7 悪魔様①
セイレーンっていう言葉に、僕がどんなイメージを持っていたかって言うと、どちらかと言えば怖いイメージだった。
頭が美少女で、首から下は鳥の姿。荒海で歌を歌って船乗りを誘惑して船を難破させてしまい、捕らえた人間をバリバリ食べてしまう海の化け物。その歌を耳にしてしまったらその誘惑から逃れる事が出来ず、夢現の中で最期を迎えると言う。
恐ろしいイメージしかなかった。
「あぁ、ショウさんの作ったホットケーキがおいしいです」
少なくとも、目の前で目をとろんとしてホットケーキを頬張っている様子とは、似ても似つかないイメージだった。ホイップクリームをたっぷり乗せてにこにこしている。
いつもほわほわしていて、にこにこしているレネは、セイレーンだ。
その陽だまりのような笑顔とは裏腹に、レネの鼻歌は嵐を呼ぶ。そのせいで——そのおかげで僕はここにいる。
「気に入ってくれて嬉しいよ。いつでも言ってくれればいつでも作るから」
僕もレネが気に入ってくれて嬉しい。こんな笑顔を見る事ができるなんて幸せだなぁ。
「そう言えば」
レネがホットケーキを食べる姿を肴にコーヒーを飲んでいた僕は、一つの疑問を口にする。
「セイレーンってさ、みんなレネみたいなの?」
レネの話によると、周囲の島には何人かのセイレーンがいるらしい。それらがみんなレネと同じような見た目をしているのだろうか。
レネは口いっぱいに頬張ったホットケーキを飲み込むと、
「見た目は、あまり似てはいませんね。髪の毛の色が違ったり、肌の色が違ったり、背が高かったり低かったり、色々です」
口元にホイップクリームをつけて言う。
「クリームがついてるよ」
僕がティッシュで拭いてあげると、なんだか嬉しそう。
「人それぞれなように、セイレーンもそれぞれです」
「そうなんだ」
僕は言う。僕としては、レネのこの異常なくらいの可愛さとか、暴力的な胸が、セイレーンとしての特徴なのかなと思っていた。でも、どうやらセイレーンだからではなく、レネだから、のようだ。
セイレーンの中でも一番くらいに可愛いんだろうな、と思う。確証はないけど、自信はある。
「共通点と言えば、翼さがある事くらいです」
そういうと、レネはホットケーキの最後の一口を名残惜しそうに口に入れた。
「はぁわぁぁ」
幸せそうな顔して。このまま永遠にホットケーキを焼き続けようかな。僕は一瞬レネに食べられる事を考えていたけど、今は食べさせる事を考えてしまっている。
「でもダメですよ」
何がダメなんだろう。
「私は元気になって美味しくなったショウさんを食べたいんです。私が美味しくされている場合ではないんです」
「はは、そうだね」
レネは僕を元気にするために、そんな事を言って栄養のある食事を作ってくれる。そんな彼女の気持ちを思うと、食べられてもいいかなと思ってしまう。でも、伝説とは違ってセイレーンは人を食べないらしい。
「早く食べさせて下さい。がおー」
「わー、怖い怖い」
僕の知る限り、こんな可愛い化け物はいないよね。
こうして笑い合う瞬間がたまらなく愛おしい。
「じゃあ、洗濯物を干して来るよ」
「はぁい」
僕も充分に休んで体力も回復したので、少しずつレネの手伝いを初めている。洗濯もその一つ。とは言っても、洗濯機があるから干すだけなんだけど。
洗濯物の入ったカゴを持って外に出る。相変わらずの雲一つ無い晴天、これなら洗濯物もすぐに乾くだろう。
僕の洗濯物もある。Tシャツに、ズボン。靴下にパンツ。着替えが少ないから、頻繁に洗濯しなければならない。
そしてレネのタンクトップとショートパンツ。このピンクのは——
「むむ」
ピンクのレース生地で、何か球状の物を包むカップが二つ連なった物。これは——
「ブラジャーか・・・」
両手で持って眺める。思った通り、なかなかの大きさ。頭に被れてしまいそう。しないけど。
そしてカゴの奥にもう一つ。同じ生地で、三角形に似た形の、
「パンツ、いや、パンティ・・・」
両手にそれぞれ持って、しみじみ思う。
「レネって下着つけてたんだ」
ちょっとがっかりしたのは内緒。
とは言え、あんまりじろじろ眺めたり、クンクンするのはマズイので、おとなしく物干し竿にひっかける。
「もう一つあるな・・・今度は白」
白いセットを手に取る。
これはピンクよりも——いやいや、変な想像はダメだ。
しかし、こんな魅惑的な洗濯物を男に託すなんて、無防備にも程がある。僕だからいいものを、この白い布を別の用途に使おうと思う男がいてもおかしくない。
後で説教してあげなくちゃ。
でも説教したら僕にも無防備な姿を見せてくれなくなるのかなぁ。それはそれで悲しい。
何ともワガママな妄想。いつも見せるあの無垢な姿は僕にだけ見せてほしいって思う、ひとりよがりな想い。
僕はレネに会ったその日から、セイレーンのレネに魅了されてしまっていたのかもしれない。
でも幸せだからいいかなー。
結局深く考えずにレネの白い下着をひっかける。
白とピンクのブラジャーと、白とピンクのパンティがゆらゆら穏やかな潮風に揺れている。
これだけでもなかなかの絶景だなぁ。そんな事を思いながら眺めていると、
「え?」
ふっ、と。僕の上に影が落ちた。ふいに僕の上だけが曇ったように、何かが僕と太陽の間を遮った。まるで重ささえも感じられるようなその影に、僕はゆっくりと目をあげた。
「・・・っ」
雲一つない青空。それなのに僕の真上、目を上げたその場所に黒い人影があった。大きな翼を広げて、僕を見下ろしている。
逆光でよく見えない。でもその眼光は鋭く、僕を値踏みするように見下ろしているのはわかる。射抜かれてしまうような、突き刺すような、そんな眼光。
目が慣れてきても、黒い人影には変わらなかった。よく見ると真っ黒ではなくて、すこし褐色の肌をして、黒いビキニに黒いパレオを巻いた女の人のようだった。ただ、青空に映える暗闇のような真っ黒な短髪に、真っ黒な翼。
その雰囲気が闇を纏っているようで、僕は身動きが取れなくなった。レネの下着を眺めていた僕に罰を与えるために遣わされたのだろうか。
僕は思わず呟いた。
「あ、悪魔様・・・」
「悪魔じゃねぇ」




