ジャンヌダルクと花火大会
私はジャンヌ=ダルク。
現在は、十字まもりと言う肉体に生まれ代わり日本と言う国で隠遁生活を送っている。
今日は、花火大会と言う名の祭りに行った。
美少女の私だから、好きな男と一緒なのかラブコメ好きな輩なら思いそうなものだが、私は神にその身を捧げた、神聖なる永遠の処女であるのだからそんな事はあり得ない。現生の父や母……つまり十字一家全員で行ったのである。
小学校の時以来、こう言った人の雑踏にはうんざりしていて敬遠していた私だが、久しぶりに来てみるとこの薄暗い屋台の数々はまんざらでもない感じだ。ところで、祭りといえば、祖国フランスで私の事を祝した祭りがあるらしいが、前世の父や母の墓参りも兼ねて行ってみるのも無くは無いと思う。ただ、そんな遠くまで遠征する資金は、無職の私には到底捻出できるものではなわけだが。ああ……父ジャック奈並びに母イザベルよ、こんなふつつか者の親不孝な娘で申し訳ありません。あなた方との隔たりが、今は余りにも、余りにも大きすぎるのです……天使様方と同じくらいに……
そんな事をぼんやり考えながら、屋台で買ったアメリカンドッグを食しながら我が一家は花火を見るために会場に向かう。こんなものがフランスにあれば酒のつまみに最適だったろうきつね色のこん棒状の食べ物は、不覚にも私の舌を幸せにする。前世の父ジャック並びに母イザベルよ、こんな異国の食べ物に堕落する私をどうかお許しください……本当に、この食べ物はおいしいのです……
会場は、川べり……堤防の下であった。
早めに行った事もあり、場所は問題なく確保できたので、父はブルーシートを広げた。ブルーシートには懐かしのテレビアニメ「少女維新ユラテナ」の絵が書いてあるのが何とも心雑だが、硬い地べたに私のアフロディーテにも勝るに劣らぬ柔尻を直接乗せるはしたくない。諦めて、主人公ユラテナの顔の部分に腰を下ろした。この国では過去に「踏み絵」というものを行い、キリスト教を弾圧した過去がある。絵とはいえキャクターの顔に尻乗せするのはそれにちょっとそれに似ているような冒涜感は感じるが、それ以上の冒涜を多くの人間が行っていることを考えると、まことに些細なことであると感じる。よって、この場は気にしない事にした。
7時30分頃から、漆黒の夜空を光の花が照らし、まるで大熊か小熊の発砲のような轟音が天に響き渡る。久しぶりに直に見る花火は、この国の夏と言うものを際立たせ、ノスタルジックな思いに深けさせる。
咲き誇る花火を眼中にとどめていると、それがまるで人の輪廻を比喩しているように思えてくる。
竜の如く天をかけ上り、一瞬命の光を強く放ったと思えば、後は儚くも散って灰となり地に落ちる。しかしその光の破片達は多くの新たなる命を宿し、それらはまた強い光を放ち天へ向かうのだ。
私もまた同じだった。あの冤罪の炎に焼かれる中で、ガブリエルさまに「あなたの下に参らせてください」と言った。しかし、それは結局叶わなかった。天使様は、天に昇ろうとした私を拒絶し、その灰になった身体を再び地上に落としなされたのだ。聖女と言えどもその処遇が変わる事は無かったのは、必然であるのか、或いは神が失われたからなのか……
私は、そんな思いに駆られながら茫然と団扇を仰ぎ、光霞む刹那の楽園見上げ続けた。
近くて遠いその花園を、たまにヤキソバを食べながら。