↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

時代だね          :約6000文字 :SF :タイムマシン

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/10/26

 休日の昼間。特にやることもなく部屋で寝転び、スマートフォンの画面をぼんやり眺めていたときだった。

 ドアを叩く音が聞こえ、おれは上体を起こし、玄関のほうへ目を向けた。

 すると、直後にまたノックの音がした。

 どうやら空耳ではなかったらしい。しかし、いくらボロアパートとはいえ、インターホンがついているのにわざわざドアを叩くとは。

 別に警察や借金取りが来たわけでもないだろうが、あまり気分のいいものではない。ドアを叩く奴はだいたい気が強いのだ。

 そんなことを考えながら顔をしかめていると、再びノックの音が響いた。先ほどよりも少し強く、早くしろと言わんばかりの叩き方だった。

 居留守を使うのも無理そうだし、いつまでも居座られても落ち着かない。

 おれはしぶしぶ立ち上がり、玄関へ向かった。


「うおっ」


 ドアを開けた瞬間、おれは思わず声を漏らした。そこに立っていたのは、着物姿の男だった。短く刈られた黒髪に、口元には立派な髭を生やしている。その髭の両端は指先で巻き上げたようにくるんと曲がっており、足元に目をやれば、なんと草履を履いていた。

 近所の住人だろうか。しかし、こんな格好をした人間が住んでいそうな屋敷など、この辺りにはないはずだ。どうにも古めかしい雰囲気で、公共放送の朝ドラの撮影現場から抜け出してきたと言われたほうが、すんなり納得できそうだった。

 男は口角をわずかに上げ、小さくうなずいた。そしておれの肩をぽんぽんと叩くと、そのまま中に入ってこようとした。


「いや、あの、ちょっと」


「濟まぬが、上がらせて貰はう。」


「は? ちょ、ちょ……」


 男はおれの困惑などまるで意に介さず、体を押しつけるようにして、ぐいぐいと前に出てきた。

 そのままおれを押しのけると、男は草履を脱いでさっさと部屋に上がり込んだ。


「ほおう……。」


「ちょっと、なんなんですか、あんた。警察呼びますよ」


 部屋の中をじっくりと見渡す男の背中に、おれはそう言った。


「狭き家ぢやな。」


「は?」


「茶を出しては貰へぬか。」


 男はそう言うと、座卓の前にすっと腰を下ろした。


「え? あ、飲み物?」


 男はゆっくりとうなずいた。おれは冷蔵庫に向かい、中からペットボトルのお茶を一本取り出した。

 なぜ見ず知らずの男に、おれがわざわざ飲み物を用意してやらねばならないのだと思ったが、ようやく意思疎通できたことにほっとし、気づけばそのペットボトルを差し出していた。

 男はそれを受け取ると、軽く一礼した。それから容器をしげしげと眺め始めた。光に透かしたり、角度を変えたりしながら、まるで初めて見るもののように、「ほお」と感心したような息を漏らしている。

 いったい、この男はなんなんだ……。

 男はやがて、蓋も開けずに容器を顔の前で傾けた。首をかしげ、容器の底をとんとんと叩く。しまいには蓋に直接吸いつき始めたので、おれは慌てて容器を取り上げて蓋を開けてやり、男に返した。


「うまし。」


「そうですか……」


 男は満足げにうなずいた。

 どうも妙な言葉遣いだ。方言か何かは知らないが、通じる部分はある。おれは身振り手振りを交えながら、何をしに来たのか訊ねた。すると男はペットボトルを座卓に置き、口を開いた。


「我は友人の拵へし奇怪なる發明の器によりて、遥かなる過去の世より此處へ参つた。初めは固より、斯樣なる譫言にも似たる話を信ずるべき謂れなしと思ひし。されど、彼の器械は疑ひやうもなく眞物でありき。何が何やら辨へぬまゝ、襲ひ來る眩暈を堪へつゝ道を辿り行くうちに、此の何處となく心の底に覺えあるやうなる、古びたる建物を見出したのである。」


