47 手
ばたん。
「えっと・・・」
煌々と輝く月明かりの下、乱暴に閉められた玄関扉の前で、僕とレネは立ち尽くした。
とは言うものの、どういう意味で追い出されたかは理解しているつもりだ。僕がダイエットをする事を望んで——いるわけでは当然無く、隣で困ったように自分の体を抱いた可愛いセイレーンとちゃん話して来い、て事だと思う。
僕としてもこれ以上先延ばしにする訳にもいかない。何か結論が出たわけではないが、レネとだけは話しておかなければならない。
自分で踏み切れなくてごめんなさい。
この場を設けてくれた皆んなに感謝しないと。
「あの・・・さ」
「・・・はい」
凄く緊張するし、レネの緊張も伝わって来る。レネもどうしてこのような状況に置かれたか、理解しているのだろう。
一瞬で喉が渇く。
喉が張り付いてしまったのではないかという不安の中、どうにか言葉を絞り出す。
「少し・・・歩こうか」
「はい」
歩き出した僕の後を、レネがついてくる。いつもだったら隣にいたり、手を繋いだり、腕を組んだりしてくるけれども、今日はただただ後をついてくる。手を伸ばせば届く距離。手を伸ばさなければ届かない距離。
僕は先に歩き出したものの、どこか目的地があるわけではない。
どこかを目指している訳ではないが、歩きながら頭を整理したい。
もう先延ばしにはしない。再びレネの家に帰るまでに、結論を出してレネに伝える。その先の事は、分からないけど。
だからほんの少しだけ待って下さい。
そう心の中で決心したところで、見覚えのある場所に到着する。山の麓。カエルが時折顔を出す、水場の近く。
ふいに背中をひっぱられる感覚。
不審に思って後ろを見ると、レネが僕のシャツをつまんでいる。
ふっと口元が緩む。
「レネ、怖いの?」
「・・・少しだけです」
強がっているレネが可愛い。
僕は確かに背中にレネの存在を感じながら、山の中腹を眺める。
もう暗くなってよく見えないが、ステージのような、展望台のような岩がうっすらと見える。
「あそこでレネの歌を聴いたんだっけ」
「ご迷惑をおかけしました」
レネの美しい歌を聴いたあと、ひどい嵐に見舞われたんだっけ。
「レネはかぜ引いちゃうしさ」
「あまり言わないで下さい」
「ちょっと可愛かったよ」
「や・・・やめて下さい」
「ちょっとおかしかったよね。レネ」
「もう・・・あまり覚えていないんです」
口移しで薬を飲ませてもらいたいような事を言った事は覚えているのかな?恥ずかしくて逃げちゃうかもしれないから、言わないけど。
「レネの歌、もっと聴いていたかったな」
レネの歌声も歌っている姿も、とても美しかった。でも、これぞ人を魅了するセイレーンの歌声なのかもしれない。
「嵐を我慢して頂けるなら、私はいくらでも歌います」
でもそれが大変なんだよね。屋内にいれば自分は問題ないけど、その屋外は大変な事になっている訳だし。
嵐を呼ばないまま、レネの歌を堪能する事は出来ないものだろうか。
それが出来るならば僕は年中聴いていたい——
なんて思っていると、シャツがつんつん引っ張られる感覚。
シャツをつまんだレネがちょいちょい引っ張っている。
見ると、不安そうに眉尻を下げているレネ。あっと思いたつ。
「そっか、カエルが怖いんだ。ごめんね、レネ」
言って、その場を離れる。僕としてはカエル如きにって感じだけど、レネはどうやら怖いらしい。ここでレネを怖がらせても意味がないので、早々に立ち去る事にする。
遠ざかる水辺に安心したのか、レネは僕の手を握って来る。とは言っても僕の人差し指を握っただけだけど。それでもレネの体温を感じられて安心出来る。
少しレネとの距離が縮まった気がして、心なしか気持ちが軽くなったように思う。
レネの足音も少し軽くなった気がする。
それでも相変わらず後ろからついてくるだけのレネを連れて、足を進める。やっぱり目的地などない。最終目的地に向けて、時間を稼いでいるだけでしかない。
そして見えてきたのは崖下の洞窟。中にある幻想的な空間でセイレーン達が舞を見せてくれたのを思い出す。
さすがに日が落ちて暗いので、入る気はないけど。
「あの・・・」
洞窟を眺めていると、レネがおずおずと話しかけてきた。
「入るんですか?」
振り向くと、闇夜の下ですら輝く青い瞳が、不安そうに揺れている。
「いや、入らないよ。レネ、怖がってたもんね」
僕が言うと、レネは頬を膨らませる。
「暗闇が怖くない人はいません」
怒ったように言う。そんなレネも可愛い。
「それにしても怖がり過ぎだよ。僕に抱きついて来たじゃないか」
あまりに可愛いので、揶揄ってみたくなる。
「ショウさんに触れていると安心するんです」
レネの声は落ち着いている。
「・・・今もです」
言うと、今度は僕の手をしっかりと握って来た。
「え・・・あ・・・・うん」
揶揄っていたのは僕なのに、撃沈したのも僕だった。
小さくて暖かなレネの手の感触に、安心を通り越してドキドキが止まらない。そんな僕の心臓を知ってか知らずか、レネは指一本一本を絡めてくる。
——!
これは良くない気がする。ただ触れ合っているんじゃなくて、離れまいとする意思を感じる。そして僕にも、離れる事を許さない空気を感じる。
その手から僕の心臓の音が伝わりそうで、僕は別の場所へと歩みを進める。
そして洞窟のすぐそばにある岩場は、セラさんと出会った場所だ。でもそれ以外は、いい思い出がない。
僕が波にさらわれた場所だ。
「ここは、やめましょうか」
そう言ってレネが今度は手を引いてくれる。
「そうだね」
僕の胸のざわつきは、まだ心の奥に傷が残っている事を示している。トラウマはなかなか深いらしい。
そんな僕の不安が手から伝わったのか、レネが優しく囁いて来る。
「ゆっくり克服して行きましょうね」
「そうだね」
レネの声は僕を安心させてくれる。緊張なのか恋心なのか恐怖なのかわからない心臓の高鳴りが、徐々に収まってゆくのを感じる。
そう、ゆっくり克服していけばいいんだ。焦る事はない。
あれ?ゆっくり?
「レネ、さっきのはどう言う——」
「次はあっちに行きましょうか」
そう言って僕の言葉を遮るレネ。
僕はそれ以上追求は出来ないまま、レネの手が熱くなっていくのだけを感じた。




