36 大空から
僕は今空を飛んでいる。
比喩でも何でもなく、翼を広げて空を飛ぶレネの背中につかまって、空を飛んでいる。自転車よりも速いくらいだろうか。通り過ぎる風が気持ちいい。
リンさんとセラさんとイナさんも一緒に、横並びでゆっくり飛んでいる。
地上五十メートル程だろうか。正直怖い。
眼下にはレネの住む島が見えている。上から見ると瓢箪みたいな形をしていて、思っていたよりも大きい。まだ行っていない場所が結構ありそう。
そして次に見えて来たのが、レネの島の半分程の大きさの島。
「あれがリンの住む島です」
レネが教えてくれる。そしてその島の近くに同じくらいの島が二つ。
「あっちがセラの島で、こっちがイナの島です」
三人は同じような島に住んでるのか。でもレネの島が一番大きいんだ。何でだろ。
それ以外にもいくつか同じような島があり、そこにも各々セイレーンが住んでいるらしい。結局セイレーンって何人居るんだろう。僕は四人にしか会った事がないけども。
そんな事よりも。
今現在の僕の姿勢を確認したい。
体を地面と水平にして空を飛ぶレネ。そのレネの上に重なるように、僕はレネの首に手を回してしがみついている。つまり、とんでもない密着度なのだ。
レネの後半身と、僕の前半身がぴったりと。
これはいけないと思いつつも、場所が場所だけに動けず。多少腰を浮かせたいと思うものの、それもままならず。それならば地上でも見て気を紛らわせようと思っても、目の前のレネの髪の毛から甘いシャンプーの匂いが——あれ?今日はいつもと違って柑橘系の爽やかな匂い。いつもと違うから余計に落ち着かない。
そして僕の両サイドに位置するレネの翼。どういう反応を示すか分かっているため、下手に触れられない。よもや墜落しかねない。根本はそんなに敏感ではないらしいけども。
ともあれ八方塞がり。
どうにか僕のある場所が反応しないように耐えるしかない。
「では、そろそろかな」
隣で黒い翼をはためかせているリンさんが、並んで飛んでいるセラさんとイナさんに目配せする。
「そろそろ少年の少年が危ない頃だろうから、ゲームを始めようか」
少年の少年って、言い方やめて。
「小僧の小僧が目覚めた時のレネの反応が見てみたいが・・・」
「何ならオレが代わってやってもいいんだぜ。勿論、真正面同士でな」
三人ともおもしろがってるな・・・こっちは大変なのに。大変だけど、気持ちいいんだけどね。
「では少年。これから、少年をここから下に落として、いかにぎりぎりで捕まえるか、勝負をしたいと思うのだが」
「嫌だよ」
「大丈夫だ。落ちても海だ」
「余計嫌だって」
「溺れたら人工呼吸をしてやるぞ」
「アタシは嫌だな」
「人工呼吸って舌入れていいんだっけ?」
「嫌だって」
「大丈夫、きっと捕まえる」
「それまでの過程も嫌なんだけど」
「だったら人工呼吸だけしようぜ」
「ケッ、そんなにレネとくっついていたいのかよ」
三人は周囲をぐるぐる飛び回りながら言って来る。そんな、ここから落とされるなんてされたくない。人工呼吸は——そもそも溺れたくない。
「いい加減にして下さい!三人とも」
レネがついに声を荒げる。
「ショウさんで遊ばないで下さい!」
「いいじゃないか。減る物でもなし」
「多分寿命とかは減ると思うな」
「ショウさんはおもちゃじゃないんです」
「オレにとっちゃあ、おもちゃだぜ」
「そう言っておいて、くっついていたいだけだろ?」
「いいからやめて下さい!」
いつになく強い口調のレネ。風切り音よりも鋭い。
「ショウさんは大事な人なんですっ!」
・・・
・・・え?
『おぉ〜』
盛り上がる三人。
・・・え?
