理由・3
「あれ? ここはどこ? 私は……」
体を起こすと少し頭がフラフラした貧血かなぁ……貧血?
少しずつ何が起きたのか思い出し始める、でもそれが夢なのか現実なのかはっきりしない。
血がいっぱい出てて右手で……
右手を翳してみると僅かに爪の間に拭き残った血の跡がある。
そこで記憶がはっきりと蘇った。
そして恐る恐る鳩尾の辺りを触るが傷など何処にもなかった。
「な、なんで?」
何かを忘れている、そして何故か胸騒ぎがする。
慌てて飛び起きて部屋の中を見渡した。
そこは私が高校に入学するまで使っていた祖母の屋敷の雫の部屋だった。
「ハルトさんはどこに居るんだろう」
すると頭の中にハルトさんが刀の様な物を持っている姿が浮かんできた。
男子生徒に小突かれて、窓にぶつかる。
窓枠が外れて窓が落ち、自分の体も宙に投げ出されて。
ガラスが体に突き刺さり、沢山の血が出て。
ハルトさんが……
記憶が鮮明に思い出されると鼓動が跳ね上がり足がガクガクと震え出した。
そして体に何処も怪我が無いという事は、ハルトさんが自分の血で……
どれだけの血を使えば、瀕死の私を救えるのだろう。
そう思い1階に居るであろう祖母の元に行こうとするが体が思うように動かなかった。
何とかリビングの入り口まで歩いてきた、するとリビングから話し声が聞こえてきた。
「そうか、時雨と雫がダブったか。ハルには辛い思いをさせてしまったな」
「大丈夫でしょうか、彼は」
「それはなんとも言えないな。シーランならどうする」
「私なら耐えられません。自分が愛した人と同じ事が目の前で起こるなんて」
「今度こそハルは覚悟を決めるかもしれんな」
「そうですね。でも彼女はまだ」
「これが運命なら、話すべきは今じゃろうな」
お婆ちゃんと鳴海先生の声だよね。
ハルトさんが覚悟を決めるそれってどう言うこと?
ハルトさんとお婆ちゃんの言葉が頭を過ぎった。
『同じ匂い……』
『消息不明 生死不明』
そして……
『死にたがりのヴァンプ』
ハルトさんが居なくなってしまう、そう思った時にはリビングに駆け込んで声を上げていた。
「ハルトさんはどこに居るの? ハルトさんのところに連れて行って!」
「雫、落ち着くんだ。お前の体は本調子じゃないだろ」
お婆ちゃんが私の肩を掴んでパニックになっている私を宥めた。
「私の体は大丈夫。ハルトさんが治してくれた。でも、ハルトさんが!」
「雫ちゃん、連れて行ってあげるから。少し落ち着きなさい」
「ゴメンなさい」
歯を食い縛り涙が溢れそうになるのをなんとか我慢した。
「雫、辛い判断をしなければならないかもしれない。お前は耐えられるのかい?」
「ハルトさんは私に生きる勇気をくれた。だから平気」
でも、お婆ちゃんの言葉は私が思っている以上に重い事を私は知らなかった。
鳴海先生の運転でハルトさんの車で学校に向った。
街灯が点き始めていた。
それでも日本の南西の端に位置するこの島は日が落ちるのが遅く、冬といってもまだ少し明るく薄暗い程度だった。
校内に入ると流石に人の気配はしなかった。
「でも、何でお婆ちゃんまでついて来たの?」
「こうなったのは私にも責任があるからだよ」
ふと前を見ると薄暗い校舎の間から誰かが走ってくるのが見える。
段々姿がはっきりとしてくる、それはまだ制服のままの雪乃ちゃんだった。
「雪乃ちゃん……」
私はそれ以上言葉を続けられなかった。
雪乃ちゃんは厳しい顔つきで何も言わず涙を零しながら私の手を引っ張り走り出した。
「どうしたの? 雪乃ちゃん?」
転ばないように雪野ちゃんに合わせて走り出す。
するとお婆ちゃんと鳴海先生も後ろを走って付いてきた。