「……は?」


「此處は未來の世であらう? 果して彼の言ひ置きしことに違ひはなかつたのだな。未だ此の世の有樣を、ほんの僅かばかり目にしたに過ぎぬ。されど、此處に身を置き、斯くして空氣を吸ひ込んでみれば、既に我が知る世のものとは異なる何物かが、微かに感じらるゝ。空氣其のものの味ひさへ、嘗ての世とは違ふやうに思はれてならぬ。」


「何言ってんだ、あんた」


 男は終始、渋い顔で語った。いや、もともとそういう顔つきなのかもしれない。眉間には皺が刻まれ、口元も固く引き結ばれているため、機嫌がいいのか悪いのかすら判然としなかった。


「えー……つまり、タイムマシンで過去からここへ来た、と?」


 その後、苛立ちを抑えながら辛抱強く話を聞き、ようやく内容を理解したおれは、そう訊ねた。


「タァイムマチン?」


「いや、タイム……まあ、いいや」


 タイムトラベル。どう考えても、そんなことが現実に起こるはずはない。しかし、目の前の男には妙な説得力があった。着物や髪型だけでなく、立ち居振る舞いや言葉遣いに至るまで徹底しており、一日二日で準備できるものとは思えない。詐欺にしても、おれなんかを騙すためにこんな手の込んだ芝居を打つ理由が見当たらないし、頭がおかしいと片づけるには身なりが整いすぎている。威厳すら感じられた。


「此の部屋は、なかなかに心安らぐ處ぢや。無論、目に映る器物のうちには、我が曾て見たこともなく、用途すら見當のつかぬものが少なからずあり。されど壁の古びや床の傷み、何處となく鼻を衝く臭ひ。さうしたもの悉くが懷かしき心地せしむる。そなたもまた相當に臭ふな。身に纏へる衣こそ我が知るものとは似ても似つかぬが、その佇まひといひ、身から漂ふ氣配といひ、驛前に屯してをる浮浪の徒と酷く似てをる。」


「なんか馬鹿にされた気がするんですけど」


「それは暫く措き、妻はをるか。」


 男は部屋をぐるりと見回し、そう言った。


「え、妻? ああ、結婚はまだです。いません」


「女はをらぬのか。」


 男は眉間に皺を寄せた。


「恋人ですか? いえ、それも……」


「此の時代の女を一人なりとも抱きてみたきものぢや。何處ぞより呼び寄する術はなきか。」


「え? 女? 呼ぶ? いやいや……」


 おれは苦笑しながら手を振って否定した。


「無理ですよ。知り合いすらいませんもん」


 男は再び眉を寄せ、小首をかしげた。言葉が通じていないというより、おれの答えの意味するところが理解できないといった様子だった。


「えーっと……写真ならありますよ」


 おれはそう言うと、床に放り出してあった週刊誌を拾い上げ、男に手渡した。

 男は眉をひそめつつページをぱらぱらとめくっていたが、やがてぴたりと手を止め、目を見開いた。男の肩越しにそっと覗き込むと、開かれていたのはグラビアのページだった。水着姿の女が髪をかき上げている。

 男は紙面に顔を近づけ、鼻をぷっくりと膨らませながら、次第に息を荒くしていった。その反応があまりにも露骨だったので、おれは思わず吹き出しそうになった。どうせならもっと驚かせてやろうと思い、おれはテレビのリモコンを手に取った。

 案の定、テレビを点けた途端に男はその場で跳び上がった。何が起きたのか理解できないといった様子で立ち尽くし、画面を凝視している。やがて、おそるおそる近づくと、テレビの裏側を覗き込んだり、指先でそっと画面をつついたりした。

 驚くのも無理はない。どの時代から来たのかは知らないが、少なくともカラーテレビは普及していないだろう。いや、この反応からすると、テレビ自体存在していないのかもしれない。

 おれがチャンネルを替えてやるたびに男は慄いた。料理番組では、もう少しゆっくりやってくれというように手で制し、通販番組では、品物を売り込む男を不審そうに眺め、ドラマでは「おお」や「むう」と声を漏らしていた。

