21 事故②
「ごほっ!」
大きく咳き込んで海水を吐き出したと同時に、僕は目を覚ました。
ゆっくりと視界に光が戻る。
砂浜に仰向けに寝かせられて、目の前には僕の鼻をつまんで大きく息を吸い込んでいるレネ。全身がずぶぬれで、前髪から水が滴り落ちる。
僕が目を覚ましたのに気づくと、レネは大きな目に涙をいっぱいにためて、ゆっくりと抱きしめてくれる。
震える腕で優しく。
・・・おそらく死の淵から帰って来たところだろうけど、濡れた服で抱きしめられると何だか艶かしい。でも、その奥の暖かい体温に安心感を覚える。激しい心臓の鼓動が伝わって来る
「良かった・・・ショウさん・・・」
声にならない声。絞り出すように言うレネ。
「ごめん、レネ。また助けられたね」
僕に抱きついてきたレネの頭を撫でる。濡れてびしょびしょだけど、指通りの良さは変わらない。
「いいんです・・・それは・・良かった・・・助かって」
そう言いながら僕の胸に顔を埋めるレネ。心配かけちゃったみたいで、心が痛い。
「ショウさんが死んでしまったら・・・私は・・・生きていけません」
「大袈裟だよ、レネ」
僕は言って、笑みを浮かべる。
それでもレネは泣き続けた。いつも柔らかな笑顔のレネが声をあげて。
レネの頭と背中を撫でてあげる。この愛おしい背中を、僕は悲しみで満たしてしまった。これは、僕が一番望んでいない事だ。レネにはいつも笑っていてほしい。それこそが僕の幸せ。
レネは中々泣き止まなかった。僕は砂浜の熱さと、レネの体温に挟まれて天国にいるかのような気持ちになる。うん、こっちの天国には、僕の天使様がいる。
次第に落ち着いてきたレネが顔をあげる。真っ赤な目で僕を見ている。
「約束して下さい」
「何?」
「もう私を一人にしないって」
「一人にはしてないよ」
「私が一人になりそうな事はしないって」
僕を責めるような、懇願するような目。真っ直ぐ見据えたその目に僕は、
「うん。一人にはしないよ」
そう言ってレネを強く抱きしめる。こんな小さな天使を残して僕はどこにも行けない。
言っているうちにレネも落ち着いてきたようだ。心臓の鼓動もゆっくりになって来た。
数秒どころか数分は沈黙が続いた。
「ショウさん、死んでしまうかと思いました」
僕の胸に顔を乗せたままのレネ。その目には不安そうな光を残したまま。
「ごめんよ」
もう何度目だろう。
「もういいです」
いつもの笑顔。人生の全てを投げ打ってでも守りたいくらい可愛い。
「人工呼吸が間に合って良かったです」
そう、人工呼吸ね。溺れた人にするマウスツーマウスの——
「え?人工呼吸?」
「はい。間に合いました」
にっこりと笑うレネの唇に目がいく。
「それって、唇と唇を——」
「そうです」
きっぱりと言うレネ。僕は、レネと唇と唇を重ねた。
一気に頭に血が昇る。
「そ、それってファーストキ——」
「違います。人工呼吸です」
あくまでそう言うレネ。
いや、国によってはキスはただの挨拶だとも言われるし、人工呼吸とは明確な違いがあるのかもしれない。
でも僕にとっては、初めて唇を重ねた瞬間でもある。
「人工呼吸ですから」
レネはかたくなに、僕の目を見て言ってくる。
「大丈夫です。ショウさんと私のファーストキスは守られています」
ああ、人工呼吸だから僕とレネの——レネの?
なるほど。そういう事か。
僕なんかがファーストキスの相手だというのを認めたくないのか。
レネが未経験だったって事が意外だったけど、その初めてを大切にしたいって気持ちは万国共通なのかな。ならば、そういう事にしておいてあげた方がレネの為か。
少しがっかりしながらも、納得。とは言え、僕にとっては大切な経験である事には間違いない。
「それに、二度目ですし」
ああ、ファーストでもないのね。
レネと生活していると何度か思うが、僕にとって大切な経験が、僕が覚えていない間に起こっている事が多い。せっかくレネと唇を重ねられたのに、どうしてその感触を覚えていないんだ。覚えていたら人工呼吸など必要ないだろうと言われても、なんだか納得出来ない。
納得は出来ないが、それによって命が助けられたのも事実。レネの唇によって救われたと考えれば、幸せな事かもしれない。
「ごめんね、レネ」
謝ってばかりだな。
「いえ」
レネは僕の胸の上で目を閉じた。
「いつか、ちゃんとしたファーストキスが出来るといいですね」
やっぱり、ちゃんとしてないファーストキスだったんだ。
「でも、柔らかかったです」
僕、その感触知らないんだけど。




