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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■11.奪還作戦
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憎悪

 ゆっくりと開かれた扉。

 そこにいたのは二人の男女。

 ベッドの上で、どこか険しい顔をしている男と、彼を見下す女。肌を隠す青黒いドレスの女はいきなり部屋に入ってきたエルディクスに少しも慌てた様子も見せず、まっすぐ彼を睨む。

 その視線をさらりと流し、彼は女――この屋敷の、事実上の主に挨拶をした。


「お久しぶりですね。セヴレス伯爵夫人、ヴィオラ様」


 長い黒髪に、凍てつくような青い瞳。

 年齢にあわせながらも豪奢なドレスを纏う、伯爵夫人ヴィオラ。

 さすがに若さに陰りこそあるが、その年齢には見えないほどに美しい。そりゃあ周囲も勝手に期待して祭りあげて王妃にしようって言うよな、と、エルディクスは内心思った。

 世が世ならば、国がくにならば、彼女は君主に添えられる花だっただろう。

 思い描いたままの人生を、謳歌できたに違いない。しかしリードの父はただ一人を望み、彼女はその『一人』にはなれなかった。それだけのことなのだ。

 さすがに彼の人はもう亡く、その年齢で王妃とかは言わないだろう。

 だから代わりに娘を、父親を人質に取ってまで。


 ――恐ろしい人だ、本当に。


 思い、笑みの形をしたまま睨むように見つめる。

 向こうは不機嫌さを隠さず、同じようにキっと強く睨み返してきた。それだけだ。さすがに武力を持たない相手に攻撃する訳にはいかないし、向こうもそんな無謀はしないだろう。

 マツリは二人を横目にそそくさと移動し、ベッドの上にいるセヴレス伯爵の下に向かう。近寄らずとも明らかに顔色が悪い彼だが、二人の登場にどこかほっとした表情を浮かべている。

 その力ない身体に、マツリは思わず口元をきつく結んだ。

 彼はエルディクスのような騎士ではないものの、それなりに鍛えていた様子だった。なのに今は見る影もなく、すっかりやせ衰えてしまっている。手の甲には年齢ではない陰影が強く浮かんでいて、頬もこけて、改めてクリスティーヌの絶望を考えて胸が痛くなった。

 愛する父がこうなっていくのを見続けただけでもつらいだろうに、知らずとはいえその片棒を担がされていたのだ。それを知らされた彼女の苦しみは、推測すらも追いつかない。

 伯爵が病床についたとされたのは、確か王がなくなる前後だっただろうか。

 それほど長い間、彼は毒を自ら飲み続けていたのだ。


「……クリスは、無事かい?」

 ネディカは状況の確認よりも先に、手元から離した娘のことを尋ねる。処置を開始したマツリを見れば、自分のことを尋ねてもおかしくはないというのに。

 夫人はそれを利用したのだろうか。互いに互いを想い合う二人のことを。己の目的、欲望のために。そう思うほど、ぱちぱちと魔力が爆ぜる音が、耳元でかすかに鳴った。

 大きく息を吸い、マツリは笑みを浮かべる。

「はい、クリスティーヌ様は、こちらで保護してありますから」

「そうか……それは、よかった」

 ありがとう、とネディカは震える声で感謝を告げる。

 安堵の笑みを浮かべる様子から、もしかして、とマツリは思う。もしかすると夫人の狂気から逃がすため、彼は娘を城へと上げたのではないだろうかと。あそこならば外部から遮断されて守られているし、少なくとも彼女がいる屋敷に置いておくよりは安全で、安心だろう。

 結局何らかの手段で夫人はその魔の手を伸ばし、あったかもしれないネディカの思惑通りとはいかなかったが、それでも彼が危惧したに違いない最悪の結果だけはどうにか免れた。

