土曜・5
俺は雫の祖母、つまり霙に睨まれて両手を上げて降参の意思表示をしていた。
そして、俺の背中には一筋の冷たいものが……
「霙の家からは遠いのか?」
「近くですよ、お婆ちゃんが散歩しながら寄れるくらい」
「それならば、悪いが1人で先に帰っていてくれ」
「……」
俺の言葉に対して雫の返事は無かったが、霙の屋敷は一目で判った。
そこは雫の家から少し坂を上がった所だった。
そして屋敷の前に車を止めて門をくぐろうとすると俺の上着の裾を何かが掴んだ。
「先に帰っていてくれと言ったはずだが」
「……」
返事が無い、そして俺の上着の裾を掴んだのは雫の小さな手だった。
俺の頭の中には雫の家から出て行こうとした時の事が浮かんでいた。
とりあえずもう一度だけ。
「先に帰っていてくれと言ったはずだが」
「……」
やはり返事が無い。
ここで押し問答するのも嫌になりそのまま歩き出すと雫も何も言わずに、上着の裾を掴んだまま着いてきた。
石の階段を上がり玄関の呼び鈴を押すと「開いてるよ」と声がする。
仕方なくドアを開けて中にはいる。
しばらく、玄関から上がる気配が無いので霙が玄関に現れた。
「ハル、私は何て言ったかね。今夜、雫に場所を聞いて1人で来いと言わなかったか?」
ここで冒頭の状態になった訳だ。
「相変わらず、女の子1人も御せないのかい、いい大人が」
俺は霙の言葉に目を背けた。
「仕方が無いね、そんな所に突っ立ってないで中にお入り。雫、ついて来たという事は覚悟があるんだね」
霙が俺の後ろに向かって声を掛けると雫が頷いたのだろう。
霙の表情が柔らかくなった。
3人でリビングのソファーに腰掛けていた。
霙の屋敷は重厚な洋館でリビングも俺が覚えている物と寸分違わず作られていた。
「さぁ、何から話してもらおうかね。まずは何でハルがここに居るかだ」
「えっ? お婆ちゃん。それはどう言う意味?」
「雫、同じ時間に同一人物が2人いる。理由はなんだい?」
「えっと、ドッペルゲンガーとか? シェイプシフターとか?」
「雫は私の本の読みすぎだね」
「それじゃ、クローン!!」
「飛躍のし過ぎだよ」
「でも、お婆ちゃん。ハルトさんは吸血鬼さんなんでしょ。私から見ればぶっ飛んでるじゃん」
雫の言葉を聞いた瞬間、霙が腹を抱えて大笑いしていた。
そんなに笑うと心臓が止まるぞ。
「おんやぁ、ハルは私の心臓が止まるなんて考えてないだろうね」
相変わらず喰えないババァ。おっと、ご婦人だ。
「飛ばされたんだ、時空の狭間に」
これ以上、突っ込まれたくなく話題を戻した。
「ええ、タイムスリップって事なのハルトさん? 信じられない」
「俺が一番信じられないのだ。400年以上も生きてきたのだから」
「それじゃ、笑うしか出来ないよね。やっぱり」
流石に霙の孫だけの事はある。察しが良い。
「それじゃ、お婆ちゃん。今の私達の居る時間のハルトさんは?」
「消息不明、生死不明だね」
「えっ……」
雫の顔が強張り血の気が引いて落ち着きが無くなった。
「雫、そんな顔するものじゃないよ。お前の横に居るのは誰なんだい?」
「は、ハルトさんでも……」
「俺は10年近く未来の俺だ。つまりこの時間の俺もどこかで生きているはずだ」
「でも、何で消息も生死も不明なんて」
俺は何も言わずに目の前にあるアンティーク調のテーブルに目を落とした。
「死にたがりのヴァンプ……ハルの2つ名だ」
「お婆ちゃん、でもハルトさんは不死身で」
「不死身だが死ねない訳じゃない。だから私が名前で縛ったのさ」
「名前で縛る?」
「ハルが私と出会った時に服従の口付けをしただろう、そう言うことだ。それでも誰かさんは未だに死にたがっているみたいだけどね」
「それじゃ、盟約って何?」
「昔、昔、ハルと私そして姉の時雨とで交わした約束。永遠に私達を守る約束さ」
「そうなんだ……」
「でも、何で雫の所に現れたのかねぇ。ハル」
霙の人をからかう様な訝しがる様な態度から逃げるように。
「さぁな、何でここに飛ばされたのかなんて俺には判らない。姫が気になったのは同じ匂いがしたからかな」
俺はそう言って立ち上がった。