 ところが、ニュース番組に切り替えた途端、男の表情が一変した。画面には総理大臣が外交相手と笑顔で握手を交わす映像が映っている。退屈なニュースだ。しかし、男は片手を上げておれを制し、食い入るように画面を見つめた。

 おれが声をかけても、男は「しっ」と短く返すだけで、こちらを振り向きもしなかった。

 だんだん飽きてきたおれは、床に寝転がって週刊誌を広げ、大きくあくびをした。


「聞きたいことがあり。」


 どれくらい時間が経ったのか。いつの間にか眠り込んでいたらしく、肩を揺すられて目を覚ました。テレビはまだ点いたままで、窓から差し込む光は、幾分か傾いていた。


「聞きたいこと……?」


 寝ぼけた頭で聞き返すと、男は重々しくうなずいた。


「何故に女どもが政に參與してをるのだ。それも、老いさらばへたる女どもが、己が齡をも顧みず浮かれ騷ぎ、如何にも虛榮の念のみ人一倍強しといふ面構へをしてをる。斯樣なる者どもに、國事に關はる責を負ふ器があるとは到底思はれぬ。」


「あー……はい?」


「男どもは一體、何をしてをるのだ。耳にて語を聞き、目を以て箱の中に浮かび出づる文字を追ふに、此の時代の女どもは、己が權利とやらを得んがために、ただそれのみを喚き立てゝをるやうではないか。あれではならぬ。斯くの如き有樣にて、果して世が治まるものか。女と云ふものは、抑ゝ滿足と云ふことを知らぬものぢや。ひとたび優遇せられれば、それを當然のものと心得、更なる待遇を求めて欲を募らするばかりである。幼子の振舞ひと何ら變はるところはあるまい。さればこそ、男たる者がこれを抑へ、己が分を辨へさせねばならぬのぢや。」


「ほー」


「學問を修むるに足る才幹の有無を問ふことなく、大學といふ高き學びの場に入るを許し、其の上には相應の役目まで與へる。それこそが時代の進步にして、ひいては此の國の榮ゆる所以なりと、果して本氣にて信じてをるのであらうか。學ぶ者の志や才を顧みず、唯だ女といふ身分のみを以て特別の扱ひを受けしむることが、何故に國の隆盛へと通ずるのか、我には到底合點がゆかぬ。斯くの如き有樣を正しき世の在り方と唱へ、異を唱ふる者を時代遲れの愚者と見做すのであれば、やがて學び舎に誰を受け入るべきかさへ、能力ではなく性別によつて定めることとならう。さうして一度その道理を許せば、次には何を要求し始むるものやら知れたものではない。其のうちには、女の便所をもつと增やせ、男の便所は斯くも數多く設けてをく必要なし、寧ろ其の分を女のために割けなどと云ひ出すに違ひなからう。斯くして些末なる要求までも『時代の進步』なる美名の下に積み重ねてゆけば、いつしか何を以て國の榮とし、何を以て國の恥とすべきか、その境目すら失はれてしまふのではあるまいか。」


「そーですか」


「ましてや、一國の政を統べる者の頂に立つ身にありながら、媚態を以て他國の長に近づき、あたかも閨中の術を外交の具となすが如き振舞ひに及ぶとは。單に恥を知らぬといふ一語にて斷ずるには餘りに醜惡にして、見る者に怖氣すら催さしむる。彼の者は相手の肩へ馴れ馴れしく身を寄せ、媚びるやうにしなだれかゝり、己が女としての魅力を以て相手を籠絡し得ると信じてをるのであらうが、哀れなるかな、既に容色は衰へ、かつて人の目を惹きし色香など疾うに失せ果ててをることにすら氣づいてをらぬ。己が姿を映す鏡を持たぬ者とは、斯くも始末に負へぬものか。されど、それにもまして解し難きは、斯かる己を省みぬ者が、國の利害と威信とを背負ふべき座に何故據ゑられてをるのかといふことである。若しや、あれこそが此の國の者どもの中にて最も有能なる人物なりといふのならば、我が眼に映る此の國の行く末は暗澹たるものといふほかなく、殘されたるはただ絶望のみではあるまいか。」


