28 ご褒美
僕が熱地獄から解放されたのは約一時間後。レネの手が緩んだのを見計らって脱出を試みる。
転がってベッドから落下。痛みはあるが、地獄から逃れられた事にほっとする。あんな所にこれ以上いると、僕の理性が溶けてなくなってしまう。
ほっとしていると扉を薄く開けてこちらを覗いているセラさんと目が合った。
にやり、と悪い顔をしている。
「済ませたか?」
「何も済ませてない」
ただレネの抱き枕としての役割を全うしていただけです。
「じゃあ、アタシを楽しませてくれよ」
「楽しませるって、何?」
「言ってほしいのか?じゃあ、まずは弱ったレネの服を脱がせてだな」
「言わなくていいよ」
とんでもない事を言いそうだったので、セラさんの言葉を遮る。
「ん・・・ん・・・」
レネがみじろぎしている。見ると、ぱちっと目を開けた。恨めしそうに僕を見ている。
「・・・どうして布団から出たんですか?」
疑問と言うより、どうやら責められている。僕が先に布団から出た事にご立腹らしい。そんな事を言われても、あの灼熱理性破壊地獄はちょっとエグい。
「いやあの・・・」
どうして布団から出た事を責められなければならないのか。とは言え、頬を赤くして目を潤ませる風邪ひきレネは破壊力がすごい。
「あまりに熱いから、逃げたら落ちちゃっただけだよ」
僕がどうにかそう言うと、納得はしないまでも理解はしてくれた。
「すごく心が落ち着いたのに・・・」
それは抱き枕に徹していた甲斐があったと言うもの。
惚けてまどろんでいるレネは、熱病に侵されて三百年うなされるくらい可愛い。
「ともかく、レネ」
セラさんが扉を全開にする。
「そんないちゃいちゃを見せつけてないで、さっさと飯食って薬飲め。さもないと小僧の貞操を奪ってアタシの身体が無ければ生きられない体にしてやるぞ」
何言ってるんだこの人。色んな意味で怖い。
「ありがとうございます、セラ」
お礼の意味がよく分からないが、レネは言うと布団から抜け出る。少しふらついているようなので、支えてあげながらダイニングに向かう。
「もっとくっつけ、クソが」
セラさんは言うと、火にかけていたスープを器に盛る。芳醇な香りと、優しいコンソメの香り、
それを席に着いたレネの前に置くと、隣に腰を下ろした僕も何やらお腹がすいてくる。
「小僧も食うか?」
そう言ってセラさんは僕の分もよそってくれる。
風邪を引いたレネを気にして来てくれたり、スープを作ってくれたりと、口は悪いけどセラさんは優しい人、いや優しいセイレーンなんだなと思う。
口が悪いのは照れ隠しなんじゃないか?
それに、このスープの優しさは何だ。ほんのりとした素材の味重視の味付けで、体の隅々まで温かさと甘さが行き渡る。
「セラのスープは美味しいですね」
嬉しそうにスープを口に運ぶレネ。
「おい小僧」
レネと並んでスープを飲んでいた僕に、セラさんが睨みをきかせる。
「ここは『ふーふー』からの『あ〜ん』が常識だろ。何自分も楽しんでんだ」
そう言えばそうか。風邪引きエピソードで最大のイベントを忘れていた。セラさんのスープがあまりにも美味しくて我を忘れていた。
「ふぅー。美味しかったです」
メインイベント終了のお知らせ。レネが器の中のスープを完食。・・・食欲があるのはなにより。
「けっ。詰めの甘い野郎だ」
セラさんは僕に向かって吐き捨てるように言うと、持ってきたカゴの中から小さな紙で包まれた何かを取り出す。
二センチ四方くらいの大きさに畳まれたそれを広げると、茶褐色した粉が見えた。
「レネ。これを飲め。記憶が飛ぶほど苦い薬だ。その代わり効果は抜群」
なるほど、これがセイレーン界の風邪薬か。セイレーン界でも薬は苦いんだな。
しかしそれを見たレネが難色を示す。
「・・・苦いのは嫌です・・・」
子供みたいな事を言う。可愛いけど。
「飲まないのは勝手だが、治るまで時間がかかるだけだからな。それまで小僧が看病すればいいから、アタシとしてはどうでもいいんだがな」
