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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■11.奪還作戦
105/107

女の敵は外に出ろ

「今のは……」


 ディオンが、どこか悔しそうにつぶやく。

 その目は窓の向こう、遠くからもうもうと上がる土煙を睨んでいる。ここからだいぶ遠い様子なのに、それでも見えるということは、かなり大規模な何かが起きたのだろう。

 爆発、というにはその煙は余りに色が薄い。

 石を敷き詰めて整えていない道を馬車が走った後に残る土煙、そんな感じの、あっという間に消えていくようなものに見えた。だけどあの轟音は、その程度で終わるものに思えない。

 ディオンもまた疑念か何かを感じているのだろう、あたしから離れた彼は、そのまま窓の前へと移動した。一瞬見えた横顔は、焦りと不安、それから怒りのようなものが滲んでいた。

 乱れた服を直しながら、あたしはどうするべきか考える。

 けれど、逃げ出そうにも扉は遠い。動けばきっとバレてしまうだろう。震える足はまともに動くようには思えないし、走りだしたところですぐに捕まるのは明らかだった。


 どうしよう、どうしよう、考えても答えは出ない。

 彼は、窓の向こうを見たまま動かない、今がチャンスだというのに。

 あたしの焦りを他所に、ディオンはどこかを見ている。

 ここから見ても森の向こう側の状況なんてわかりっこないのに、それでも動こうとしないのはなぜなのだろうか。けれど、そうしているのは、ある意味で救いだと思った。

 状況はともかく、あたしはどうにか『無事』なのだから。

 何か、予想もつかないこと、尋常ではない何かが起きたのは間違いない。さすがにあたしの救出ではないと思う。期待したいけど、あのエルディクス外てこんな騒ぎになるわけないし。

 彼ならもっとスマートに、不気味なくらい静かにすべてを片付けてしまうだろう。


 ならば、何者かが強盗に押し入った?

 でもこの辺は、おそらく一帯がすべて貴族の屋敷だと思う。そんなところに、襲撃するバカなんて考えられない。ここが別荘だっていうならともかく、貴族の本宅なのだから。

 この国の貴族の半分は騎士の称号を持ち、息子なり何なりが騎士として城に努めているのだと聞いたことがある。小国ではないが大国ではないこの国は、これという守りを持たない弱い国なのだと。幸いにもさほど重要な場所にはないので、今まで戦火を浴びたことはない。


 けれど、万が一という可能性は常にある。

 国境を接する国があるかぎり、それを無視するのは愚行だ。

 なので大昔からの習わしとして、基本的に騎士の称号を持つことが多い貴族は、王都住みであることが多いのだ。国境沿いなんかの領地を得ている人もいるそうだけど、それも含めてすべてが万が一あるかもしれない有事の際の備えだとされて、今も固く守られているという。

 だから高級住宅街は円形の王都の中心を埋め尽くし、兵士の詰め所や彼らのために用意された住居は外周にぽつぽつと、全域をうまくカバーできるように多く点在しているのだ。

 もちろん、近年ではそんな『有事』などはない。

 だが、細々とした『騒動』なら、年にそれなりの数あるという。

 その中には、門や屋敷を破壊して、令嬢や夫人を攫う――なんてものも。


 百年以上前の話だそうだけど、上流階級の女性を狙った事件が多発して王都が震え上がったことがあるという。当時を知る人もすっかりいなくなった、とても古い事件だ。

 大昔から徹底されていたことは、ある種の油断を作ってしまったらしい。まさか貴族の屋敷に押し入って誘拐事件を起こす輩がいるなんて、という思い込みのようなものもあった。

 何より驚かせたのは、門扉などを吹き飛ばすという強行。

 あれ以来、貴族にかかわらず門を構える家の持ち主は魔術防御を施すようになった。ちょっとやそっとの魔術では、例えば在野の魔術師の力などではどうにもできないように。

 セヴレス家は、伯爵だ。

 父親はそれなりの地位についているから、普通の家より狙われやすい。そして、そんな地位にいたった彼が、家族を守る手段を怠ったとは思えない。ここの守りはかなり厳重にされているはずだ。そこへ来てのあの轟音なのだから、どう考えても何か起きているはずなのに。


「まぁいい。既成事実があれば、それで事足りる」


 そういって、ディオンは再びあたしの方を向いた。

 じり、じり……と、もったいぶるように近づいてくる。

 やだ、いやだいやだいやだ!

 爪を立てて足をばたつかせ、もがくように後ろへと下がる。けれど広くない部屋の中、あっという間にまた組み伏せられてしまった。髪を掴んで引っ張って、あたしから引き剥がそうとするけれど、首筋をゆったりと這うぬるりとしたものは、何をしても止まってくれない。

 いやだ気持ち悪い、気持ち悪い……っ。

 助けて、助けて誰か、誰か。


「……っ」


 手当たり次第に引っ掻き回し、ディオンがわずかにひるむ。

 その隙に、あたしはようやく彼の身体の下からすべるように逃げ出した。

 床を転がるように移動し、反対側の壁に背をつける。やっぱり足がうまく動かない。みっともなく、這うようにして移動する。何度も滑って、膝が痛くて、それでも必死にもがく。

