25 どうしよう
「歌いたいんです。私が歌う事を許してくれますか?」
と言うレネの言葉。
なぜ僕にそんな事を尋ねるのだろうと思ったのだけれど——そうか、その歌のせいで僕が死にかけたからか。
レネの歌は嵐を呼ぶのだ。その歌のせいで船は沈み、僕は海に投げ出された。
先日船から海に投げ出された経験がトラウマになったせいか溺れてしまった事もあったので、レネも気にしているのかもしれない。
「多分だけど・・・大丈夫じゃないかな」
勿論確信はない。なにせ、先日溺れた時だって、その瞬間までは自分が泳げると思って疑ってなかったし。その事象が起こるまでははっきりとは言えない。
でも、
「僕はレネの歌を聴いたわけじゃないからね。トラウマなんてのは植え付けられていないと思うんだけど」
「そうですか?私の歌に恐怖を覚えてしまって、私の事が嫌いになったりしませんか?」
不安そうに見上げる青い瞳。僕に嫌われるのを恐れているんだ。
キュンとするなぁ。
「嫌いになる訳ないよ。僕は多分、歌が無くてもレネに魅了されているんだから」
ふいに口から出てしまってから、まるで告白みたいだなと恥ずかしくなる。
恥ずかしくなった僕の胸に軽い衝撃。レネが頭を寄せてぐりぐりおしつけてきた。急な事でオロオロしていると、レネはおでこを離して僕の両手をとる。
至近距離で見つめ合う。
そんなレネは世界中の海を音符で満たしたいくらい可愛い。
「ありがとうございます。ここにいるのがショウさんで良かったです」
レネは微笑むと、僕を見上げたまま目を閉じる。
あ、これはもしや・・・
その小さな唇から歌を紡ぎ出した。
あ、違った。
~~♪
初めて聴くレネの歌声。以前聴いたセラさんの歌とも違う、素朴で優しい歌声。何の抵抗もなく僕の中に入って来て、暖かくて心地よい気分で満たされる。
言葉は全く理解出来ないけど、大きな愛を込めた歌だと言う事は分かる。その愛に包まれるように、周囲が暖かくなるのを感じる。
なんだかふわふわした気分になる。雲の上を浮遊するような、足もとがおぼつかない感覚。すべての筋肉が弛緩され、脱力してスライムにでもなってしまいそう。
全ての細胞に届く子守唄。夢と現実の間で揺れ動く。
幸せという物が音楽であったなら、まさにレネの口から発せられるメロディがそれだろう。
時間も忘れて聞き惚れえていたい——さらに魅了されようとした時だった。
「え?」
どこからかひんやりとした鋭い風を感じ、水平線の方へ視線を向ける。するとどこからともなくむくむくと入道雲が現れ、あっと言う間に仄暗い雲で空が覆い尽くされた。
世界中の雨雲を全て集めてきたのではないかと思えるほど雲は分厚く、重さを感じられるほどの圧迫感を感じさせる。
その雲は時間と共に暗さを増してゆく。
次第にゴロゴロと雷鳴が鳴り響き、雲と雲の間を竜のような稲妻がいくつも走る。
レネは歌をやめない。
突風が巻き起こり、周囲の木々がざわめきだす。そのうちざわめくどころでなくなり、あらゆる方向から吹きつけられる暴風にこれでもかと揺さぶられる。
風にあおられ、多くの葉っぱが巻き上げられる。
見ると、海はかきまわされたように波打ち、大きく盛り上げられた波は海面に叩きつけられ、爆発音に似た音を響かせる。
地響きすら聞こえる気がするが、波が岩にぶつかる音だろうか。
立っているのもままならない危険を感じ、レネを抱きしめる。
「れ、レネ、もう危ないよ!」
言うとレネは歌をやめ、目を開けて僕を見上げた。
可愛い・・・
いや、今はそれどころではない。
