30 水着
「トラウマは克服すべきだと思うんです」
朝起きて、焼きたてのパンと紅茶を楽しんでいたレネが、唐突にそんな事を言って来た。
「そうかな」
僕は気のない返事をしないがら、焼きたてのパンを一口。うん。我ながらうまく焼けてる。焼きたてだから小麦の匂いが口の中に広がって、幸せな気分になる。
そばで微笑んでくれるレネと、焼きたてのパン。それにレネの淹れてくれたコーヒーがあれば他に何もいらない。
そんな、朝から幸せを感じていた僕に、レネは真剣な顔をしてトラウマの克服を言い出した。
僕は海にトラウマがある事が最近わかった。船旅をしていた時にレネの起こした嵐に巻き込まれ、船から投げ出されて波間に漂っていた記憶が、頭の奥底にへばりつていて、海に入るとそれが顔を出すらしい。
それで先日は溺れてしまった。レネに助けられたけど。
「別にいいんじゃないかな」
僕は気は進まないと言うよりは、あまり気にしてはいなかった。お風呂に入れるかどうかが気になるくらいで、水に入れるかどうかはさほど重要だとは感じていなかった。
そもそも、水全般に浸かるのがダメなのか、海がダメなのか、だとしたらどの程度からダメなのかもわからない。
その程度は確認しておいた方がいいかもしれないが、積極的にトラウマを克服しようという気はあまりなかった。
先日溺れた時、なかなかの恐怖を感じたのも理由の一つだけども。
気乗りしない僕に反して、レネはテーブルに手をついて立ち上がる。
「ここで生まれたトラウマは、ここで克服するべきです。そうしなければ、これからもずっと海が怖いままですよ?」
「そうは言ってもね」
僕は相変わらず気のない返事をしながら、パンを一口。嫌な事をするくらいなら、こうしてレネとおいしい物を食べて過ごしている方がいい。
「海に入れなかったとしても問題無いだろうし、プールとかお風呂とかは分からないけど、まあ、多分大丈夫なんじゃない?」
根拠など無い。単純にその気がない。
「それに、トラウマもこの島に来た思い出だって言えるしね」
そうそれはトラウマであって、レネと出会ったきっかけでもある。
笑いながらそう気楽に答える僕。でも、レネはそれを許さないらしい。
「ダメです。私のせいでトラウマになってしまったんです。思い出と言うのなら、それを克服してこそ本当の思い出と言えると思うんです。私が何でも手伝いますから」
なんだかレネが強情だ。きりっと眉を上げて強い瞳を僕に向けるレネは、熱血の炎で燃え上がるくらい可愛い。
でも、どうしても気乗りしない。
「やっぱりいいよ。海に入れなくても困らないだろうし、レネにも苦労をかけちゃいそうだし」
そう言うとレネは眉尻を下げて寂しそうな目をする。気乗りしない態度を後悔しそうな表情。
それでも、どうしても僕は——怖いんだ。
「そうですか・・・」
レネはゆっくり座る。
「ショウさんと一緒に海で遊びたかったのですが」
「!!」
そうか。忘れてた。トラウマを克服したら、レネとビーチで素敵な思い出が作れるのか。
波打ち際で水をかけ合ったり、抱き上げてから放り投げてずぶ濡れな様子を笑いあったり、手を繋いで小魚を追いかけたり——そしてすっかり遊び疲れた僕たちは、夕日の沈み行く黄昏の中で二つの影が重なって——
「やる」
今度は僕がテーブルに手をつき立ち上がる。
人生でこんなにやる気に満ち溢れた日はない。
「トラウマを、克服してやろうじゃないか」
そんなやるきの炎を燃え上がらせた僕に、レネは一つ手を叩いて笑顔を見せる。
「本当ですか?それなら私もはりきっちゃいます」
「うん、何としても今日中に克服しよう!」
そうしたら明日から毎日海水浴だ。ふやけるまで海水に浸かってやる。
爪が食い込むくらい強く拳を握る。
海水浴と言えば気になる事がある。
「レネってさ、水着とか着るの?」
レネは水着どころかタンクトップ以外の姿を見たことがない。あるとすれば全裸(後ろ姿)か、推定下着姿くらい。
もしレネが水着姿でトラウマの克服を手伝ってくれるなら、僕のやる気の度合いがどれだけ増すかわからない。
「水着、ですか」
レネは小首を傾げる。
「着た事はないですが・・・そう言えばイナに貰った水着があったような」
レネはそう言いながら寝室に向かう。そこにあるダークブラウンのチェストにレネのタンクトップや下着が収められている。
イナさんに貰った水着というのが気がかりで僕も向かう。まともな水着なのだろうか。
「そうですねぇ・・・」
レネはチェストの引き出しを開けて探っている。
「これでしょうか」
手のひらより小さいくらいの銀色の星が二つ紐で繋がれて、その星から数本の紐が伸びている。
おいおい。その星で胸の先端を隠すだけの水着じゃないのか?
