2 美味しくいただきます
夕食前にレネはシャワーを浴びに行った。
僕はダイニングテーブルの席に座りながら耳を澄ます。シャワールームでレネがどんな姿になっているのか、柔肌がどのようにお湯を弾いているのかが気にならない訳がない。
それは仕方ない。
ただ、出会ったばかりの男を部屋に置いてシャワーを浴びるというのは無防備すぎないか?僕にどうこうする度胸はないけど、少しは警戒した方がいいのではないか。
それぐらい僕の事を信用しているという事か。
そう考えると悪い気分ではないけど。
とは言え——
「レネはセイレーンだもんな」
ふと呟く。そう、見た目はともかく、人間とは違う。何か特殊な能力を持っていて、そのために人間に危害を加えられる心配がない、と言う事も考えられる。
そもそもの伝説から考えてみよう。
セイレーンは歌ごえで船乗り達を魅了して、船を沈没させる。そして、捕らえた人間を食べてしまう——
ちょっと待って。
今の僕の状況はまさにそれなんじゃないか?だって、僕はすっかりレネに魅了されているから。そして次の段階は、
「僕は食べられちゃうのかな?」
いや、レネは普通にチキンもビーフも魚も食べていた。ここであえて人間を食べる必要はあるの?人間からしか摂取出来ない栄養でもあるのだろうか?それとも、儀式的なやつ?
そうなると僕はどうしたらいいんだろう。逃げる?どこへ?戦う?レネと?無理だ。じゃあ、食べないでってお願いしてみようか。
でも、あの優しくて明るいレネの笑顔で「食べていいですか?」って聞かれたら、「痛くしないで」って言うのがせいぜいだろう。
そうか。これが魅了か。食べられてもいいやと思わせる、セイレーンの高度な戦略だ。
「はぁ〜。気持ちよかったです」
高度な戦略家がシャワーからあがる。白い肌をピンクに染めて、金色の髪から湯気を立ち昇らせたレネは最高に色っぽい。
あ、やっぱり食べられてもいいや。
レネから漂ってくるシャンプーとボディーソープの匂いは、僕の本能というか理性を刺激する。この匂いに包まれて食べられるなら、僕も本望と言えよう。
ただ、念の為確認。
「あのさ、レネ」
「はい?」
レネは答えると僕の隣に腰を下ろす。
うう・・・いい匂いの上に体温が伝わって来る・・・
でもここで折れてはいけない。
「あの、レネは好きな食べ物ってある?」
少し質問がブレてしまった。
「はぁ」
レネは不思議そうな顔をしながら金色の髪を丁寧に拭きながら短く答える。僕もなぜこういう聞き方をしたのか分からない。
「肉も魚も野菜も大好きですが。こういう答えでいいんですか?」
「い、いや、いいんだけどさ」
気を取り直して、
「えーと、セイレーンって人を食べるの?」
「はぁ」
レネは眉を顰める。何を言っているんだろうという表情にも、何で分かったんだという表情にも見える、
レネはくしを取り出すと、優雅に金髪をとかし始める。
「食べませんよ。伝説ではそう言われているようですけど、わざわざ食べる必要はありません」
当然のように言う。
「それに、食べるのであれば、ショウさんがベッドで動けないうちに食べてしまいますよ」
僕はつい先日までベッドから動けないほど体力を消耗していた。おまけにひどい風邪をひいていて、食べるのであれば絶好のチャンスであっただろう。
「でも、健康じゃなきゃおいしくないから、食べないでおいたのかもしれないし。だから、こうやって美味しいご飯を食べさせてくれるんじゃ・・・」
僕は多分、健康な方がおいしいだろう。根拠は無いがそう思う。
「そんな・・・いえ、そうです」
レネは何かを言いかけて、言い直した。きりっと眉を上げて、
「もっと元気に——じゃない、もっと美味しくなって頂くために、もっとたくさん食べて下さい。私がたくさん美味しいものを作りますから、美味しくなって私に食べられてください」
腰に手を当ててそう言って来るレネが何だか可愛い。僕を美味しくするために、たくさん食べて元気になって欲しいみたい。
僕は何だかどうでも良くなって来た。僕を元気にしようとしてこんな事を言ってくれるレネが愛しくて仕方ない。
たとえこれで食べられたとしても悔いは無い。
すっかり食べられる覚悟を決める事の出来た僕は、レネの用意してくれた夕食を全て平らげる。
塩胡椒で味付けされたチキンステーキを食べる僕を見て、レネが嬉しそうにしていたのが印象的だった。僕が美味しくなるのが楽しみに違いない。