 彼からは逃げられたけれど、出入り口からは遠ざかってしまった。

 頬に赤く引っかき傷を残されたディオンは、青い瞳を細め、あたしに迫る。

 まるで、獲物を見つけた猫みたいな目だ。

 その見つけられてしまった獲物は、間違いなくあたし。

 傷をつけたから、怒ったのか。それとも、無駄に元気な獲物を屈服させる暗い悦びにでも目覚めたのか。どっちにしろ状況は変わらない。むしろ、悪化しているようにも思えた。

 逃げ道は失って、あの轟音も気に留めない彼は、じりじりとあたしに迫った。


 ――このまま、されてしまうのだろうか。


 諦めが、心の中に浮かんでくる。

 何もかも、尊厳も、この男に奪われてしまうのかな。心は必死に拒絶の叫びと、逃げろ逃げろと悲鳴を高く上げるけれど、現実のあたしは何もできない。足は動かず、出口は遠く。

 彼の手に腕をつかまれ、固い床に背中を押し付けられて――。


「その辺にしたらどうですか」


 響く、声。

 凛とした女の人、あるいは少女の。

 ぎぃ、と開いていく戸口、その声の主は静かに佇んでいた。

「坊ちゃま、もう諦めてくださいまし」

 淡々とした口調。

 少し色のあせたような、濃灰色の長い髪。芽吹いたばかりの木の葉のような、淡い色をした緑の瞳は、まっすぐにディオンに向いている。睨むように、軽く細められたまま。

 彼女は部屋に一歩入ると、そこで恭しく一礼した。

 ディオンじゃなく、彼にとらわれて震えるあたしを見て。

 侍女であることを示す特別な衣服の、スカートを少し摘み上げる。優雅で、洗練された動きだと思った。同時に、どうしてここにいるのかと、何をしに来たのかと考えた。


 ディオンを坊ちゃまと呼ぶから、彼女はセヴレス家の侍女なんだろう。

 年齢はたぶん、マツリよりは上だと思う。

 考えを巡らせるあたしのそばで、ぎり、と歯ぎしりの音がした。見るまでもなく、それを鳴らしたのはディオンだ。彼は現れた侍女を睨み返している――つもりなんだろう。けれどその評定はどこか子供っぽさが滲んでいる。あぁ、まるで叱られた子供みたいな、そんな感じの。

 睨み合う主従の間に、再び声が浮かぶ。


「ダフネ、なぜここに」

「愚かなことをする主を、張り倒してでも止めなければならないと思いましたので」

「……」

「もう、諦めてくださいまし、ディオン坊ちゃま。じきに人がここに参ります。あなたの目論見はすべて白日の下に並べられていて、もはや逃げ場などありますまい。いつまで我がままを続けるつもりですか。いつまで、その手には決して入らない『幻』を追いかけますか」

「手には、入ったじゃないか」

「……おかわいそうな方。あなたは、自分が望んだものをわかっていらっしゃらない」


 嘆かわしい、ダフネはそう言って悲しげな顔をする。

 悲しげというよりも、それはむしろ哀れみに近いのかもしれない。ディオンもそう受け取ったのだろう、明らかに怒りを浮かべた顔で、あたしから離れるとダフネの前に立った。

 相対する二人は、主と従者であるはずの力関係。

 なのに、どうしてだろう。ダフネはまるで不出来な弟を叱り付ける姉のようで、その姿は何となくシスターを思い出させた。ワルガキを、座らせてお説教する、あの人のようだった。

 そのイメージに添うかのように、彼女はディオンに問う。

「件の方に惹かれたのは何故ですか? 見た目ですか、父親の、他人の所有物ですか。人のものだから欲しくなったのですか? 誰かのものでなければ、誰かから奪わねば満足できないのですか? あなたがほしかった『彼女』とは、今のその方のような風貌だったのですか?」

 畳み掛けるようにダフネは続け。


「本当に欲しかったものを手に入れたと、今の彼女を見て言い切れますか」


 お応えください、と案に言われたディオンが恐る恐るという様子で、あたしを見た。

 冷静さを取り戻しただろう彼に、あたしはどういう風に見えるんだろう。自分でわかることは髪も服もぼさぼさのばさばさであること。それから、きっと泣いているか涙目なこと。

 震えても、いると思う。


「……僕は」

「はい。僕は……なんですか?」

「僕、は……ただ、ただ」

 ディオンが搾り出すように何か言いかけて、でも続きが聞こえない。

 口だけが何か、言葉を探すように震える。結局彼は何もいえないまま、その口をぎゅっとつぐんだ。言葉にできないのか、するのが怖いのか、背中からはさすがに読み取れなかった。

 その隣を、続きが無いのが答えだと言わんばかりにダフネは通り過ぎる。

「邪魔です坊ちゃま。女の敵は表に出てくださいまし」

「……ダフネ」

「出て行ってください、ケダモノ」

 ぴしゃりと言い放ったダフネに、ディオンはすっかり覇気を失っている。

 さっきまで、あたしを追い詰めていた空気はどこにもない。そこには一人の侍女に頭がまったく上がらない、叱られて少し泣きそうな顔をしている情けない貴族の青年がいるだけだ。

 ダフネはあたしの前にきて、あたしの手をぎゅっと握る。

 ふわり、と浮かんだのはとてもかわいくて、やさしい笑顔だった。


 あぁ、なんか泣きそうだ。

 安心と、ちょっとの懐かしさで、泣いちゃいそう。

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