細い道を歩くように
それにしても、公的な愛人、とはずいぶんと曖昧な存在だなと思う。
王族の地を絶やさないための……悪く言うと、畑のような扱いに等しい。
王妃と違ってチヤホヤされるだけ、華やかな場所に連れ出すアクセサリー、という感じの説明をされたけれど、畑としてもアクセサリーとしても使えなくなったらそこで終わりで。
その程度の人材なら、探せばいくらでもあるわけで。
さらに腹を痛めて産んだ子供は、基本的には王妃の子のスペア。きっと、場合によっては身代わりなんかにも使うことさえ計算に入れているんだろう、と思うと。
そんな生活は、あまりにも屈辱的で、侮辱的で。
あたしみたいな立場でもなければ、耐え難いのではないだろうか。
「どうせ耳に入るだろうから言っておくけれど、君の登場によっていくつかの貴族が、その愛人として娘を差し出そうと躍起になっている。神託の花嫁を蹴落とし、王妃となるために」
そのうち城に来るだろうけど、とめんどくさそうにエルディクスは言う。
城に住み着くように通い詰めて、王――この場合は王子だけど、彼に見初めてもらうのがその目的だ。周囲がどれだけ反対しても、王子が見初めたらそこで勝利確定ってことらしい。
あたしという邪魔な存在は、惚れた弱みを振りかざして王子に処分させるのかな。
まぁ……神託はさほど真剣に考えていない風だった彼だけど、そこまでバカなことはしないだろうと思う。適当に理由を並べて、あたしは一生幽閉の憂き目ってところだろうか。
最悪すぎるが、それ以外は死ぬしかないから困る。
「ほんと、面倒なことなんだけどね。たかが愛人されど貴族。パワーバランスを大きく崩すことはできないし、かと言って血筋が絶えたら本末転倒。ぶっちゃければ、好き好んで王子様になりたい人ってバカなんだなと、ボクはこの立場になってから強く思うようになったよ」
『そうなの? 王子様って、いろいろ好きにできるのに』
「だが神託やら何やらで、見ず知らずの誰かと結婚しなきゃいけない。……相手にもよるし家にもよるけど、貴族の方はまだ身分違いの恋も実りやすいよ。養子縁組とかあるしね」
『ようし、えんぐみ』
「要するに、親類なりの『子供』にして、少しばかり教育を施す。そしてその家の子と結婚しましたってことにする。養子縁組する側にとってもメリットがあってね、血筋こそつながらないけど家は繋がる。後々、それが我が身を助ける綱になるかもしれないものさ」
だけど、王族にそれは通じない、のだという。
そんなものが必要ないのが、王族だから。
「ボクにも多少なりとも王族の血が入ってるし、父も祖父も、曽祖父も、それぞれの王の側近などのポジションを代々務めてきた公爵家でもあるからね。もしリードに何かあったら、王族の位が転がり込んできかねないポジションさ。だからボクは、君に王妃になってもらいたい」
次代の王リードの唯一無二の、たった一人の妻になってもらう。
そう続けて、彼が語ったのは遠い昔の話。
今でこそ形ばかりになった愛人云々の制度は、今ほど医療などが発達していない時代は必要不可欠なこととして、貴族の間でさえ当然のように使われていたものだったという。
その王様には、一人の王妃に五人の愛人。
そして、愛人が産んだ数人の王子や王女がいた。
彼は結婚して何年たっても子供ができない王妃様を疎み、何人目かの王子を愛人の一人が産んでからは、目障りだと言わんばかりに町外れの別邸へと追いだしてしまった。
王妃様にとって悪い材料は子供がいないことに加え、愛人らの方が実家の格や身分が上だったこと。周囲は、さぁ王妃が交代するぞ、と心無い声と下世話な笑いを浮かべたらしい。
そうなったら張り切るのが、王子――男の子を産んだ愛人だ。
王の子供は、王妃を母とするものを再優先にする、という以外に決まりがない。
つまり愛人らの子供のすべてが、王になる資格を有している。同じラインに並んで立っている状態だった。これで張り切らないわけもなく、すぐに血で血を洗うような争いが始まった。
陰謀、暗殺――ありとあらゆる死が、王宮の中で踊る。
タイミングが悪いことに、国境を面する二つの国が争いかけていて、王はその対処、仲裁にてんてこ舞い。とてもじゃないけれど、王妃はもちろん愛人らに意識を向ける余裕など無い。
側近らに嘆願され、諭された王が気づいた時、すべては手遅れになっていた。
五人の愛人のうち二人が死んで、その子供らも死んだ。暗殺と心中と、とにかくいろんな死が彼らを襲った。さらに一人は刺されるなどして重傷を負って、すべてが片付く頃には死んでしまった。彼女の子供は生き残ったけど、遠くの修道院などで一生を過ごすことになった。
生き残った愛人二人は、子供もろとも処刑された。
彼女らは王妃が来る前からその立場にあり、子供らも――だいたい、あたしと変わらないくらいの年齢だったという。だから、子供らも処刑された。彼らも弟や妹を殺したから。
そんな騒動のあと、王には新しい家族ができた。
別邸に押し込んでいた王妃が、子を身ごもったのだ。
