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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■2.城での生活
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かみさまなんか、

 あぁ、久しぶりに一人になれた。

 やっと息を、思いっきり吐き出すことができた。

 全身から力を抜いて、ソファーにばたりと座り込む。お風呂に入ったのだから疲労は消え去るべきだというのに、この身体にはさらなる疲れが貯めこまれて重くなっている。


 一人だ、あぁ、やっと一人だ。

 心だけが、そんな開放感でふわふわだ。


 とはいえ、扉の向こうには女性の兵士か何かがいるらしいけど。当然ながらマツリはもう帰ってしまっている。今頃は自宅でお世話をされながら、のんびりくつろいでいるだろうか。

 外にいる護衛だか見張りだかわからない人が、マツリだったらいいのにとか思う。

 見ず知らずの人間に囲まれるのは、正直もうこりごりだ。


 ……マツリもほとんど初対面じゃないか、という心の一部が発する声はねじ伏せる。


 もうイヤだ、疲れた。

 明日からもこんな生活なのか、と思いながらベッドに突っ伏す。特に動きまわった記憶はないけれど、あんな意味のなかった抵抗でも体力を相当に消費したのか、まぶたが重い。

 イヤだイヤだ、こんなの全部幻と妄想とくだらない夢だったら。

 一度、深く目を閉じたのが最後。


 いつ眠ったのかは、よく覚えていない。

 気づいたら……いつも起きるような明るさの、時間帯だった。全部夢だったらいいのになんて思う気力もないままに、あたしはいつも通りの時間に、いつも通りのように目覚めた。

 世界は、まだあたし一人のものだけど。

 そう経たないうちに誰かが来て、あたしは大勢の中心で身を強ばらせるのだ。よろりとしながら窓辺に近寄って、カーテンを勢い良く開く。外は、こんなにもいつも通りの静けさ。


 おはよう、神様。

 一発、その横っ面殴らせろ。



   ■  □  ■



 どうにもこうにも、あたしの朝は無駄なくらいに早い。朝早くから洗濯などの仕事を片付けていく生活が、もう何年も続いている。慣れ、という概念の恐ろしさを身を持って理解する。

 長い間の慣れというのは、環境の変化程度ではまったく抜けたりしないようだ。

 ……いや、もしかするとそれゆえに、変わらないのかもしれない。

 あたしが生きてきたあの場所は、夢でも幻でもないんだよと言うように。

 そう、思い込むように。

 でも現実は、ぜんぜん違っている。徐々にまどろみから抜け出しつつあるあたしの身体をふんわりと包む衣服は、ぼんやりした意識でもわかるほど上等なものだ。

 すべすべの、さらさらで。

 肌触りがいい、という言葉の意味を体感する。


 その下にある下着だってぜんぜん違う。

 無駄に広いベッドの上、あたしは覚醒する意識に逆らいうつ伏せになった。最後、もぐるようにかぶっていたはずの上掛けは、いつの間にか床にでも落ちてしまったらしく傍にはない。

 こんな薄着なのに、それでも寒いと感じられないのは、きっとこの場所が魔術によって適温に保たれているせいだろう。あたしが知る外の世界は、この時期の朝晩は肌寒いものだ。

 さすがは王族様がお住まいのお城。季節も何もかもねじ伏せる技術を、湯水のようにお使いになられる。そんな嫌味も、心の中に浮かべてみたところで、何の意味もないことだった。

 あたしはこの時期の、あの少し刺すような冷たさが好きだった。

 意識が済んでいくような、あの適度な冷え込みが。

 寒いのは嫌いだけど、適度な寒さは逆に心地よいと思う。真綿に包み込むように大事にされるであろうここでは、そんなものを感じることなどもう二度とありえないのだろうけど。


