神様が選んだ生贄
無言のまま、馬車に揺られること、しばし。
「もうすぐ城だよ」
隣から声をかけられ、あたしはまた外に視線を向けた。
進行方向に目をやると、高くそびえる城壁が見える。あの中に入ってしまえば、あたしはもう逃げられない。そもそもあたしは、もう連れて行かれる先から逃げられないんだけど。
だけど、それがわかっていて、覚悟をしていても。大きく口を開き、待ち構えるその門をくぐる瞬間を見たくなくて、あたしはずっと目を閉じていた。一瞬閉ざした視界が暗くなり、下を通り抜けたことをこれでもかと突きつけてくると、ちゃんとわかっているくせに。
がこん、と段差を乗り越え揺れた馬車は、どこかへと進んでいく。いつも遠くに見るだけだった壁の向こう側にいる、という現実を、その華やかで大きい邸宅が教えてくれた。
街の金持ちのそれとはぜんぜん違う。金持ちの屋敷はどこか下品で、とにかく金を使って豪華にしているものが多い。けばけばしくて趣味が悪いわよね、とシアは鼻で笑っていた。
だけど、ここは全然違う。
確かに派手ではあるけれど、お金を使っていそうだけど、品の良さがあった。たいていの屋敷が前庭を大きくとって、そこに草花をたくさん植えて彩っている。きっと外でお茶を飲んだりするのに使うから、綺麗にしているんだろう。教会にも周辺と比べれば結構な種類の植物が植わっていたと思うけれど、やっぱりお金があるところは規模も種類も立派さも桁違いだ。
まぁ、彼らはそうやるのも仕事らしいから、気合を入れるのも当然か。
ああやって屋敷も、人も華やかに着飾るのがお仕事。美しい屋敷で宴を開き、庭を愛でながら話に花を咲かす。そんな穏やかな時間の裏では、互いに腹の底を探りあうという駆け引き。
……と、例の元相部屋の子が自信たっぷりに言っていた。
自分はそういう『駆け引き』がうまいのだと、最後に自慢を添えながら。
いつものことなのであたしも他の子も話半分に流していたけど、彼女が言っていたことはあながち間違ってはいないのかもしれないと、今なら思う。だってきれいな庭があるなら、やっぱりそこで遊びたいと思う。花がたくさん咲いたなら、庭に出てそれらを愛でたいと思う。
駆け引きの時にしか目にもしないなんて、もったいない。
だけど、未知の左右にあるどの庭にも人はいない。庭師らしい作業服姿の人はいたけど、ドレスやらで着飾った、屋敷の主やその家族と思われる人影は、一つとして見えなかった。
あんなに綺麗に整えられた庭なのに、こんなにいいお天気なのに。
もったいないなと思い、あたしはため息をこぼす。
「退屈そうなところ申し訳ないけど」
エルディクスが、ぽつりと言った。その視線は窓の向こう、進行方向を示す。
改めてそっちの方向を見て、あたしは息を呑んだ。
今更ながら、あたしはその大きさに圧倒されてしまう。ここに連れてこられるのは、わかりきっていたことなのに、なんで、という今更な声が頭の中で何度も響いた。
王子様の花嫁を載せた馬車が向かう先。
それは、王子様がいるお城以外にありえない。
だからあたしが連れて行かれるのも、お城。それがすぐ側に迫っていた。いつもあの壁から最上階だろう辺りがちらりと見えるだけの、とても遠く、縁なんてないと思っていた場所。
馬車はそのお城の入り口にある門を、再びがこんと音を鳴らしてくぐる。
そのまま静かに速度を落として、そして馬車は止まった。
「到着ですよ、神託の花嫁」
絵に描いたような騎士の顔をして、先に下りた彼はあたしに手を差し伸べる。いちいち抵抗するのも面倒になっていたので、あたしはその手をとった。思ったより馬車と地面の距離があって飛び降りるのが怖かった、という情けないにも程がある理由は絶対に明かさないと誓う。
地面に立ち、見上げて――息を呑む。
ずっと遠くから、その姿を見るばかりだったお城に、圧倒されていた。
少し青みがある白い石材を、綺麗にくみ上げて建築された王城。作られて百年は余裕で経っているはずなのに、曇り一つ存在しない。きっと、定期的に綺麗に掃除しているのだろう。
入り口の天井は明らかに高く、あたしを縦に数人積み上げないと手が届かないほど。
どうも、一階から二階か、あるいは三階辺りまで吹き抜けになっているらしい。
ただただ、想像を超えるスケールにあたしは圧倒された。目の前には入り口に通じる数段ほどしかない階段があるのに、足が動いてくれない。足を動かすという意志が身体に行かない。
「……エル」
そこに、黒いローブを纏う、あたしと年恰好が変わらない少女がやってきた。見るからにおとなしい性格なのがわかる感じで、声も落ち着いている。だけどあたしには、落ち着いているというよりも極限まで抑揚を消している、という感じに聞こえた。悲しい声をしている、と。
時々、そういうことをする小さい子がいる。だいたいが親に直接捨てられた、ううん捨てられて助かった子だ。あのまま親のところにいれば、死んでいただろうとわかる境遇の子。
まるで自分がしゃべる行為が害悪であるかのように、彼らの声は沈んでいる。ないだ水面のように何もない。もちろん、その多くが教会での暮らしで、次第に子供らしくなるのだけど。
彼女も、そういう子だったのだろうか。
いや、もしかすると彼女の性格なのかもしれない。決めつけるのはよくない。
「マツリ、どうしたの?」
エルディクスは彼女を見知っているのか、声をかけながら近寄っていった。一瞬見えた横顔はとても穏やかで、何やら関係が深い間柄のようだ。恋人――とか?
