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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■0.転機の朝
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王の急逝

 数ヶ月前のその日、城の中は騒然としていた。

 長らく病に臥せっていた国王が、ついに天へと旅立ったのだ。長く穏やかな時代を築いた偉大な王の崩御は国中に広まり、民に慕われた彼の死に誰もがその胸を痛めたという。

 国王はすでに亡き最愛の王妃との間に、一人の王子を授かっていた。臥せってから徐々に権力などはその王子へと移行しつつあったのだが、いかんせん、王子はまだ若い。

 他国と比べ、この国では成人とみなされる年齢は高く、男女共に十八歳ぐらいだ。婚姻はもっと前からできるのだが、王子はまだ十七で、しかも婚約者などもいないという状態だった。


 未成人の王族が王位を継ぐには、いくつか条件がある。

 一つは、何かしらの後見人が付いていること。これは王妃の実家である公爵家が担うことになった。そうでなくとも宰相を筆頭に、代々国の中枢を担った名家、異論は出ない。


 そしてもう一つ、王子が乗り越えなければならない条件に、婚姻していること、という一文があった。これら二つ以外にも細々とあるが、ほとんどは即位したあとのことになる。


 即位する前にしなければならない、いや、乗り越えなければならない壁。

 とはいえ通常、この二つは壁という程でもなかった。よほど幼い場合を除き、未成人で即位することになる王子はそれなりの年齢で、婚約者も当然いるから婚姻など簡単なのだ。

 そして後見人も妻の実家が務めることが多く、通常は特筆するほどでもない。

 当然この一人残された王子にも、すぐさま縁談が組まれたのだが。


『俺を愚王に仕立てあげるつもりか』


 ある貴族から持ち込まれた縁談――提案を、王子は一言で蹴り飛ばした。

 というのも、すでに後見についた公爵家の令嬢を、という話になり、選ばれたのは王子自身の従妹だったのだが、彼女にはすでに相思相愛の婚約者がいたのだ。つまり想い合う二人を引き剥がして即位しろと言われたに等しく、父のような名君を目指す王子は拒否したのである。

 しかし、身分的にもなかなか釣り合う令嬢は見つからなかった。

 十七歳ともなればほとんどの令嬢が縁談が決まっているかすでに結婚済みで、それ以外は何らかの『事情』があって独り身の年上か、あるいは子供にしか思えないほどに幼いか。

 王子の言動から、すでに決まった縁談を蹴り飛ばす、という賭けにも出られない。それで王子に見初められればいいが可能性は低く、最悪の場合は何らかの悪評がついて嫁に出せない可能性すらある。未来の王妃という椅子は魅力的だが、失敗した場合のリスクが大きすぎた。

 そうして王を欠いたまま、流れた時間は半年。

 幸いにも国王が長く病にあったため、早くから王子は父の代わりにいろいろと仕事をこなしてきた。周囲のサポートもあり、国が乱れる、ということだけは当然のように回避している。


 とはいえ、だ。

 王の崩御から数ヶ月。

 これ以上、君主がいないというのはさすがにまずい。

 現在の王族は王子ただ一人といっていいだろう。古い時代のある事件から、この国は王妃以外の妻を持たない。よって王族の数はそれほど増えず、王子には兄弟姉妹がいなかった。

 そして亡き国王にもきょうだいがいなかったため、いよいよ貴族は焦ったのだ。


 ――もしかしたら王子は、身分違いの恋をなさっているのではないか。


 時折貴族の口に上るその言葉は、もはや願望に近かった。今なら貧しい市民が王子の恋人だという事件が起きても、彼らは喜んで未来の王妃を受け入れるだろう。

 しかし、件の王子は浮いた話の一つもなく、今日も一つの主張を繰り返す。

「だから結婚は後回しにして、先に即位を行えるように整えろと何度言えばわかる!」

 結婚より即位だと、と。

 書類が高く積み上がった机を、王子――リード・エクルシェイラは叩いた。

 母ゆずりのつややかな黒髪はわずかに乱れ、父と同じ赤みを帯びる橙色の目元には粉をはたいても隠しきれないクマがある。とても人に会える顔色ではなく、実際にここ数日彼に変わって客人と会っているのは彼の目の前で怒鳴られっぱなしの、しかし笑みを浮かべた青年だ。

 しかし彼も顔色が悪く、どちらも十代後半には見えないほど疲れきっている。


「そもそも、ね」


 と、リードとは対照的な金髪を長く伸ばした彼は、にやりと笑う。

 幼なじみであり側近でもあり、いずれは父親のように宰相としてリードの傍に居続けるのだろうエルディクス・ライアードは、怒鳴られているというのに余裕をまったく隠さない。

 それもまた、精神的にもまだ若い王子の神経を逆撫でているのだが、わかってあえてやっているあたり質が悪いとしか言えないだろう。エルディクスは笑みを深めつつ、視線を外し。

「今までお遊びの一つもしない、お固いリードがいけないんでしょ。だからマツリに手を出してもいいよってボクは何度も言ったのにねぇ。今なら国籍不明の彼女も、受け入れられるよ」