 どうせあたしは、許しもなしにここから、この部屋からすら出られない。

 籠の鳥、というのはまさにこのこと。


 あたしがそんな目に合うなんて、想像も空想も、妄想すらしなかったけど。

 小さく息を吐き、あたしは上を向いた。

 こうして両腕を広げて寝転がっても、まだまだ余裕のあるベッド。童話に出てくるお姫様につきものの天蓋。幾重にも重なった向こう側が透けて見える布が、ベッドの中と外を隔てる。

 確か、寝る前はカーテンみたいに、紐でベッドの柱に縛り付けられていた。

 あたしが寝てから、誰かが来て……今のような状態にしたのだろうか。

 まるであたしを閉じ込めるようなその布を、あたしは足でちょいちょいと蹴る。足先で軽く触れるだけでわかるほど、その布は軽くて、薄くて、だからこそかなり上等そうだった。

 神父様やシスターの服は教会の偉いところから支給されているのか、あたしが知る中じゃ比較的上等なものだったように思えていたけど、これはそれよりもきっとすごい。

 天蓋とかの飾りもそうだけど、シーツとかもぜんぜん違う。

 香りも違うし、手触りや肌触りも違う。

 布の種類自体だって、きっと別物に違いない。材料も作り方も、何もかも違うはずだ。そもそもこんな薄く透けるような布を、あたしはここに来て初めて目にして、触れたくらいだし。


 このベッドだけで、どれくらいのお金になるんだろう。

 どれだけ、おいしいものや暖かい服を買ったりできるだろう。

 こんなふかふかなベッドを、あたしは知らない。


 そんなことを思うたび、あたしは自分がいるのが、別世界だと知る。

 そう、何もかも違う。ここは、あたしが知っていたどの世界とも違う場所だ。目と鼻の先と言っていい程度に近くて、でもぜんぜん違う場所。まるでそう、異世界――違う世界だ。

 同じところがひとつとして見つからない。

 あたし、どうしてこんなところにいるんだろう。昨日あったことのすべてが、夢の様な錯覚を起こしたい。もう一度この目を閉じて、少し眠って開けば、またあのちっぽけな部屋で。


 全部夢なんでしょう?

 シアが、王子さまの話題を振ってきたから。

 だからこんな、絵に描いたような夢を見ているんでしょう?


 だけど、これは夢じゃない。わざわざ痛みで確かめるまでもなく、あたしは神託によって花嫁として選ばれて、花婿となる王子と結婚して、彼が王になり――あたしは王妃になる。

 王妃、とか。

 あたしは思わず、笑ってしまう。ただの孤児が一国の王妃になってしまうとか、そんなの間違ってるよ。神様に選ばれることの、何がすごいっていうの。

 孤児のあたしなんかより、よっぽど似合っている人がいくらでもいるはずだし。

 なんで、なんで。


 ――あたしばっかり。


 と、唇が綴った。これで王子さまがもう少し、理想の中の人だったらって、思う。あんなのじゃなきゃ、あたしも少しは。そう、ほんの少しでしかないのかもしれないけど、それでも。


 ――気分はちょっとぐらいは、楽になれたかな。


 思い、目を閉じる。

 物音がしない城の中。

 一瞬、今なら逃げ出せるかな……なんて思ったけど、それは無意味。

 せめてこんな色の髪じゃなきゃ、少しは人に紛れ込めたかもしれないんだけど。その前に騎士や兵士を出し抜かなければいけなくて、そんな頭なんてあたしにはなくて。

 そういえば、かくれんぼなんかはいつも鬼だったっけ。逆に得意だったのはシアだ。彼女はとにかく隠れるのがうまい、というか頭が良かったのだろう。神父様もそう言っていたし。

 あぁ、嫌になる。

 まだ、昨日のことなのに。あの場所から引き離されたのは。なのに、ずっと昔のことのように感じてしまう。もう何十年も経ってしまったかのように、失われてしまったかのように。

