味のある食事
そんなこんなで、全身を綺麗に磨かれた後、やっと朝ごはんが運ばれてくる。
今日の朝ごはんは、量はそう多くは無いのだけれど、見るからに豪華。
メニューは、丸いパンと、スープとサラダ。それから卵を半熟程度まで炒めたものと、ハーブなどを混ぜた腸詰めの肉を、焼き目から察するにおそらく直火でこんがりと焼いたもの。
香ばしい香りが、空っぽの胃袋を刺激してくる。
卵は半熟に仕上げられ、とろとろでふわふわとした食感。腸詰めの肉はやや太く、食べやすくするためなのか斜めに切り込みが入れられていた。赤いソースはトマト仕立てのようだ。
パンの大きさはちょうど、あたしの手のひらに納まるような感じ。大きさそのものはあたしが教会で食べていたものと似ている。真ん中で半分に割ると、麦のいい香りがした。
サラダは数種類の野菜が一口サイズに千切られ、あっさりした風味の柑橘系のドレッシングがかかっている。どうやらレモンの皮をすりおろしているのか、香りがとても綺麗だ。
スープは塩でさっと味がつけられただけみたいだけど、とってもおいしい。細かく切られた野菜がくたくたに煮込まれ、口の中で噛むまでもなくほろりととろけて消えていってしまう。
そんな、野菜がメインの朝ごはんを前に、あたしは恐る恐る前を見た。
視線の先には、ローブを脱いだマツリが座っている。
ローブの下は結構軽装だった。石がたくさんついたシンプルな首飾りをつけていて、衣服はくるぶしまで隠すワンピース。装飾がなかったら、シスターか何かに見えてしまいそうだ。
色は、ほんの少し青が混じる黒に近い灰色。黒髪の彼女には、その灰色が似合っているように見えた。見えた、けど……年齢が変わらない貴族階級の少女だと思うと、大変地味だ。
装飾らしい装飾はないし、首飾りも磨かれた石じゃないから光らない。
あたし的には好ましい普通の格好だとは思うけれど、彼女の立場からするともっと華やかな装いでもいいと思うし、それができる財力、お給料だって出ている……と思うんだけど。
まぁ、そこら辺は個人の好みというやつだろう。
あたしと一緒で、派手な格好は好きじゃないのかもしれないし。
もう少し華やかな装いをすればいいのに、と思う。
ドレスに組み合わせればさぞや美しくきらめくだろうペンダントも、黒と灰色に埋もれて鈍く沈んでいた。素人でもわかるミスマッチな組み合わせに、あれはファッションじゃないのだろうとあたしは感づく。魔術師は杖の他にもいろいろ使うらしいし、あれもその一種かな。
「おはようございます」
にこり、と笑みを浮かべるマツリ。
そういえば、マツリの髪はあたしと一緒でまっすぐで、癖が無い。例えばリードという名らしいあの王子も黒髪だけど、彼はくしゅっとした感じの癖が軽くついている感じだった。
あたしはマツリと同じストレートでまっすぐ、エルディクスは中途半端な長さだったからよくわからないけど少し癖があったかな。ちなみにシアはゆるくてふわっとした癖っ毛だ。
肩につくくらいで切りそろえられたマツリの髪は、本当につややかだ。そこに浮かぶ微笑みはとても柔らかくて、あたしは自然とシスターのことを思い出す。
彼女はいつもにこにこと微笑んでいて、マツリと同じような雰囲気を持っていた。
これはシスターも同じなのだけど、この手の人は怒るとかなり怖い。というか柔らかく優しい心を持つがゆえに、相手のため、という大義名分を持ってびっしばっしとムチを振るう。
昨日だって、それはそれは厳しかった。今日はどんなマナーを、勉強を、あたしのためと称して苛烈に叩き込んでくるのだろう。……正直、考えるだけで気分がかなり滅入る。
「マナーばかりだと、おいしくないと思いまして。今日は食事のマナーはなしですよ」
