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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■11.奪還作戦
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ばかなひと

 ダフネは、セヴレス家に仕える侍女である。

 幼い頃から屋敷に住み込み、ここのことなら誰より詳しいという自負もある。

 主に年の近い伯爵の子供二人の世話を担当していて、兄であるディオンとは幼なじみといえるかもしれない。もっとも性別が違うので、そこまで親しかったわけではないが。

 それでも行儀見習いといいつつ、ディオン狙いで入り込む商家の娘よりは、ずっと彼女は彼ら兄妹と近い場所にいる。家族の次に、きっと二人を理解しているのはダフネだった。


 でもそれは、うぬぼれだったのかもしれない。

 知っている『つもり』で、本当は何も知らなかったのかもしれない。


 もしも本当に理解していれば、近い場所にいたなら、こうなる前に気づくことができたに違いないのだ。止めることなんて余裕だろうし、そもそも止めなければいけない事態もない。

 それらが叶わなかったのは、つまりそういうこと。

 失望とはまた違った何かを飲み込み、ダフネは人気のない廊下を歩いていた。

 みんな逃げてしまった、あるいは隠れてしまった。

 先ほどの轟音は、魔術を用いて守りを固めていたはずの門扉を吹き飛ばしている。そこから数人の若い男女が敷地に入り込んでいて、それにガラの悪い私兵達が向かったところだ。


 ……さて、どちらが正義なのだろう。

 突如として屋敷を襲撃した彼らなのか、道を踏み外しつつある主の手駒なのか。


 ダフネにはわからなかった、何もわからなくなっていた。

 ただひとつ、彼女でもわかっていたのは、自分の主が間違いをおかしてしまったこと。洒落では終わってくれないことを、現在進行形で今も続けているということ。

 なんて、あぁ、なんてバカなひとだろう。

 どうしてあの人は、こんなにもバカなんだろう。

 ダフネは見知らぬ人が増えた屋敷の中、そんなことを思いため息を付いた。長らく見ない屋敷の主たる伯爵、次々と現れる夫人に雇われたらしい謎の男達、城に上がった令嬢。

 そして神託の花嫁に興味を示すダフネの主。

 それくらいなら、割りとよくある貴族の有り様だった。このセヴレス家では異質だが、夫人が夫人だったこともあって、ダフネもついにそうなったかと思うだけだっただろう。


 けれど状況は、そこにとどまってくれなかった。

 高みを望むだけではなく、思慕を抱くだけではなく。

 主は、ディオンは手に入れてしまった、手に入れてはいけない人を。

 どうしてこうなった、なぜこうなってしまった。そう疑問を浮かべて嘆くまもなく、彼女の周囲には不穏と不和の不気味な種ばかりが増えていく。芽吹かないで、そのまま朽ち果ててくれればどれだけよかっただろう。しかしダフネの願いも虚しく、ある日それは芽を出した。

 それが今だ、それが今日だった。

 こっそりと開放し、逃がしたあの少女はどうやら仲間を連れてきたのだろう。

 うまく外に脱出してくれたのだろう。

 ならば、次は自分が動かなければいけない。

 ダフネの足は、自然と屋敷の外へと向かっていった。ただし前ではなく後ろ、裏庭へ。主が消えていった森の奥に、侵入者達の目標はある。けれど教えているヒマはなかった。

 彼らはまだ屋敷の中に入っておらず、戦場に踊り出る勇気はない。

 戦いが終わるのをまっていたら、きっと手遅れだ。

 場所を知っている、ダフネがいかなければ。


 ――でも、そんなの全部建前。


 彼らはきっと怒っている。主を、ディオンを殺してしまう。それは嫌。それは嫌なの。最悪の状況に火を灯したくはない、ほんの少しでも状況を好転させたい。悪化だけは阻止したい。

