46 帰りたい
結局結論の出ないまま、家へ戻る事にする。結論も出ていないし、釣果も出ていない。
なんとなく足取りが重い。戻ったらまた何か言われるんだろうな。日が傾くくらい考えていたのに何の結論も出ていないなんて事が知られたら、ヘタレ扱いされるかもしれない。
「はぁ」
ため息も重い。
ドアの前に立ってみたものの、気も重い。
ドアノブを回せないまま数分佇んでいたが、鼻腔をくすぐる刺激に頭が覚醒する。
「この匂いは——」
気がつくとドアを開けていた。
「あ、ショウさん・・・なかなか戻って来ないから心配したんですよ?」
真っ先にレネが迎えてくれ、両手をとって顔を覗き込んでくる。
うわ・・・やっぱり可愛い。
恥ずかしくなるくらい可愛い。
絹糸のような金色の髪の毛はいつ見ても乱れている様子は無いし、深い海の純粋な場所だけを凝縮したような青い瞳は優しさと切なさを孕んでいる。
そんなレネは世界中の美しさを求める者達が泣いて悔しがるくらい可愛い。
僕の心臓をここまで鷲掴みするなんて、何て悪いセイレーンなんだ。
文句の一つも言ってやりたいくらい可愛い。
そんなレネの後ろ。ダイニングテーブルの上に、いつもと違う景色が広がっている事に気づく。いつもならレネの作ってくれた美味しい料理が並んでいるはずだが——
「え?どうしたの?」
テーブルの上の料理を見て僕は声をあげる。
並んでいたのは、魚の煮付けに、肉じゃが、金平ごぼう、唐揚げ、エビフライ——僕の馴染みのある料理がテーブルには並んでいた。
「え?どうして?」
レネがこのような料理を作った事はない。僕からすればすごくおいしいけれども名前も知らないような料理をレネは作ってくれる。
じゃあレネじゃないのかな?
「えへへーん」
分かりやすく胸を張るママ。
「実は、私の大切な人は、日本人なのでしたー」
じゃじゃーんと効果音付きで種明かしをするように言うママ。
「だから和食も少し勉強したんでーす」
「へぇ、そうなんだ」
ママの大切な人——つまりはレネのパパは日本人なのか。だから親近感が湧くのかな。
とは言え、テーブルに並ぶ料理は和食というほど大袈裟なものではない。どちらかというと日本の家庭料理というか、一般家庭でよく出されるような、何気ない料理。
そんな料理を眺めて、僕の胸に込み上げるものがある。
レネの料理は美味しいし、二人で食べるのは楽しいんだけども、故郷の料理というのは味以外の美味しさがある。それは記憶に基づいたものなのか、遺伝子に組み込まれているのかはわからないが、懐かしい匂いと味には心の奥に触れる何かがある。
なんか泣きそう。
「お。小僧が泣きそうだから、レネ、あーんしてやれ」
「口移しの方がいいんじゃないか?」
セラさんとイナさんに囃し立てられ、レネは箸で唐揚げを掴むと、それを僕の口元に差し出した。
「私もママに教えてもらいながら作ったんですよ」
僕はそんなレネと箸先の唐揚げを交互に眺める。
あれ?
「レネ、箸使えたの?」
レネが箸を使っていた記憶はない。
「練習しましたから」
ニコニコと擬音が聞こえて来そうなレネの笑顔。
唐揚げが近づいてくる。
「これからもショウさんと一緒に食べたいですから」
え?