 だがこの様子からすると、ハッカが連れさらわれたことは知らないだろう。

 ずっとこの部屋に、押し込められていたならば仕方がない。


「すぐにお医者様をお呼びしますから」

 マツリは生憎、医療系の魔術は専門ではない。しかし簡単な応急処置ならばできる。ひとまず少しでもその身体に染み込んだ毒素を抜くために、解毒の魔術をじわじわと与えていった。

 長い時間をかけて身体に染みたものは、なかなか取り除くことはできない。

 それでも、しないよりはマシだろう。

「さすが、身分が卑しいものは図太いのですね」

 わずかによくなる夫の顔色に、ヴィオラは蔑視の視線を向ける。

 この二人が仮面夫婦を通り越し、形ばかり名ばかりの夫婦であるのは、子供でも耳にするくらい社交界でも有名だった。そういうことがそう珍しいことではないというのに有名になったのは、夫への負の感情を隠さない夫人の言動ゆえだろう。子供だって何となく察してしまう。

 だが、ここまで冷え切ったものだったとは。

 改めて、エルディクスはこの夫人に得体の知れない恐怖を抱く。そもそも腹を痛めて産んだ娘すら利用しようとした女だ、その心を理解できるとは最初から思っていないが。


 エルディクスは息を吸い、話を先に進める。

「なぜクリスティーヌを城に? しかもあんなことをさせて……あなたはそれでも」

「母親なのか、と問われるのは気に入りません。確かに産みはしましたけど、人の腹に十月十日も居座って泣き叫びながら生まれ、こちらに痛みだけを残していっただけではないですか」

 片手で口元を隠し、ヴィオラはころころと笑みをこぼし。

「わたくしは、酒に酔った父親を誘惑する、ふしだらな娘をふさわしい場所に送っただけ」

「ゆう、わく……?」

「えぇ。あの子は清らかな身体ではありません。そこの男に、捧げてしまった」

 ぎりり、と彼女は手の中にある何かを握り、ベッドの上にいる伯爵を睨んだ。ちょっとまってほしいとマツリは思う。だって、いくらあまり似ていなくても、それでも二人は。

 そんな悪い冗談をと焦る彼女を横目に、ネディカは息を吐く。

 知っていたのか、と、小さな声で呟いた。

 それを聞いたヴィオラは、にこにこと笑みを、ぞっとする微笑を浮かべて。


「知っていますとも。あの日を境に、あの子の色香が不気味なほどに膨れ上がって。所詮は貴方様とあの子は『赤の他人』ですもの、養女のようなものですから、倫理的には問題ないのでしょうけれど、あぁ、だからこそ虫酸が走る……あの子が、あの子ばかりが、あぁ」

 あの子ばかりが望むものを手に入れる、なんて。

「そんなこと許せませんの、少しも」

 クリスティーヌは父を知らぬ子でなければいけない。どこの誰かわからない男が父で、母からも見捨てられたかわいそうな娘で、利用されるばかりの哀れな子でなければいけなかった。

 だって、だからこそほんの少しの温情が映える。

 その不幸さを見て、溜飲を下げて癒やしを舐めることができる。


 なのに彼女は恋をした。父ということになっている男に。そしてそれを遂げてしまった。どういう経緯があったかなどどうでもいい、表沙汰にできない恋情は、しかし目障りだ。

 政略結婚にも劣る結婚だった。

 互いに結婚するという目的を果たすためだけの、それだけの婚姻だった。なにもないまま生まれてきた子供の父親については一度も訊かれなかったし、答える義理すらもなかった。

 そんなものは、お互い様だから。

 だが、彼女は見てしまった。

 書斎で一緒にいて、流行の演劇の話で盛り上がる父娘の姿を。

 それは親子というよりも、仲睦まじい夫婦そのもので。幸せそうに笑う男女、惚れ惚れするほどな幸福さ。互いに想い合っていると、交わし合う目を見れば問いただすまでもない。


