すべてが敵
「君には、いろいろと教えないといけないからね」
そういって、エルディクスは勝手にあたしを部屋から連れだした。マツリへの伝言を、衣装部屋付きの侍女に伝え、それ以外の侍女であたしを取り囲むような形で。
豪華な廊下を、団体でゾロゾロと進む。
華美な装飾が施された棚が間隔をおいて壁際に設置されていて、その上には大きめの花瓶と大輪の花々。あるいは美しい絵が描かれたランプ。床は赤いカーペットが敷かれている。
壁には大小様々な絵画が飾られていて、風景画があれば人物画もあった。
衣装部屋へ通じる廊下、ということもあって、ここは王族を始めとした『偉い人』が多く通るのだろう。掃除などもさっと見た感じでは徹底されている。例えば花瓶の下には、花弁や花粉といったもの一つ落ちていない。それを誇示するように、花瓶は白布の上に置かれている。
目がクラクラしそうで、あたしは周囲にちらちら向けていた視線を前に戻した。
あたしの少し前を歩く彼は、腕に紙の束を抱えている。
どうも、あれは仕事用の書類らしい。
つまり彼は今、お仕事の真っ最中ということだ。じゃあなんで、あたしなんかを尋ねた上にこうして連れだしているんだろう。王子の側近と聞いているけれど、ヒマなんだろうか。
確かにあたしは、まだまだ勉強が足りない。
でもエルディクスを先生に使うことはないはず。これでも最低限の文字は読めるから、それなりにやさしい書物でも与えてくれれば、自主的に勉強ぐらいはできるのに。
ましてや『教える』ということは、それ相応の時間を費やすということになる。
王子の側近に、そこまでさせるのはさすがに気が引けてきた。
なんといっても、王子が『あれ』なわけだし。
そんな感情が、視線にもこもっていたのだろうか。
振り返ったエルディクスは、小さく笑った。
「あぁ、このことは気にすることはないよ。ボクなりのサービスだから」
にっこり、と笑みが浮かび。
「何も知らないまま、地獄の舞台に立たされるよりはいいでしょ?」
と続ける。
……この男、相当に性格が悪いと改めて思った。
マツリ、異国から来たという魔女。
彼女はこれの、どこを気に入ったんだろう。
■ □ ■
どうぞ、と部屋の中に招かれる。
この辺りは華美さが抑えられた内装で、開かれた扉の向こうも同じだった。モノはいいのだろうなとは思うけど、衣装部屋周辺のような、圧倒されるほどの豪華さは感じられない。
赤で統一してたさっきと違っていて、この辺は青を中心にまとめてられている。
青と、それに組み合わせるのは銀色だ。飾られた棚や花瓶はもちろん、壁掛けの絵画などの数もほとんどない。代わりに窓が多くて光が良く入り、開放感のようなものもある。
廊下に置かれている花瓶なども、装飾を抑えたものばかり。
微かにでこぼこしているのだろう。陰影が、白い陶器に浮かんでいる。
品が良い、とあたしは思った。
どうにもあっちの方は、派手すぎて好みじゃない。
こちらの、控えめな装飾のほうがよっぽど好きになれる。与えられている部屋も、こんな感じの落ち着いた内装にできたらいいのに。金ぴかでじゃらじゃらより、こっちの方がいい。
なんでこうじゃないんだろうと思いつつ、あたしは部屋の中へ。
そこには本棚が押し込まれた、執務室というより書斎のような空間が広がっていた。奥の方の窓際に、扉の方を向いた机。そこにはインクとペンなどの筆記用具一式と、何も書かれていない紙の山。あとは装丁からして難しそうと感じる、分厚い本が数冊、塔をなしている。
部屋の隅には、接客用なのかソファーとテーブルがあった。
あたしは促されるままそこに座って、向かい側にエルディクスが腰掛ける。
……何とも言いにくい、不信感を抱かせる笑みが浮かんでいた。
「ハッカ。君に一つの覚悟をしてほしいんだ」
脅すようで悪いけど、と彼は続けて。
「基本、君の周りはすべて『敵』だと思ってほしい」
敵。
その言葉の重みに、あたしは思わず視線を下に向ける。
「神託は貴重で、尊重すべきもの。それは絶対的な存在というのが教えだ。だけどね、だからといって受け入れられるとは限らない。君とは違う理由で、君のように反発することもある」
『どういうことなの?』
「そのままの意味さ。リードというこの国でも一番の超優良物件は、神託という現象によって売却済みになってしまったからね。それも他国の姫君でも貴族令嬢でもない、君のものだ」
足を組んだエルディクスは、何かに呆れた様子で続けた。
