緒にいるのに、二人っきりなのに、夜なのに、彼はあたしに見向き一つしやしなかった。
いや、別に襲われたいってわけじゃない、そういうわけじゃあ、ない。
わけじゃない、けど。
これはこれで何だか……お子様扱いされているようで、気に入らなかった。
リード、と唇を動かす。
音はしない。
喉の奥から息が、少しだけ漏れた。
彼の呼吸に乱れは一つも無くて、つまり彼は完全に眠っているわけで。あたしは急にむなしくなった。恥ずかしい、のとまぜまぜになった感情は、なんとも美味しくない味がする。
あたしがこんなに緊張しているのに、彼は何とも思わないのか。
それは、そうだろう。
ある日いきなりやってきた、望みもしない花嫁だ。
しかも神託という、逃げられない要素とセットになって。
挙句、初対面でアレなのだから、あたしだって好きになれとか大事にしろとかいえない。あたしだって、彼を王子としては認めるけど、彼個人のことはまだ好きとは言い切れない。
好きになれるかもしれない、とは思うけど、それだけだ。
でもちょっとぐらいは反応とかしてくれても、と無茶な注文をしてしまう。
そんなワガママな自分が嫌になる。
あたしはぎゅっと目を閉じて、上掛けを胸の辺りまで引っ張りあげた。どこか毛布に近いふんわりした手触りや厚みのあるそれは、こんなにも暖かいというのにびっくりするほど軽い。
どうやら中にある綿が、特殊なもので、ふわっふわみたいだ。これまで使っていたものもかなりいいヤツだなって思ったけど、さすが国王夫妻のための寝具。あったかくてほっこり。
そんなふわふわにもぞりと埋もれるようにして、あたしはゆっくり目を閉じる。
もうこのまま寝てしまおうって、思ったのに。
「……ったく」
もぞ、と背後でつぶやく声と動く音がして、そのままあたしは引っ張られた。ごろりと為す術なくベッドを転がり、すぐにベッドではないやたら硬いものにぶつかる。
視線を上げると、そこにいたのは呆れた目をした、彼。
あたしは、彼の腕の中に納まってしまっていた。
逃げられないように、背中には彼の腕が回っている。
なんでどうして、と頭の中で叫びながら、あたしはもがこうとした。
だって恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。いくら結婚する予定でも、ついこの前知り合ったばかりの異性同士がこんな風にしていいわけが、ない、はず。そのはずだ。
でも入浴して間もない彼はほんのりとあったかくて、つい引き寄せられてしまう。
慣れない時間で疲れたあたしに、この腕の中は、人肌はあまりにも毒。ほんのりと石鹸のいい香りがするし、これは大変よろしくない環境と言わざるを得ない。
リードは未だ抵抗を示すあたしをぎゅうと抱きしめて、頭を何度か撫でてきた。
コチーン、と身体を固まらせると、ため息が一つ。
「さっさと寝ろ」
位置の関係か、体格の差か。
至近距離で囁かれたその声を最後に、あたしの思考は完全にはじけとんだ。