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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■11.奪還作戦
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暴かれた恋

 かつん、と廊下を歩く。

 不自然なほど人がいない道のりに、少しの違和感も得られない。そんなことより、これからしなければいけないことが重要。人払いをされている、そんなことはどうでもいいのだ。

 この時間は、彼は執務室の隣にある休憩用の寝室にいる。

 だからそこに向かう。


 ――向かって何をするの?


 決まっている。

 襲うのだ。


 殺すわけじゃない、危害を与えるわけでもない。ただ、その場所にいる男の子供を胎に宿させるというだけの、さっと終わるだろう実に簡単なお仕事をしにいくのだ、これから。

 そのために、自分は女に生まれた。

 金と時間をかけて磨き上げ、どんな男も靡かせられるようにした。

 大丈夫、どうせ初めてではない。痛みも無いから一気に、そう一気にコトを進めることができるだろう。ほんの少し、ちょっとだけ、我慢すればいいだけの楽な役割である。

 だってこれが終われば――これが終われば?

 終わった先に何があったか、考えても思いつかないから忘れた。とにかく、自分は役目を果たさなければいけない。そのために生まれた、そのために生かされた、あぁなんて罪深い。


 ――やくめをはたせないなら、しんでしまったほうがましよ。


 どこか彼女は、夢を見ているような心地だった。軽く酒をなめたような、ふわりふわりと世界が滲んで揺れている感覚。きもちわるい、きもちわるい、だけどきもちいいと思わないと。

 これからするのは楽しいことで、自分の使命で仕事で存在意義。

 よいことだ。

 これは、自分にとっていいことだ、なんて。


 ――バカみたい。


 心の奥が震え上がるほど、痛いくらいに冷えきっている。そんな自分から目をそらす。気分を無理やり引き上げてテンション高く、けれど実態は冬のように死んでいる。

 カラ元気どころではない、演技すら超越している。

 これは狂気だ。

 それでも口元には笑みが浮かんでいる。

 好きでもない男に身をゆだねるという嫌悪さに、今にも泣き叫びそうなのに。それでも自分が身体を使い捨てたその先に、もっとも愛するあの人の幸福があるのだと信じているから。

 どうせこの身を、あの人がほしがることなどもう無いのだ。

 彼女がどんなに望んでも、どんなに淫らに振舞っても、きっと何もしないのだから。

 それでも彼女は、がんばって自分を磨いた。あの人の好みに合うように、立ち振る舞いからがんばった。母親に言われた以上に黙々と、彼にふさわしいレディになるために。

 かわいいね、と褒めてほしいから。

 どんな形でもいい、愛されたかったから。

 そう、わたしは彼のためのわたし、彼のために育った花。叶わない空想を栄養に、人から隠すように静かに育ててきた。本音を建前の向こう側に隠して、何も知らない小娘を演じた。


 ――それでも何かが滲んでいて、その結果があの夜だった?


 そうかもしれない。

 他の家族がいない二人っきりの夜。

 彼女は、夜会帰りのあの人をお風呂上りに出迎えた。普段はあまり飲まないというのにやけにおぼつかない足取りをしているのを心配し、部屋まで支えながら送って。

 気づけばその腕の中に納まっていて、優しく甘い声で囁かれ。

 ベッドにそっと押し倒され、そして――すべてを、あの人に捧げた。

 思い出すだけで、心の中がふわりと酔う。望まない結婚をするのだろうと思って、望まない相手に捧げるのだろうと思って。一夜の夢に、捧げたいものを与えられたという幸福に。

 酔った勢いでもよかったし、その結果、あの人の子を孕んでもいいと思った。


 ほしかった。


 あの人が――彼女が母と呼ぶ人と、確かに彼女を産んだらしい女と、世間的には夫婦というつながりを持つあの人が、彼女は、それがどういう罪であっても欲しいと思ってしまった。

 朝、眠るあの人の腕の中で目を覚ました瞬間、胸に浮かんだのはわずかな後悔。

 そして、それを覆い隠すような悦び。

 このままずっと、ここにいたらどんな顔をするのだろう。目覚めるまで一緒にいたら、どんな反応をしてくれるだろう。何もかも壊れてしまう、だけどどうせ最初から壊れているから。


 ――だから、いいじゃない?