厚い雲が広がって、風が強まって来たって事は、
「ほら、降ってきた!」
ぽつぽつと、小さな雫が降ってきた。
いや、小さな雫だったのは一瞬だけ。
それをきっかけにしたように、空中の雲から雨粒が一気に吐き出される。まさに滝のような雨。叩きつけるような雨。
雨粒ごときに痛みを感じたのは初めてだったかもしれない。
僕はレネを抱きしめて庇いながら、ひとまず木の下に避難する。いや、風に揺さぶられる木なんて雨を遮ってはくれない。
しかも、真上どころか前後左右どこからでも襲ってくる雨粒は、容赦なく僕とレネを濡らす。
「ショウさん!あっちです!」
我に帰ったレネが指差す方向に僕は走る。
雨どころか海の中を走っているような錯覚を覚える。トラウマが蘇る暇すらない。
視界が遮られるなか、レネの指し示す方にどうにか向かうと、そこには小さな洞穴があった。
躊躇なく飛び込む。
入り口付近では荒れ狂う風と雨が防ぎきれないので、なるべく奥を目指す。とは言え、十メートル程で行き止まりだった。
まあ、それでも雨風はしのげるかな。
「ふう・・・」
息を吐き、
「あの・・・」
「え?あ!」
レネを抱きしめていた事を思い出し、慌てて解放する。
レネは優しく微笑む。
「歌う事が出来ました」
嬉しそうにびしょびしょの金髪から雫を垂らしながら笑うレネは可愛い。でもそれ以上に全身濡れて色っぽい。
それよりも、
「・・・レネ、下着が透けてる」
濡れた白いタンクトップの宿命か、うっすらどころかはっきりと水色のブラジャーが透けて見える。
「あ、本当ですね」
レネは自分の姿を確認し、ずぶぬれのタンクトップをつまむ。
そして、躊躇なく脱いだ。
「ま、待って待ってレネ!」
止めようと思ったが、そんな間もなくレネのブラジャー姿が露わになる。
僕は急いで後ろを向く。
でも、見ちゃった。見ちゃったな・・・。
僕は毎日のようにレネのブラジャーを眺めているが、それが本来の役割を全うしているところを見た事はなかった。
それを目を逸らすまでの一瞬だが、目の当たりにしてしまった。
思っていたよりも大きくて丸くて柔らかそうな白い膨らみが、僕のよく知った布に窮屈そうに包まれていた。
二つの山の間にある渓谷は深く、丸い断崖絶壁から滑り落ちれば二度と生きては帰って来られないだろう。
いや、むしろ飛び込んで天国に向かいたい。
一瞬の事ではあるが、その画像は僕の脳内ストレージにしっかりと記録され、厳重に保存されることになった。ちなみに同じ記憶領域には『レネの全裸(後ろ姿)』も保存されている。
「どうしました?」
なぜここでどうしましたと言えるのか。
「濡れた服を着ていると風邪をひいてしまいますよ」
「だからって、僕の前で脱がないでよ!」
「大丈夫です。下着はつけています」
何も大丈夫じゃないのよ。
「パンツも脱ぐのでちょっと待って下さい」
ぱんつ!いや、ショートパンツの事か、それなら良か・・・良くない!
「レネ、ダメだって!脱いだら!」
「濡れた服は気持ち悪いですから。風邪もひいてしまいますし。ショウさんも脱いで下さい」
推定下着姿のレネは僕の服に手を伸ばす。
「いや、ちょ・・・」
どういう訳か手際よく脱がされる。
推定下着姿のレネと、半裸の僕が狭い洞窟に同居する。
背後でばしゃっと音がする。服を絞った音だろうか。それよりも、外では雨が岩を叩く音と、身震いするような風切り音と、謎の地響きが止めどなく響いている。
どうしよう。
でも見たい気持ちももちろんある。そんな気持ちになるのは今日二回目だ。
どうしよう。