 部屋の隅に佇む、黒い少女を見た。

 黒いローブをまとってフードで顔色を隠す、黒髪の少女は何も言わない。まるで置物になったかのように、静かに立っている。エルディクスの発言に、何の反応も示さなかった。


 それが、気に入らなかったのだろうか。

 エルディクスは嘲りの笑みを浮かべ、何かを思い出すように目を閉じた。

「あぁ、こんなことならあの時、彼女を抱く権利を譲っておけばよかったよ」

「……エル、エルディクス、お前」

「何を驚いているんだい、リード。彼女はそのための『道具』でもあるんだよ? 君のためにボクは、彼女を一年前、違う世界から誘拐したんだ。そして一週間もかけて彼女と元の世界の繋がりを断ち切った。全部キミのためだ。だからこそ、リードには王になってもらわないといけないんだよ。でなきゃあの一週間の意味がない。だから、マツリを好きにしていいんだよ」

 ぴくり、とマツリの華奢な肩がゆれた。

 ローブの影に隠れて見えない表情の代わりに、その口元は雄弁だった。固く閉ざされこわばった唇は、少し色を失っている。おそらく例の『一週間』で見た悪夢を思い出したのだろう。

 何があったのか、その詳細をリードは知らない。

 だが『何をするのか』は知っている。

 彼女の反応を見て、リードは表情を曇らせた。


「だが彼女は……お前の、妻だろうが」


 もし、この場に第三者がいれば、一連の流れに絶句していただろう。エルディクスは、自身の妻である少女を、王妃だか愛人だかとして、王子に差し出そうと言っているのだ。

 もっとも、驚く一方で納得もする一面もあるかもしれない。

 彼とその妻が『仮面夫婦』なのは、城内では有名な話だからだ。

 マツリ・カミシロという少女は魔術師として高い才能を持つというのに、異国からやってきたという身分ゆえに城でその力を振るうことが許されない。それゆえに、若くして浮き名を流しつつも特定の相手がいなかった彼が、彼女を国の中枢へ押し込むために妻にした。

 これがこの夫妻のカタチとして、公然と語られる噂だ。

 そしてそれは、限りなく真実に近い。


「別にね、愛し合っているわけじゃないさ。必要だからそうしただけ」


 使える道具の『仕上げ』として結婚したんだよ、と。

 エルディクスは笑い、言い放った。

「例えるならこれは契約かな。側近であり貴族であり、宰相などを務めてきたライアード家次代当主であるこのボクの妻となったならば、彼女を君の傍に難なく置けるだろう?」

 言い切るエルディクスに、それは違うとリードは言えなかった。

 いくら才能があっても、身分が不確かな存在が上に行くことはできない。マツリという稀有な才能を持つ魔術師が『宮廷魔術師』という位を得、王子である自分の傍にいるのはそれ以上にエルディクス・ライアードの妻であり、その背後に公爵家というものが存在するからだ。


 ましてや――マツリは、この世界ではない場所から来た存在。

 自身の道具とするためだけに、エルディクスが『誘拐』してきた無関係の少女だ。

 世が世なら、国が国なら、彼女は良くて観察対象。悪くて実験動物だろう。目的が目的だったがためにこうして平穏にいられるが、もし何かが狂っていれば彼女の命は危ういだろう。


 例えば魔術の才能がなかったら。

 もしもそうだったら、彼女にここにいる価値はなくなる。

 だが、エルディクスはこう答えるだろう。自分がそんなミスをするわけがない、と。その自身の溢れっぷりが時に羨ましく、だが時に恐ろしいものとしてリードの目には映り込む。

 彼は、マツリは自分を裏切ったりはしないと言い切って、実際にマツリは従順に道具として影に佇んでいるわけだが、リードからすればマツリが何も言わないことが恐ろしい。

 いきなり見ず知らずの違う世界に連れさらわれ、身も心も好きな様に扱われ、道具として扱われる現状に、リードであればとても耐えきれるものではない。心は確実に死ぬだろうし、おそらくはその前に殺される。抵抗、という名の最後のあがきを見せ、その報いとして。

 だがマツリはそうはならず、エルディクスは彼女を異国の魔術師として仕立てあげた。


 この国では珍しい黒と黒の組み合わせ。

 夜のような髪、黒曜石のような瞳。


 それらを使って、さながら巫女のように祭り上げた。


「……ともかく」

 相変わらずの凍りついたような夫婦を見て、リードが口を開く。

「結婚の話は後だ。マツリをどうこう、というのも一年前に話がついただろうが」

「……相変わらず頑固だなぁ」

「うるさい」

「まぁ、いいけど……せいぜいがんばって、議会を説得したまえ」

「元よりそのつもりだ。お前が余計な動きをしなきゃな」

「余計とは失敬な。ボクはいつでも、君を思って行動しているんだよ、リード」

 エルディクスはクスクスと笑い、すっと背を向けて扉の方へ向かった。マツリがその動きを目で追いかけて、それからリードを見て小さく頭を下げる。よくわからないが、そういうことをするのが彼女の故郷の習わしか何からしく、もはや無意識の癖になっているのだろう。


「……いろいろ、怪しい動きがあります。お気をつけて」


 最後にそんなことを言い残し、マツリはエルディクスを追いかけるように去った。

 小さな音を立ててと出された扉に向かい、リードはつぶやく。

 わかりきってるさ、と。

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