 あたしは嗚咽を必死にこらえる。


 泣きたくなんてないの。

 負けたと認めるようで気に入らないから。

 だけど本音を思い浮かべるなら。

 マツリからのマナーなどの勉強なんて嫌だった。

 そんなどうでもいいことを教わる前に、何もかもを投げ出したかった。食事なんて、それなりにおいしいものを、おなかいっぱいに食べられればあたしはそれでいい。ちょっとした仕草ひとつに気を使って、味がわからない食事をおなかに押し込むだけなんて意味不明すぎる。

 食べるものにあわせて、わざわざナイフやフォークの大きさ、種類を変えるなんていうのもわけがわからない。フォークとスプーン、それとナイフだけでいいじゃない、って思う。


 どうして食事をより美味しく、より楽しく食べようと思わないの?

 バカじゃないの?


 でも一番嫌だったのは、マツリがあんなにも根気強く教えてくれても、それでもちゃんとできない自分自身。確かに細かいけれど、マナー一つ一つは実に単純だった。くだらないと嘲笑できるぐらいには、複雑でもなく簡単なもので。実際、異国から来たというマツリは流れるような自然な動作でそれらをこなしていた。きっと『完璧』だったのだろうと思う。

 その程度もできない、自分が情けなくなって。

 ……だから、全部投げ出したくなって。

 だけど、それは『負け』であるように思ったから。

 彼に、負けたと、自分で認めてしまうようなものだと思ったから。だから逃げ出したいと叫ぶ心と衝動に必死に耐えて、味がしない食事を続けて、お風呂での羞恥にも耐えて。

 そして、待ち望んだ朝が来た。

 誰かが来たら、その時ははっきり言おう。

 世話なんて必要が無いって。王妃にする必要すらないって。

 ほら、神様に選ばれた花嫁なんだから、こう、大事に祭ってさ。世継ぎを産んで表舞台に立つ綺麗な看板として、どこかのお姫様なり貴族のお嬢様なりを吟味して迎えればいい。

 知ってるよ、王族は血を絶やさないために一夫多妻なんだって。前の王様は亡き王妃様だけを愛していたらしいけど、その息子までそうしなければいけないってことはない。

 だから、あたしは王妃だけど名ばかりで表には一切出ず、どこかの部屋なり屋敷なりに死ぬまで引きこもっていて。それで、公の場所には身分のつりあう誰かが、一緒に出ればいい。


 無理だよ。

 たかが食事でアレだよ?


 あたしに、一国の王妃なんてできるわけがないよ。


 そう伝えるんだ。

 一生飼い殺しでいいから、忘れ去られてもいいから、だからもう放っておいて。あたしを一人にしてほしいよ。一人、そうあたしはずっと一人でいいんだよ。それが願いだったから。

 毎日ご飯をくれれば、どこにも行かずにおとなしくしているから。

 何もしないし、何も言わない。形だけにすらなれない邪魔な王妃で結構だから、そんな世界でも文句も言わず、どこか邪魔にもならず人目につかない隅っこでおとなしくしているから。

 だけど祈りは、絶対に届いたりはしない。

 だって、祈りをささげる対象が、あたしをこんな世界に叩き落した。

 自分で叩き落したんだから、あたしを救ってくれるはずが無い。

 あぁ、これからあたしは、またあの集団に着替えさせられるんだろう。それから味を感じることができない食事を取って、王妃らしくなるようにあれやこれやとお勉強をして。

 あとは昨日と同じようなことを何度も何度も、ひたすら繰り返すだけ。

 食事、勉強、食事、勉強、食事、お風呂、睡眠。

 まるで同じ一日を、何度も何度も体験しているような時間がこれから流れていく。とてもじゃないけど明るい未来は見えない。真っ暗な闇しか、あたしの前には広がっていない。

 あたしは予言の力なんて、ないけど。

 でも、そうと自信を持って言い切れるだけの経験を、あたしは昨日感じてしまった。

 神父様の手前、絶対に言わなかった言葉を、心の中の石版に叩きつける。




 ――かみさまなんか、だいきらい。

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