セラさんの言う通り、風邪が治るまで僕が看病するつもりだけど、当然早く良くなってほしい気持ちもある。長い時間ベッドに縛り付けられているより、楽しくやっていきたい。
セラさんがにやりとする。
「小僧の口に突っ込んで、口移しで飲ませた方がいいのか?」
「いいんですか?」
「ちゃんと舌を絡ませるんだぞ」
「いや、待ってよ」
なぜか乗り気なレネを制する僕。
「口移しはキスとは違いますよ」
「呼び方が違うだけじゃないか」
「だから違うんです」
レネが食い下がる。まあ、以前人工呼吸とも違うと頑なに言っていたし、レネの中では明確な違いがあるのかもしれない。とは言え、口移しはキスよりも上級者がやる事ではないだろうか。
そりゃあ、僕だって人工呼吸で感じそこねたレネの唇に触れたい気分はもちろんある。でも、そういう作業みたいな行為で済ませたくない。セラさんも見てるし。
そもそも、なんでレネは乗り気なんだろうか。熱のせいで正しい判断が出来なくなっているんだろうか。
セラさんはにやにやしている。
「どうせならたっぷり濃厚なヤツで人間とセイレーンで風邪は感染るのか、て検証でもしてみたらどうだ?」
感染るかどうか分かってないんだ。以前僕が風邪をひいたときはレネには感染らなかったけど。
「風邪が感染るのは嫌だな」
僕は純粋に思う。早くレネの風邪を治して、散歩したり魚釣り行ったりというレネとの生活を楽しみたいのに、僕を看病する事で貴重な時間を使いたくない。
限られた時間かもしれないのに。
「・・・私もショウさんに感染すのは嫌です」
レネも同じ気持ちなのか、表情を曇らせつつもそう言う。
でも何だろう。少し残念に思うのは。
「じゃあせめて、私にそれを飲ませてください。それと、薬を飲んだご褒美に甘い物が食べたいです」
レネが上目遣いで甘えてくる。可愛い。
「いいよ——って言うか、卵とか牛乳はある?」
「持ってきたぞ。あ?甘い物か。アタシを無視するつもりじゃないだろうな」
「セラさんも食べたいなら作るよ。甘い物は好き?」
「ああ。濃厚なディープキスを眺めるのと同じくらい好きだな」
その比較はよくわからないけど、まあ、好きなのだろう。
「だから早くレネの口に薬をぶちこんで、さっさと作りやがれ」
セラさんはそう言って、薬の包みを僕に手渡す。
レネはその茶褐色の粉を見て、子供みたいに苦い顔をする。可愛いんだけど、
「ちゃんと飲まないと治らないよ」
僕は薬を手にレネに迫る。
「うう・・・」
「ほら、口を開けて」
「ちょっと待って下さい・・・」
「ダメ。ちゃんと大きく開けて。入れてあげるから」
「でも心の準備が」
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。もっと力を抜いて」
「じゃあゆっくりお願いします。急に入れる事はしないで下さいね」
「分かった。だから口を開けて」
「なんかヤラシイな」
セラさんが何故か苦笑いしている。
「じゃあ入れるよ、レネ」
「はい——んん!」
思い切ってレネの口の中に入れると、レネは目を白黒させて手をばたばたさせた。
「んんんーんんんんんー!」
口をどうにか閉じて涙目で何かを訴えてくる。
「ほら、水だよ」
僕が水を差し出すと、レネはそれを一気に飲み干した。薬と一緒に。
そしてしばらくそうして悶えていたが、そのうち落ち着いてきて潤んだ目で僕を見上げた。これも可愛い。
「すごく苦いです・・・だから早くご褒美が欲しいです」
切り替えの早いレネに、僕は苦笑いを浮かべながら準備を始めた。
「プリンが甘くておいしいです〜」
「うまいな〜。レネ、いっつもこんなの食ってるのか。どうりで」
「なんですか?」
「いや。胃袋掴まれてるからなんだな、て思ってな」
「そうかもしれませんね」
「嬉しそうだな」
「嬉しいです〜」
僕のお手製のプリンで表情を溶かした二人。
このおかげかどうかは分からないけど、翌日にはレネの熱もすっかり下がった。