 そんなことを、言えた立場でもないというのに。

 ただただ、彼の命だけでも救いたくて。

 バカなのは、きっと自分だった。



   ■  □  ■



 森を抜けた先、ダフネは一人の少女をじっと見る。

 白い、とても白い人だった。

 汚れ一つ無い、汚れなどあってはいけない。まるで深雪のような、白。美しい、息が詰まるほどに綺麗な人だと思う。まるで作り物のように、魅入られる感覚が全身に走った。

 主は、これに取り憑かれたのかもしれない。

 そうであっても、おかしくはない。

 これが、神がその光を持ってして示した花嫁。

 この国唯一の王子の。


 白いはずのその人はけれど、あちこちが薄く汚れてしまっていることに気づく。やらかした張本人は、どこかバツが悪そうに離れたところで俯いていた。

 まるで叱られた子供のようで、なんと情けない。

 しかしそんな情けない彼の相手などしていられないダフネは、少女の前に膝をついて目線を合わせた。彼女は、まだ床に座り込んだままだったから。

 名前は知っている、誰もが知っている。

 王子の花嫁、神託が道いびいた人――その名前は。

「ハッカ様、ですね? わたくしはダフネ。セヴレス家の侍女でございます。此度は当家の坊ちゃまがとんでもない無礼を働きまして……でももう大丈夫ですわ、何もさせませんから」

 そっと手を握れば、微かに震えがあった。

 そこで拗ねたようにしている主、あとで引っ叩こうと心に決める。


「あなたの侍女をわたくしが逃がしました。ですから、もうじきここに彼らはきます」

「ダフネ、お前……!」


 なんてことを、と続けそうなところを、睨みつけて止める。

 それを言いたいのはこちらであり、彼女を助けに来た彼らの方だ。

 本当に、本当になんてことを。やっと顔を上げたかと思えば、ディオンはまだ諦めていない様子を隠さない。嘆かわしい、情けない、悲しい。いろんな感情がうずを巻いた。

 立ち上がったダフネは、こちらを睨むディオンを見つめ返す。

 う、と息を呑むように彼の動きが止まった。


「おとなしくなさいませ、坊ちゃま。いい年をして、無いものねだりとは見苦しい」

「な、何を」

「もはや言い逃れなどできないのですから、だまらっしゃい」

「……」


 きつく言い放つと、自覚はしているらしく静かになる。

 ダフネはため息を深く深く、わざとらしいくらい強くこぼして、再びハッカの方を向いて前に膝をついた。服のポケットからハンカチを取り出し、その頬についた血をそっと拭う。

 ここに来てから、彼女はどんな目にあったというのだろう。

 綺麗に整えられているはずの髪もボサボサで、乱暴に扱われていたのは間違いない。それどころか、彼女は軽い暴力すら振るわれたのではないだろうかと感じる。

 殴られたというよりも、平手だろうか。

 ハンカチを水で濡らして冷やしてあげたいが、ディオンを背にしてそんな余裕はなかった。

 ひとまず彼女を連れて外に出ていようか、ダフネが思案した時だ。

 外から、草を踏み走る音がする。

 その音はだんだん近寄って、そして。


「ディオン・セヴレス、今すぐあいつを返しやがれ!」


 半分開いたままだった扉を、破壊しかねない勢いで蹴り開ける少年がやってきた。黒髪の少年はダフネらを順番に見て、最後にディオンを視界に入れてその目尻を軽く釣り上げる。

 燃えるような炎色の瞳にはぎらりと、底冷えするような痛い鋭さがあった。

 火を見るよりもわかりやすい、ダフネは思う。

 彼は、誰よりも強く怒りを強くたぎらせているのだと。



 わたしの、バカな主。

 あなたの夢は、もう終わります。

 せいぜいたっぷりと叱られてらっしゃいませ。数発は殴られることも、覚悟なさいませ。大丈夫です、すべて終わったら少しくらいは傷跡を撫でて差し上げます。


 本当にバカなのは、きっとわたし。

 どうしようもないくらいにダメな人から、離れてあげられないわたし。

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