 あぁ、それは。

 ――かつて一人の男と望んだ、悲願とも言うべき願いそのままで。


「だから壊してしまうしかないと思ったの」

 だって、とどこか幼い声色で、ヴィオラは続ける。

「あの子が幸せになっていいはずが、無いではないですか」

 自分は家を失い、家族を失い、望みもしない格下の男を結婚させられた。かつて夢を見た幸せは、時が流れるごとに遠ざかっていく。もう届かない、思い出すらも霞んでしまった。

 その上、自分を苛む『小娘達』は、気づけば自分が望んだ幸せを掴んでいた。

 当たり前のように、当然といった顔をして。

 愛した人と、一緒にいる。

 自分は、こんなに頑張った自分は、それを永遠に失ったというのに。


「だからレイアも、その夫も! そして――あの忌々しい花嫁も、クリスティーヌも!」


 自分が欲しくて欲しくてたまらなくて、失ってしまったものを当然のように手のひらで転がして大事そうにしている、あんな取るに足らない価値もない小娘達など。

 殺してやろうと――思ったのだ。

 自分という存在の、無意味さを思い知らされる前に。あの、かつては自分も浮かべていた幸福の笑みを、二度と元に戻れない場所て叩き落として壊してやりたかったのだ。

 そこにいるのはもはや、クリスティーヌの母親ではない。

 今のヴィオラはクリスティーヌを蔑むだけの、一人の女でしかなかった。


「あなた、あなたは自分の娘を、なんだと……!」

「娘だから何だと? わたくしはこんなにも『苦しい』のに、それでも必死に抗って、努力を重ねてきたのですよ。それなのに得られなかった、幸福、幸せを、何もしていないあんな子が当たり前のように与えられているなんて、そんな不条理を、理不尽を、許せるわけがない」

 ヴィオラは笑みを浮かべている。

 ゆがんで、壊れた笑みを。


「わたくしの首をはねてもあの子が汚らわしいことはかわらない! 父親に抱かれて、父親を誘惑して、そして喜ぶなどなんておぞましい。ましてや、酔った相手を誘うだなんて――」

「違うよヴィオラ」


 泣くように叫び笑うヴィオラの動きが止まる。

 声を発したのは、マツリに支えられてようやく立ち上がったネディカだった。どこか憐れむように妻を見ている彼は、苦笑に似た不格好な笑みを浮かべて、続ける。

「私はあの日、ほとんど酔ってなどいなかったんだよ」

「それは……どういう意味ですか? あなた、あなたは何を口走っておいでなの?」

「自分の意思で彼女を抱いた。酒の勢いではないんだよ」

 アルコールという魔法の後押しもなく、彼はその夜、娘として育ててきた彼女を抱いた。

 いや、その魔法を利用したのだ。

 手に入れてはいけないと思いながらも、どうしても抗えなくて。

 クリスティーヌもよい年になった、いつだってどこかに嫁いでいけるだろう。それが、きっと嫌になったんだ。この目を誰かが覗き込むんだと、そう思うだけで嫌だと思ってしまった。

 酷い話だ、それでも本心だ。

 父親という役を演じきれないくらいに。


「愛しているんだ、クリスティーヌを」


 それは罪の告白のようで、愛する人の母親に思いを伝えるかのようで、ヴィオラは、ただぼんやりと『夫だった人』を見つめていた。ひ、と息を呑んだ音が、震えるように小さい。

 その手から、毒々しい青い液体がゆれる小瓶がこぼれ、床へ落ちていく。

 かしゃん、と小瓶が砕けるのと、夫人が崩れ落ちるのは同時。


「や、だ……もぅ、やだ。どうして、どうして、いや、いやよなんで、どうして。わたくしはこんなにくるしい、くるしいがいっぱいなのにねぇ、どうして? どうしてわたくしだけが」


 顔を両手で覆い隠し、何かを拒絶するように左右に首を振るヴィオラ。

 まるで若い少女のように泣き出した姿に、マツリとエルディクスは彼女の娘を重ねていた。

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