よほどおびえた視線をしていたのだろうか。
マツリがくすりと、苦笑を零す。
どうやら、今日の朝食は彼女がメニューを決めたらしい。ナイフもフォークも、スプーンも全部一つしかない。マナーなんてものを考えるほどもない簡単な食事。お城の、この豪華な内装には似つかわしくないそれは、だけどあたしにはとても嬉しい『最高の食事』だった。
やっぱり食事は、楽しく気楽に食べる方がいい。マナーとかを気にして、失敗したらどうしようという不安を抱えて、それでおいしいものを食べてもおいしいと感じられるはずがない。
それは、とてももったいないことだとあたしは思う。
朝から料理を作ってくれた人に対してもそうだし、使われた食材にも失礼だ。
今日の朝ごはんは、味がある。
味を、感じることができる。
他には意識も向けないで食べていると、マツリが小さく笑みを零したのに気づいた。ちぎったパンを手に浮かべているその笑みは、とても自然で可愛らしい。
「やっぱり窮屈、ですよね。ハッカ様はずっと、庶民だったのですし」
だけど、とマツリは笑みを少し陰らせる。
「ゆえにあなたは、できればわたしよりも完璧にマナーを、礼儀作法を、立ち振舞を、その身に染み込ませてもらわないといけません。それがわたしにとっての魔術となり、エルディクスにとっての剣と家名となって、つまりはあなたのすべてを守る『武具』となるのです」
その視線はまっすぐで。
あたしは、自然と姿勢を正していた。
「この世界とこの場所は、優しいばかりじゃない。いつも隙を見せないように心がけ、弱みを笑みで押し隠して、自分さえも時に殺さないといけない。ほんの少しの弱みは、きっとあなたを手加減もなくずたずたにする。彼らは侮蔑を躊躇わないから、何もかも壊される」
その黒い瞳から、あたしは彼女が言いたいことを理解した。
要するに――あたしはきっと、これから散々『バカにされる』のだろう。
あるいは、それ以外のいろんな言葉で傷つけられるのだろう。
庶民どころか孤児院育ち。
よくある没落貴族ですらなく。
そんな存在がまさかの、神託に選ばれた花嫁で。
これまで王子を狙っていた連中は、ここぞとばかりにあたしをこき下ろすのだろう。由緒ある生まれの自分達が選ばれず、卑しい孤児が選ばれたのだから。それがあたしの『運命』。
だから彼女は、あたしを厳しく教育しようとする。
マナーはもっとも指摘されやすい箇所。彼女らとのわかりやすい違いで、あたしがどうしても劣ってしまう部分。だって、貴族にとってそれは身につけて当たり前の『技能』だから。
「……わたしも、苦労した、から」
苦労。
そして語られるのは、彼女の素性。
魔女と呼ばれる彼女は、異国から嫁いできたらしい。
その魔術の才能を、エルディクス――公爵家の跡取りである彼に見初められて。
彼女の夫は、未来の王が確定している王子を相手に、あんなにも親しく話しかけられるようなとんでもなく偉い人。そしてこの国で王子に次ぎ、その輝かしい将来を約束された人だ。
結婚する時には、それなりにいろいろあったのだと思う。
例えば、彼の妻の座を狙っていた人に、ひどいことを言われたり、とか。
ベタだけどありそうだ。少なくとも、マツリが明日にも同じような境遇になるだろうあたしのことを心配して、こっちの気分が滅入るくらい厳しく教育したくなるくらいには、きっと。
それでも結婚したのだから、彼女はきっととても彼を愛している。
生まれ育った場所を捨てるようにして、自らここに飛び込むほどなんだから。
少し、羨ましいと思った。
恋愛小説みたい、なんてことも考えた。
「……もう、逃れられないんです」
だから彼女がそうつぶやいた、本当の意味なんて。
脳天気でバカなあたしが、気づくことなんてできるわけがなかった。