言葉を失ってしまった。僕が、レネにとって大事な人?それって——
「わ、私に甘い物を作ってくれる、大事な人なんですっ!」
ああ、そういう・・・
ちょっとがっかり。
「ショウさん怖くないですか?」
もう小一時間程空中を進み、先程一番大きな島を超えて眼下に海しか見えなくなった頃、レネが背後の僕に声をかけてきてくれた。
まあ、この全身を襲う柔らかな感触は怖いけども。
「うん。怖くないよ。レネも疲れてない?」
「大丈夫です」
元気に答えるレネ。後ろからじゃ表情は見えないけど、機嫌がよさそう。
「ところで、これからどこに行くの?」
余計な事ばかり話していて、大事な事をまだ聞いていなかった。
「そうか。少年は初めてだったな」
答えたのはリンさん。リンさんの向こうでは、揶揄ってきたイナさんをセラさんが怒鳴りながら追いかけ回している。
「あの島を出るのも初めてだよ」
「そうだったな。レネは仕事に出ていなかったからな」
リンさんは腕を組む。
「セイレーンって仕事するんだね」
「何だ?私たちが年中飲んで食って寝てるだけだと思っていたのか?心外だな」
「そう思われても仕方ないと思うけど」
「ショウさんの前ではそうですからねぇ」
僕が三人を目にする時は、大抵遊んでいるか飲んでいるか、食べているかだ。セラさんみたいにレネの看病にも来たりもしたけど。
どうもこの四人が汗水垂らして仕事している様子が想像出来ない。
リンさんが大きくため息をつく。
「少年には私たちの苦労は伝わらないらしいな。私たちがせっせと動画を配信していると言うのに」
「え?」
「せっせと動画を撮って、編集して動画投稿サイトに上げているんだ。再生数も悪くないのだが」
「リンさんって動画配信者だったの?」
吃驚。まあ、さほど産業も無さそうな場所でお金を稼ごうと思ったら、現実的な選択肢なのかもしれないけど。
後で探してみよう。
「うむ。『セイレーンch』と言ってな。登録者数は五千人」
うーん。いいようなそうでもないような。
「セイレーンの存在を世界に広めて、受け入れられるように広報活動している」
「本音は?」
「楽して稼げれば、と」
まあいいや。
「どんな動画投稿してるの?」
「そうだな・・・最近ヒットしたのが、イナがひたすらくねくねする動画と、セラがひたすら罵倒する動画だな」
どっちも特殊だな。需要はあるのか。
「セイレーン関係ないし」
「何であれ見られなければ始まらないのだぞ。少年。いざとなったら限りなく薄着のイナを投入するつもりだ」
なりふりかまってられないって事か。そうなんだろうけどさ。
「全裸はダメって言われてるからな。オレはいいんだが」
いいのかよ。
「二人も参加してるんだ。あれ?レネは?」
「私は参加してません」
「レネは以前、偶然動画に映り込んでしまってな。その時のコメントが凄くて、怖くなったらしい」
あーなるほど。下品な事でも言われたのだろう。
「『あの娘は誰だ』『あの娘を出せ』『おっぱい見せろ』『◯◯◯させろ』ってな感じでな。それ以来レネは出てくれない」
まあそれも無理はない。セラさんとイナさんは——図太そうだから大丈夫だろうけど。
「胸元だけを映した料理企画に出てもらいたいのだが」
また、狙いがよく分かる企画を。
「料理ならセラさんも得意じゃないの?」
「いや・・・セラは胸が寂しくて」
「この・・・◯すぞ!」
「じゃあイナさんは?」
「イナは料理が壊滅的に出来ない」
「食べた奴の意識を飛ばすのは得意だぜ」
そんな事で胸を張らないで。
「って訳で三人で頑張ってるんだが・・・そうだ、少年、君にも今度手伝ってもらおう」
ああ、嫌だな。何となく。
「今日はそれなの?」
「ああ?ああ、違う。これは別件だ。と言うか本業だな」
本業。セイレーンの本業って何だろう。船を沈める事?
「まあ、本業とも違うか。今の所メインの仕事」
リンさんが言うと、レネがくすりと笑った。
「私たちが女神になるんですよね」