まぁ、マツリという名前らしい彼女は、エルディクスをエルと呼んでいた。おそらく愛称なんだろうから、そういう呼び方を許す程度には親しいのだろう。それにエルディクスは騎士で彼女は魔術師のようだから、一緒に仕事をすることも多いのかもしれない。
なぜあたしがマツリが魔術師とわかったかというと、彼女が大事そうに手にしている杖のおかげだ。神父様も同じように、あの『魔石』という鉱石をあしらった道具を持っていた。
一見するとただのガラスのようだけど、近くによるとぜんぜん違うとわかる。
ゆらゆらと水面のように、それの中で光は踊るのだ。
「リード様、が……ちょっと」
「あぁ、わかってる。どうせあの光を見て、キレたんだろう?」
「うん……もうカンカンで、早くエルディクスを連れてこいって。彼女が、花嫁?」
「そうだ、神託が選んだのはこの子」
紹介されて、あたしは少し姿勢を正す。
ローブの奥にある、黒い瞳があたしを見ていた。黒は少し怖い色だと思っていたけど、彼女のそれはどこか暖かさを感じる。きっと優しい笑みの形に、目が細められているからだろう。
「はじめまして、花嫁様。……わたしは、マツリ・カミシロ」
表情に影を落とすフードを少しだけ後ろへ下げて、彼女が居住まいを正す。
あたしは、思わず彼女を凝視してしまった。
だって、あたしと逆だったから。
綺麗な黒髪に、黒い瞳。
真っ白いばかりのあたしとは、何から何まで異なる。
「彼女は宮廷魔術師だ。おそらくは君の世話なんかも担当することになるよ」
「……よろしく、おねがいします」
ぺこり、と頭を下げるマツリ。
あれ、でも宮廷魔術師といえば、かなりの要職のはずだ。庶民でも知っている、騎士と並ぶこの国の柱の一つ。そりゃあたしは神託に選ばれたらしいけれど、宮廷魔術師がわざわざ世話係になるなんてほどはないはずだ。万一に備えての護衛っていうなら、ともかく。
だけど『そういうこと』で、もう話はすんでいるらしい。
ここでもあたしの意志は、当然のように無視だ。
わかっているけど、少し苛つく。
だけど、いちいち苛立ってもどうしようもない。
『リードって誰?』
石版に文字を綴り、二人に見せる。
マツリは驚いた様子を見せ、エルディクスに視線を向けた。ぼそぼそ、と彼が耳打ちしているから、たぶん事情説明しているのだろうと思う。いちいち書いて説明するのは面倒で、だからといって傷を見せるのもあれなので、誰かが代わりに説明してくれるのはありがたかった。
「リードは、王子です。リード・エクルシェイラ」
あたしは初めて、自分が暮らす国の次の国王の名前を知った。それがあたしの、おそらく旦那様になることが決まった人の名前。年齢は少し上だと聞いているけど、どんな人かな。
あれ、でもおかしくはないか。
二人の会話を聞いた感じ、どうも彼は神託のことを受け入れていない感じがする。神託の光を見て怒るというのは、そういう意味だと思う。もしかして、これって……。
『どうして、怒るの?』
「だってリード、結婚する気が皆無だから」
ふとした疑問に帰ってくる、とんでもない答え。
たった一人の王子様、たった一人の王族。
それが結婚したくない――なんて、冗談であっても言っていいはずがない。だけど彼らの様子からそれは、真実なのだとあたしはわかった。そして、すっとすべてを理解した気がする。
あぁ、だから。
彼らは最後、神にすがったんだと。
ようするにこの騎士は、神様すらも利用したということか。
「即位を先にしろってここ数ヶ月、ずーっと言い張ってるからねぇ。即位したらしたで、もっと面倒なことになるってわかってないから、ほんとに困る。だから神託で強権執行ってわけ」
「今回のことは、私達の独断……なの」
「実は、から始まる心底ゲスいうわさ話が、今更大輪で咲き始めても困るしね」
と、二人は困ったように、同時にため息をついた。
よくわからないけど、城仕えは城仕えで苦労があるらしい。件の王子様も、なかなか曲者というか面倒そうというか、ヤダなぁ、と正直に言わせてもらえば思わないでもない。
傍目には即位をダシに結婚を嫌がっている、そんな風に聞こえるから。
そんなのと結婚なんて、あたしの未来がさらに真っ暗だ。
これじゃ『花嫁』とは名ばかりの、イケニエみたいなものじゃないか。あたしはつまり神託に選ばれた花嫁として王子様の隣にいて、ついでに次の王様にするために何人か子供なんかも産まされて、アクセサリーよろしくずっと傍にいなきゃいけないってことになる。
政略結婚、なんてものがお貴族さまにはあるっていうけど、さ。
これ、それよりも酷いんじゃないかな。