疑問に思う間も無く、唐揚げを口の中に押し込まれる。
一噛み二噛み。
「うわっ・・・」
香ばしくて柔らかいジューシーな鶏肉。口の中に肉汁が広がり、鼻を抜ける生姜と醤油の香り。
僕はその一口だけで故郷の記憶が蘇る。
とは言っても、一ヶ月弱離れてただけなんだけれども。
その一ヶ月弱でも郷愁を覚えるのか。遠い、忘れかけてた記憶の扉が開くような、そんな感覚に涙が出そう。
「美味しい・・・」
これぞ、『味ではない美味しさ』。どんな調味料でもこの深みは出せまい。
出せるとしたら、あとは『愛情』くらいかな。
そんな郷愁を刺激された僕は、目の前に並べられた料理を片っ端から手をつけてゆく。
味しみしみの肉じゃが、身がほろほろのカレイの煮付け、少し甘めの金平ごぼう、サクサクのエビフライ——エビフライって和食かな?まあ、そんな事はどうでもいいか。
とにかく僕は、言いようの無い幸せを感じている。
「なぁ。小僧、甘い物食べてる時のレネみたいな顔してんな」
「そう言えばこんな呆けた顔していたな」
「レネはもっとだらしなかったぞ」
こそこそ言い合うリンさんとセラさんとイナさん。
「私、こんな顔してましたか?」
レネの問いかけにうんうんと頷く三人。
僕は甘い物ですっかり溶けてしまったレネの表情を思い出す。何度も僕を嬉しくさせてくれた、あの幸せそうな顔。なるほど。僕は今あんな顔をしているのか。
思い出すと同時に、レネがこれほどまでの幸せを感じてくれていた事を実感する。
食べ物一つでここまで幸せになれるんだ。
「お気に召しましたか?」
食べ物で満たされているところに、大好きなレネの笑顔。こんな幸せな事があるだろうか。
「うん!凄く美味しい!」
「ふふっ」
甘い物を作った時の僕のような、今の僕に負けないくらい幸せそうなレネの笑顔。
僕は胸がいっぱいになりながら、箸を進める。
懐かしい味に思い出されるのは、何でもない食事風景。ちょっとのんびり屋の母さんと、ちょっとトボけた父さん。特に中身なんか無い会話をしながら、何の変哲も無い料理を食べる。それがどんなに幸せな事か。今になって思う。
そう言えば、父さん母さんは元気かな。僕の事心配してるかな。学校の皆んなは元気かな。夏休みはもう終わりだけど、ちゃんと宿題終わったかな。ああ、僕は一ページも終わらせてないや。
馴染みの味のおかげか、故郷の記憶ばかり呼び起こされる。そんな懐かしい思い出で頭がいっぱいになり、
「ああ、帰りたいなぁ・・・」
ぽろりと口から溢れた。
「・・・」
一瞬の沈黙。
はっと見渡すと、神妙な面持ちの五人。
なんかとんでもない事言ったかな?僕。
「ショウさん」
沈黙を破ったのはレネ。僕の両手を取って、レネの手で包んでくれる。
「もうすぐ帰れますよ。良かったですね」
聖母のような微笑み。いや、笑っているけど笑っていない。唇を震わせて無理やり作った笑顔の裏に潜む物が、僕の胸の奥に突き刺さった。
涙を流していないけど、僕にはそれが泣き顔に見えた。
僕がオロオロしていると、目つきを鋭くしたセラさんが僕とレネの間に割り込んできた。
「おい小僧」
ぎらりと睨まれる。
「あ、は、はい」
気圧される僕。
「食い過ぎだから運動して来い」
「え?」
確かにお腹いっぱいだけども、運動するほどでもないような。
「帰る前にブクブク太られたんじゃ、こっちの評判も悪くなる。太らせて食うつもりだったんじゃねぇかと思われたらかなわん」
まあ、レネとそんな話をしてたけども。
「セイレーンの沽券に関わる事だ。いいから散歩でもして来い」
なんだろう。妙に外に出したがるな。
「で、レネ」
「?」
「小僧が何か悪さしないか、見張っておけ」
「・・・え?」
どういう・・・
「ショウ君?」
ママが引き継いだ。
「あなたがちゃんと帰れるようになるまで、戻って来ちゃダメよ?」
そうして僕とレネは、家から追い出された。




