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カサネ  作者: maruzhiye
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2.追われる九条みゆき

 薄暗いホームを抜けて改札を通るころにはあたりはさらに湿気を帯び、蝉の鳴き声はあたりの薄暗い影に飲み込まれてしまったかのようにすっかり消えていた。ひっそりと静まり返った駅の入り口に立ち、九条みゆきは足を止めた。園芸店の店先に売られている傘の中に色鮮やかな赤い傘を一本見つけたのだ。

 駅前の半ばシャッター通りと化した商店街の入り口は足早に行き交う人を吐き出したり、飲み込んだりしていた。踏切がけたたましく鳴り出すとさらに人々は足を速めた。まっすぐ伸びた線路の先に小さな列車の姿が見えた。

 トンッ……。

 みゆきは肩を震わし振り向いた。タクシーのフロントガラスに大きな雨粒が叩きつけられ潰れている。四方に広がった大きな雨粒から雫が滴っている。異様に大きな雨粒がふたつ、みっつと数を増やすとあたり一面雨音に包まれていく。

 フロントガラスから目を離すと紺色の制服を着た運転手がくわえていた煙草を地面に捨て、立ち上る煙ごと黒く光る革靴でタバコを踏み潰した。顔の半分ほどが青紫色の痣で覆われた運転手はドアに手をかけている。みゆきと目が合うと、黄色くヤニで汚れた歯を見せてにやりと笑った。慌てて目をそらすと二三段の低い階段を無視して駆け出した。肩からずれ落ちるバックを肩にかけなおしながら通りを渡ると、薄暗い園芸店の前に立った。ちょうど店の中から中年の女性が大きなビニールシートを持って出てきたところだった。

「すみません、傘を…」

 みゆきがそういうと女はうれしそうに、ブルーのチェック柄のエプロンで汚れてもいない手を拭いた。

 薄暗い店の置くから機械的なレジの音が聞こえてくる。その音を聞きながら、まだ陽のぬくもりの残る赤い傘を手に取った。雨音が大きくなっていくにしたがって妙な胸騒ぎも大きくなっていく、少し大きいが、赤い傘のずっしりと手にかかる重さとぬくもりが、みゆきの心をほんの少し軽くしてくれた。

 園芸店の女に礼を言うと、傘のボタンに手をかける。けたたましくベルの音が聞こえ、みゆきはあわてて振り向いた。ヘルメットを被り自転車に乗った中学生が二人、みゆきの前を駆け抜けていく。前かがみになって必死に自転車をこいでいる。その後姿を見つめながら傘を下ろし、商店街の入り口に向かう、書店に張り出したテント屋根を見つけた。急いで通りを横切り屋根の下に入ると傘のボタンをはずした。紐が弾け飛ぶと傘の中に手を突っ込み鉄の硬いボタンを押した。勢いよく赤い傘が広がる。

 赤い傘が広がる瞬間、通りの向こうに立つ一人の女の姿が目に入った。瞬きをすると女の顔が目の前に迫ってくる。げっそりと痩せた頬、その張り出した頬骨の上に飛び出した目玉が二つのっている。目元が落ちくぼみ深い影をつくっているが恐ろしくぎらぎらと光る目玉がそこから落ちずにじっとみゆきをみている。黄色く変色したような白目の部分に紫色の血管が浮いていた。

「気色の悪い女…」

 気味の悪い女に悪態をつきながら舌打ちをすると傘をおろしてあたりを見た。女の姿は足早に行き交う人たちの中に掻き消えて見えなくなっていた。

 傘を持ち上げ落ちてくる雨をさえぎると足早に人の流れに潜り込む。傘に当たる多量の雨が滝のように滑り落ちてくる。両手で傘を支えみゆきは身を縮めた。打ち上げられる雫が足元を濡らすのを不快に感じながら歩く。やがて駅前の喧騒は消え、半ばシャッターを閉めた店が目立ち始めた。

 みゆきは細い通りに道を変えるため通りをわたり、路地の前に立った。薄暗い路地の奥は雨のカーテンで遠くまで見通せない。路地に踏み込むと、そこには狭い敷地内に敷き詰められた古びたお店が並んでいた。色あせた小さなコピー機の箱をいまだに店頭に置いている電気屋、角の曲がった学習ノートを売っている薄暗い文房具店、いまはもうやっていないであろう床屋の店先にはぼんやり空を眺める老人が小さな木製の椅子にこしかけていた。その前を急いで通り抜けると、小さな十字路が見えた。

 一台の黒い車が水溜りを激しく叩き、水しぶきをあげて十字路を横切って行くのが見える。少し広くなっているその その道に出る頃にはさらに雨は激しさを増し、みゆきの袖口までもぐっしょりと濡れていた。

 小さな十字路には滝のように雨が降り注ぎ、まるで道に迷ったかのようにみゆきはあたりを見渡した。古びた喫茶店が向かいの通りにあった。大きな窓ガラスに流れ落ちている大量の雨水のせいで店内がゆらゆら陽炎のようにゆれいている。その中にウェイトレスの姿が見えた。遠くから白いバンが水しぶきを上げながら走って来るのが見える。

 意を決したように道路に踏み出そうとしたそのときだった、ガタリッ、木製の椅子がひっくり返る音とともに老人のくぐもった小さな叫び声を聞いた。

 振り返ると、ひっくり返った老人の目線の先に異様な女がたっている。傘を持たない女性の体は雨にぐっしょりと濡れ、薄いワンピース生地が体にびっしりと張り付いている。のどぼとけが飛び出し、肉はいたるところ陥没し深い影をつくり、首筋から肩の骨が凶器のように浮き上がっている。

 異様に痩せた女の足元に転がる老人はあわてて声を飲み込み平静を装うように椅子を立てようとしていた。女はじっと老人の曲がった背中を見下している。いそいそと椅子を畳み店の奥に老人は姿を消した。

 女の首が不自然に傾き、ゆっくりと動き出した。まるでブリキのオモチャが音を立てながら動いてるようだった。濡れた髪の間から黒い瞳がのぞいている。黒い瞳から感じられる憎悪にみゆきは身を縮めた。

 その瞳の奥にフラッシュバックするように自分の過去が映し出される。手で口をふさぎ声を上げそうになるのを必死で止めた。頭の中に描かれる自分の所業を払いのけるように雨の中を走り出した。

目の前を白いバンが水しぶきをあげて走り抜けた。水しぶきは膝まで上がりみゆきの足を濡らした。もう少しで引かれるところだった。

 女は喉を鳴らしている。振り返ると肩が揺れ笑っているのが見えた。

 みゆきは喫茶店に向かって走った。濡れることも構わず傘を閉じながら走った。

 雨が服を濡らし、服は体にまとわりついてくる。不快な汗が雨に混じり、アスファルトと濡れた服のにおいに吐き気がした。

 喫茶店のドアを開くと蒸し暑い日々であったことを思い出させるほど冷房が効いていた。コーヒーの匂いが、雨の匂いを吹き飛ばしてくれた。

 みゆきはうつむいたまま、胸をなで下ろした。蛍光灯が床を照らしており、その床を見つめることさえもみゆきにとっては安心できる材料だった。



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