第9話 はじめて欲しいと思った。
私は、自分の時計が欲しいと思ったことがなかった。
父の時計は“父のもの”で、
ひよりの時計は“ひよりに似合う”もので、
いとの時計は“いとの好き”の塊。
私は、そのどれでもない。
ある日、店長が棚の奥から一本の時計を出してきた。
「これ、入ってきたんだけどね」
白い文字盤に、やわらかい数字。
派手じゃないのに、目が離れない。
ベルトはグレー。静かな色。
「……かわいい」
私が言うと、いとが「え、でしょ」と笑った。
ひよりも「うん」と頷く。
店長は、私の表情を見て、少しだけ声を柔らかくした。
「手に取っていいよ」
私は恐る恐る持つ。
軽いのに、芯がある感じ。
時間を見たとき、スッと目が入る。
(……欲しいかも)
初めて、ちゃんとそう思った。
言葉にしないまま、私はそっと戻す。
するといとが、何も言わずに、私の隣に立った。
ひよりも、椅子から立って同じ方向を見る。
三人で同じ時計を見ているのに、押しつけがない。
ただ、同じものを“いい”と思えた空気だけが残る。
帰り道、私は財布の中を数えた。
足りない。
全然足りない。
それでも不思議と、落ち込まなかった。
欲しいものができたって、こういう感じなのかもしれない。
【登場時計ミニ紹介】
・NOMOSClub Campus 36:シンプルで読みやすい文字盤、カジュアルにも合わせやすいデザイン。初めての機械式としても人気がある。