 男は喋り続けた。握りしめた拳を床に叩きつけて怒りを露わにしたかと思えば、今度は額に手を当て、大げさに嘆いてみせた。

 その様子を眺めながら、おれは少しだけ「おお」と感心した。何を言っているのかは相変わらずさっぱりだったが、熱い思いがあることだけは十分に伝わってきた。ひょっとすると、役者の実習なのかもしれない。以前、電車の中で騒いでいる頭のおかしいやつは、実は役者が度胸をつけるために、わざと狂人の振りをしているのだと聞いた覚えがある。

 やがて男は息を切らしながらおれをじっと見つめた。どうやら、ひととおり言いたいことを言い終えたので、おれの意見を聞きたいらしい。

 おれは「んー」と唸ってから答えた。


「まあ、いいじゃないですか。誰が政治家になろうと大差ないですし、自分の生活だけを気にしていればいいんですよ」


 こちらの言葉がどこまで通じたのかはわからない。ただ、男は明らかに軽蔑の色を浮かべ、大きなため息をついた。

 そのときだった。


「ここだ」


 突然、背後から声がした。

 振り返った瞬間、トイレのドアが勢いよく開き、中から女が二人現れた。

 二人とも靴を履いたまま床をどすどすと踏み鳴らし、こちらへ近づいてきた。

 そして男の目の前に立ち、腕を組んだ。

 何かの制服だろうか。揃いの濃紺の服には肩章らしきものが付いており、警察や軍を思わせるような威圧的な雰囲気があった。


「こいつだ。ダンソンクズ、キュイーブツ」

「確認よし」


 男は目を丸くし、女たちを見上げたまま固まっていた。その視線がちらりとおれへ向けられたが、おれだって何が何だかわからない。ただ固まるしかなかった。

 次の瞬間、女の一人が男の腕を掴んで捻り上げ、そのまま床へねじ伏せた。

 男が苦痛に顔を歪めて身をよじると、もう一人の女が懐から何かの機械を取り出した。持ち手の先から細長い金属製の筒が伸びている。チャッカマンに少し似ていた。


「ぎゃ!」


 その筒が首筋に当てられた瞬間、男は短い悲鳴を上げた。足先までぴんと伸び、全身が小刻みに震えている。

 女はさらに二度、三度と続ざまに機械を男の首に押し当てた。そのたびに男はびくりと跳ねたが、やがてぐったりと床に崩れ落ち、何の反応も示さなくなった。


「タマザルが。トイパソロール違反せっちぇき」

「ツックテックですね」


 女たちはうなずき合い、意識を失った男を両脇から抱え上げると、荷物でも運ぶかのように廊下のほうへ引きずっていった。


「あ、あの……」


 おれが声をかけると、女たちはぴたりと足を止め、こちらを見た――いや、じろりと睨んだ。


「チンクソーオスが」


 女の一人はそう言うと、床にぺっと唾を吐き捨てた。

 それから二人は男をトイレへ運び込み、ドアを勢いよく閉めた。

 直後、きぃんと耳鳴りがした。

 おれは思わず目を閉じ、のけ反った。

 しばらくしてからゆっくりと目を開け、トイレのほうを見つめた。物音一つなく、廊下は静まり返っている。聞こえてくるのは、点けっぱなしのテレビから流れる町中華の特集だけだった。

 やがておれはゆっくりと立ち上がり、トイレに向かった。

 おそるおそるドアを開けると、そこには誰もいなかった。便器があるだけで、人がいた形跡など見当たらなかった。

 一連の流れから考えるに……タイムトラベルしてきたあの男を、未来の管理局か何かが捕まえに来た、といったところだろうか。


 しかし、女たちのあの態度……。

 おれはあの男の気持ちが、少しだけわかったような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。