そして雪乃ちゃんに体育館の裏に連れて行かれて私は言葉を失い、体が動かなくなって立ち竦んだ。
奈々枝ちゃんとミコちゃんが大上先生の足に必死にしがみ付いている。
大上先生の顔を見ると目が血走り獲物を襲う様なギラギラとした目つきで何かを凝視している。
大上先生の凝視している先には、ボロボロになった蝙蝠の羽の様なものが散乱していて。
くすんだ虚ろな金色の瞳をしたハルトさんが体育館の壁に凭れるように倒れこんでいた。
体には力がなく着ているシャツは所々裂けて薄汚れている。
「馬鹿が、何て事をしたんだい!」
「こいつの所為で時雨が」
お婆ちゃんが大上先生に向って声を荒げると、大上先生に向ってお婆ちゃんが叫んだ。
「それを時雨の孫のこの子に向って言えるのかい? この若造が!」
「し、時雨の孫? そのガキが?」
「ああそうさ、雫は時雨姉さんの孫だよ。あの後、結婚しなかったのは妹の私で。姉さんは結婚して雫の母親を生んで直ぐに亡くなってしまった。それでも幸せだったはずさ」
「そんな馬鹿な」
大上先生の体から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
奈々枝ちゃんとミコちゃんがハルトさんの元に走り出してハルトさんの体にしがみ付いて泣きじゃくっていた。
「お婆ちゃん、本当なの? 私がお婆ちゃんの孫じゃないって」
「すまないね、本当の話だよ。話す機会がなくてね」
「ううん、お婆ちゃんが私のお婆ちゃんにはかわりないもの。でも何で雪乃ちゃん達が」
私の手を握っていた雪乃ちゃんの瞳が不安そうに揺れている、何かを言おうとした時にお婆ちゃんが話し始めた。
「昔、ハルが日本に居た時にはね沢山の弱い者たちを助けているんだ。雪童女ゆきわらめや妖孤、それに座敷童子。
慎ましく暮らしているだけなのに心無い人間に追い回されたり、仲間に苛められたりしていたのをね。だからそんな子達がこの学校に居るのかもね」
「そうだね、優しいもんね。ハルトさんって雪乃ちゃんや奈々枝ちゃん、それにミコちゃんは私の大切な友達だもん。雪乃ちゃん、ハルトさんの所に行こう」
今度は私が雪乃ちゃんの手を引っ張って走り出した。
「ボロ雑巾みたいだね、ハル」
「この頑丈な体が恨めしいよ。何百年ぶりかなこんな姿を晒したのは」
「早く起き上がりな、心配ばかりかけるんじゃないよ」
「相変わらず口の減らないご婦人だ。立ち上がればいいんだろ」
そんな事を言いながらハルトさんが壁で体を支えながらフラフラと立ち上がった。
「本当に馬鹿ばっかりなんだから、ハルだってとっくに気が付いていたんだろ」
「何をだ?」
「時雨と雫の関係だよ」
「さぁな、もう暗いんだから帰ろうぜ。今日は疲れた。帰って眠りたいよ」
「これからがお前達の時間じゃないか」
「今日は勘弁してくれ」
お婆ちゃんと言い争いみたいにしながらハルトさんは自分の足で歩いて行き何とか車に乗り込んだ。
「また、明日ね」
雪乃ちゃん達と校門で別れて、鳴海先生の運転で家に帰ってきた。
家に着くとハルトさんはフラフラしながらも階段をあがり部屋に入るなりベッドに倒れこんだ。
背中から見える羽は無残にも引き千切られたままだった。
「良い子だ、良くここまで我慢したね」
お婆ちゃんが子どもをあやす様にハルトさんの頭を優しく撫でていた。
「雫、紅茶を入れてここに持って上がって来てくれないか。ここで話をしよう。その方が雫も安心だろ」
「うん、判った」
「それじゃ、私はこのお馬鹿さんの体でも拭きますか。雫ちゃんバケツと雑巾を貸してちょうだい」
「鳴海先生、それは酷すぎです」
「いいのよ、雑巾で。うふふ」
私はキッチンに鳴海先生はバスルームに向った。