「君さえいなければ、という考えを持つ人は、決して少なくはないよ。貴族の中には君を傀儡にし、貴族令嬢を公の場での王妃に、という動きもある。今はまだ、何のために神託を乞うたのか明らかにしていない。つまり、どうとでも言い繕っての嘘が成り立つわけだ」
『あたしは、それでもかまわないけど』
「個人的に言わせてもらえば、それが国としては混乱なく神託を受け入れられる最善策ではあるんだよ。だけど、そうなるとロクなことにならない。真実を知る貴族からの反対もあるし」
エルディクスは厚みのある本を本棚から引っ張り出すと、ぱらぱらとめくった。
それはどうやら歴史書の類らしく、彼はあたしに語りだす。
彼が言うには、この国の王族では名ばかりというか、百年以上使われていない制度なのだそうだけど、公的な愛人、ともいうべき存在が一応は認められているのだという。
表向きは、王族の血筋を絶やさないための制度で、まぁ、実際は身分違いなどの事情で公に結ばれることが難しい恋人を、王のそばに置くために使われることが多かったらしい。
王位継承権などの権利は基本的に王妃の子に限定され、そこには本来なら他所にお嫁に行く王女も含まれる。たとえ唯一の男児でも、王妃の子供が最優先、という仕組みなのだそうだ。
それが、何かと矢面に立つことになる王妃への、最大限の報酬……なんだとか。
まぁ、他国なりから嫁いできたら夫には相思相愛の恋人がいて、あげくそちらにしか男児が生まれなかったなんてことになったら、屈辱的なのだろうし、揉め事の種になるだろう。
『それなりの生まれでないと、いけないの?』
あたしの問いかけに、そうだね、とエルディクスは答えた。
「まぁ、王に付き添い執務も行うのだから、それなりの知識は必要になる。最低でも……そうだな、文官と話をやりあえるぐらいには、口と頭が回ってくれないと困るね。お綺麗なだけのお人形ぐらいならいいけど、最近の貴族令嬢って浪費家が抱き合わせ販売されてるからね」
面倒なことだよ、とエルディクスは足を組み替え。
「王妃とは、そこらの貴族の夫人とはわけが違う。口元を扇で隠し、目元を細めて笑っていれば成り立つ仕事じゃない。綺麗なドレスに髪飾りをつけ、化粧をして、夜会で踊っていれば住む立場でもない。傅かれたいだけでなると、そのうち物理的に寝首をかかれるだろうね」
物理的に、と言われ少し考える。
気づいた瞬間、背中を撫でるような冷気を感じた。
オトナの世界なんて綺麗なものじゃない、綺麗なものが見えているだけマシだと、孤児院での日々であたしはちゃんとわかっているつもりだった。体験だってした、目にたくさん見た。
だけど、そんなの所詮上澄みだったのだろうと、今は思う。
街の噂に、時々他国の話が上がっていた。
どこかの国の王妃が早くに死んだ、とかいう良くない話題が中心だったけど。
いや、他国に来る話なんて、そういうものなんだろうと思ったけど。そうやって世界に広まる不幸な話の中には、もしかすると『そういう事情』によるものも含まれていたのだろうか。
つまり、お飾りにするわけにもいかないから、もっといいものと取り替える、という。
神託である程度守られるとはいえ、あたしは所詮孤児だ。
真偽不明のそれは、守り、と呼ぶにはあまりにも希薄で脆い。
……こればっかりはこの場ではどうにもならないこと、違う話をしよう。
あたしは声を綴る。
『公的な愛人、という立場の人は何をするの?』
「そう、だな……その国と、その国の文化、そしてその時の状況にもよるけど、基本は世継ぎの控えを生むか、城でおとなしくしているのが仕事かな。愛玩、と言えば聞こえはいいが」
『籠の鳥』
「ま、そういうことだね。ここは――少なくともリードにそれはないけど、国によっては王と呼ばれる存在は絶対的なもので、彼が見初めた女性は未婚だろうと、結婚目前だろうと、はたまた結婚式の真っ最中であろうと、容赦なく『後宮』なる王のための楽園へと囲われるとか」
『ひどい話』
「仕方ないさ、そういう国なんだから。……この国も人のことは言えないしね」
苦笑するようにあたしを見るエルディクス。
あぁ、あたしも同じようなものだと、そういいたいんだろう。
神託という『絶対的な存在』によって、それまでの平穏な暮らしを奪われ、二度とそこに戻ることはできなくなった。仮に王妃にも愛人にもならなかったとしても、あたしはあの孤児院に帰ることはできない。……帰っていいよって、誰がそう言ってもそんなこともうできない。
迷惑になる、神託に関わった存在なんて、迷惑しか呼び込まないに決まってる。
改めて、自分の道が全部狂ってしまったんだなと、あたしは思った。