 そう囁く欲求に抗い部屋を出て、彼女は何も無かったようにすべてを片付けた。

 だからあの夜を、甘美な時間を知っているのは自分だけ。前後不覚になるほどに酔っていたあの人は覚えていないだろうし、使用人は眠っていて気づかなかったはずだ。


 ――そう、あれは私だけの秘め事。


 ぞくり、というこみ上げる甘い痺れに、彼女は身体を振るわせた。

 世の中には飲み干すと心身を高ぶらせて、無理矢理にでも『その気』にさせる、という恐ろしい薬があるという。もしその薬を摂取したなら、きっとこんな心地だったのだろう。

 思い出し、無理やりすべてを高める。

 頭をバカにして狂わせて、狂気を身体に染み渡らせる。

 今ならいける。

 あの人以外の男に、この身体を好き勝手させることを、許せると思う。泣き叫ぶ心は首を絞めあげれば静かになるし、それでもうるさいならナイフで突き刺して壊すしかない。

 これしかない、もうこれしかないのだから。

 省みる我が身なんて、彼女にはもう存在しないから。

 思い出すのは数分前のこと。

 侍女に導かれ向かった先にいたのは、この城にいるはずの無い兄と――母の姿。なぜ、どうして、という問いかけより先に、彼女の頬を高い音が襲う。母が、平手打ちしてきたからだ。


『どうして王子を篭絡できないのですか』


 久しぶりに見た娘に、母が向けたのは侮蔑の言葉だった。


『そんなふしだらな身体を持つくせに、役立たずな』


 心から、娘を蔑み汚らわしいと思っているのがにじみ出る声音。しかしそれは彼女の母としてはいつも通りだったから、彼女はさほど気にしなかった。恐ろしいことだが、これが平時。

 きっと、いつまでたってもあの男を篭絡できない、不出来な娘を叱りに来たのだ。

 けれどその口から飛び出すのは、彼女の心を追い詰める言葉。


『父とみだらな関係を持ち、挙句に父を殺そうとする罪人なのですから、もはや捨てるものなどないというのに。早くするべきことをし、お前は兄のための礎となりなさい』


 哂う母から知らされたのは、知られていた罪と、知らずに犯していた罪。

 彼女は知らなかった。

 あの夜のことを、母に知られていたなんて。毎日、あの人に届けていたあの薬が、その身体を傷つけ蝕むものであったなんて。だって薬だっていったじゃない、そういったじゃない。

 それと承知で、あの人がすべて飲み干し続けていたなんて。そんなの知らない、聞いてなんてないおかしいおかしい、毒をそうと知っていてなんで、どうしてどうしてどうして。

 わたしなんかに、あの人はそこまでしてくれるというの。

 あなたの娘を自称する薄汚い、こんな。

 幼い頃から疑問だった、父にも母にも似ていない自分が。だからいつかのある日、彼女は母親に尋ねたのだ。自分は本当にあの人の娘なのか、本当にそうなのか。

 それは関係を持ったがゆえの恐怖だったのかもしれない。しかし不機嫌そうに睨みつけてくる母から聞かされたのは、血の繋がりの有無よりも恐ろしい言葉だった。


 母は言う。

 お前の父は自分も知らないと。ある日の夜会で、見ず知らずの相手と一夜を共にし、そしてできたのが彼女だと。母だった女は笑って、そして娘に対して言い切った。

 お前は汚らわしい生まれなのだから、せめてわたくしの役に立つよう努力しなさい、と。

 そのために、そうだから、だから必死にやって来た。それが全部意味がなかった。娘を名乗る資格のないこの存在は、終始あの人を苦しめ傷つける『毒』にしかなれない。


 ――もう、どうでもいいのよ。


 どうでもいい。

 どうせあの人がこの身体を、ほしがることもないし、娘と父以外にもなれない。血の繋がりよりも、自分と彼を取り囲んで縛り上げる周囲と過ごした時間が、真実がどうあっても先へ進むことを決して許してはくれない。彼女は、彼女が望む、彼のための自分にすらなれない。

 自分の運命は母に縛られ、兄のための供物として捧げられ。

 この城に、永遠に繋がれる。


 それ以外に、あの人のために彼女が生きる道はもうない。それに殉ずることが、知らぬこととはいえど自分がこの手で苦しめたあの人への償い、そして救いになるのだと信じて。

 彼女は、わずかに胸元を緩め、髪留めを床へと投げ捨て。

 ドレスのすそを捲り上げると、太もももあらわに、男の身体に跨ったのだ。



   ■  □  ■



 あぁ、ころして、だれかころして。

 わたしをいますぐころして。

 だからあのひとを、たすけてください。

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