いやいや、自分の体にあてなくていいから。
「下はこんな感じでしょうか」
輪になった紐から、褌みたいな帯が縦に伸びているだけの黒いショーツ。必要最低限しか隠す気は無いらしい。
だからあてなくていいって。
「そんなのはやめて」
そんな水着とも言えないような物を着られたら、僕はトラウマを克服するどころではないだろう。
それらを傍に置くと、レネは再びチェストを漁り始める。
「これは?」
一見普通のショーツ。綺麗な赤い三角形。しかし裏返してみると、お尻部分はくいこみそうな程に細い。
「えっと・・・あら?これは何でしょうか?」
そう言いながら取り出したのは、親指と人差し指で作った丸くらいの大きさの、ピンク色のシール。
これは・・・貼るだけのやつか。
「それ、水着じゃないって」
「あと・・・はこんなものが」
うむ。さっきよりは露出度の低い、紺色のワンピース——って、これスクール水着じゃない?なんでこんな所に。
それに、これじゃあレネの大きい胸は入りそうにない。
セラさんが似合いそう。
それはともかく、
「ちゃんとした水着ないの?」
普通のでいいんだけど。あまり過激過ぎる水着だと僕の鼻から流血するか、いろいろな理由で海から上がれなくなるかだ。
「ちゃんとした水着——私も着たことが無いもので、普通がどんな物か知らないですが——これはどうでしょう?」
レネが取り出したスパッツのような水着。まあ別に露出度は高くないけど、あんまり色気を感じない。って、僕はなんて我儘なんだ。
いや、ちょっと待てよ。そのスパッツにサスペンダーが付いてるけど・・・まさか、それで胸の先端を隠せ、とか?
「上は無さそうですが」
やっぱりそうか。こんな二センチ位のベルトで隠れる物なのだろうか。
妄想の中でレネの体に装着する。いや、それだけで鼻血が出そう。
そんな僕の妄想をよそに、レネはチェストを漁るが、基本的に過激なのばかりでまともな水着はあまり出てこない。
イナさんはなんて水着を持ってるんだか・・・実際着たのかな?などと、また妄想が——
「ショウさん?」
「あ、はい!」
びっくりした。妄想してたのがバレたのかと。
「あとはこんな感じのしかないですが」
「うーん。それは普通っぽいね。これはいいと思うよ」
「着ますか?」
「ん?ああ、そうか。着た事無いんだっけ。僕はレネに着てもらいたいな」
「ふふっ。分かりました。早速着てみます」
少し嬉しそうに笑ったレネがその場で着替えそうだったので、僕は慌てて寝室を出る。
さて、レネの水着姿ってどんなだろう。そんな風に心を躍らせる日が来るなんて、思いもしなかったな。
そうして姿を現したレネは——
過激な水着ばかり見て麻痺していたけど、充分に刺激的な姿だった。