愛人らの欲望まみれの争いに疲れた彼は、定期的に王妃を尋ねたという。これまでの事の謝罪はもちろんのこと、望むならすぐにでも離縁するとすらいったそうだ。ないがしろにされ続けてきた王妃は、結局王妃のままだった。王妃のまま、次の王様を産んで、自分より先に死んでしまった夫を見送る妻になった。孫を腕に抱いて、病気らしい病気もしないで亡くなった。
それは、伝えられた『物語』でしかなく、真実はもうわからない。
ここまでドロドロではなかったかもしれないし、もっと悲惨だったのかもしれない。
王妃も、愛ではなく打算で婚姻関係を続け、子供を産んだのかもしれない。あるいはまるで恋愛小説のような事実が、そこには確かに存在していたのかもしれない。
確かなのは、隣国同士の争いが引き起こしたものは、確実にこの国に災いを与えたこと。
王様が他所の国に意識を向けている間、その愛人らは殺しあうし、彼女らの実家もまた駆け引きと策謀と陰謀を巡らせた。国の中は戦争をするか、したか、しかけたかのように荒れた。
この頃から、件の制度は見直しするべきだと言われるようになったという。
「――だからハッカ、君には『王妃』になってもらわなきゃいけない」
それなりに長く重い昔話を語り終えて、エルディクスは真剣な顔をする。
「あの時は賢い部下がいたし、そもそもの原因の争いも、別の大国が乗り込んで黙らせてくれたから早期終結となったからこそ、王妃を含めて全滅だとか、そういう酷いことになる前に片付いた。……ボクから言わせてもらえば、王だろうと殴って現実直視させるところだけどね」
それは、確かに。
「そしてボクならそもそも、王妃を外には出さないよ。そんな保留はさせない。王妃を外に出すという結論が浮かんだ、その場で決断させる。誰を王妃にするのか、誰を家族と呼ぶか」
『決められなかったら?』
「それでも決めさせる。だって、それが『王様』だからね」
王に必要なのは民を思う優しさだけど、それ故に民を害するすべてをねじ伏せる冷酷さ、必要とあればそれを是とする冷静さが必要だと、エルディクスは言う。
国を乱すものならば、それがどこの誰であろうとも容赦なく切り捨てる。
それができなければ国は乱れ、人々は悲しい思いをするだろう。
件の王様はそれをできなかったから、歴史書に残るほどの大騒動を起こしてしまった。結果としては丸く収まったけれど、一歩間違えればどうなっていたか、悪い想像はいくらでも。
そういう場合、もっとも影響を受けるのは庶民。
そして、その中でも貧しい人々だ。他国に逃げるだけの財力もなく、縁もない人々。
孤児――あたしがかつていた立場なんて、真っ先にその影響を受けてしまう。
あたしは孤児院のみんなの顔を思い出した。
シアや、妹のようにかわいがっている女の子達、それから悪盛りの男の子達。
神父様に、シスターに。
みんなが悲しんで苦しんで、死んでしまうかもしれない。
あたしが王妃にならなきゃ――あたしが、ちゃんとした立場にならなきゃ。
「だから、頑張ってね」
と、エルディクスは目を細めて笑った。
……がんばるって、何を?
仲良くなれということなのか、王妃の仕事をがんばれということなのか。仲良くなれるかは向こうの態度次第として、王妃としての仕事は不安しか無い。今のところ神託以外、あたしは身を守る盾がない状態だから、まずは武器なり盾なりになりそうなものを身につけるべきか。
ってことはお勉強という結論だけど、どうもそういう話でもなさそうだ。
だって、それを頑張ることは決定事項なんだから。
そんなニヤニヤされながら、重ねて言われるほどのことじゃない。
いまいちわからず、首をひねっていると。
「愛人云々の話が出たそもそもの原因は、直径の王族がリードしかいないせい。つまり」
にっこり、とすがすがしいまでの笑みを強めて。
「世継ぎが楽しみだね、ってこと」
あたしは一瞬で彼が言った『がんばれ』の意味を、理解してしまう。
あぁ、そうだ。たしかにそれも王妃の『仕事』だ……。だけど、まだ成人もしてないような年齢のあたしになんで、そんな話を直球で降ってくるんだ。最悪だ、嫌がらせだ。
頬を赤くしていると思うあたしに、笑顔でそんなことを言う。
こいつ、悪魔だ。
思わずチョークを投げそうになるあたしだけど、次の言葉で動きを止める。
「君には失礼なことだとは思うけど、ね。それでもこれがボクの仕事だ」
つぶやくエルディクスの表情は、彼が背を向けてしまったので伺えない。立ち上がった彼は窓辺の方へと歩いて行く。逆光のせいで、その輪郭が少しだけ白くぼやけて見えた。
「国を守り、リードを守るためならボクは何でもしよう。それが側近としての矜持だ」
それがどれだけ険しく、細い道でも歩く。そのためなら神託も乞うし、それを最大限に利用していく。神託が選んだ花嫁を得たなら、王に愛人を抱えろとはいえないだろうから、と。
低い声で、真剣な音で、小さくつぶやくエルディクス。
あたしはそんな彼の背を、黙ってみていることしかできない。今までの、ニヤニヤとニコニコは何だったんだと困惑するほど、そこにいたのは紛れもない『大人』だった。
あるいはこれが彼の――エルディクス・ライアードの、本当の姿なのかもしれない。