19 誤解
「はぁ~。サクサクの生地にふわふわなクリーム。ショウさんのシュークリームはどうしてこんなに美味しいんでしょう」
世界平和の権化みたいにうっとりした目でシュークリームを頬張るレネ。これでも世界中の船乗りが恐れ慄くと言われるセイレーンだ。口の周りが粉砂糖まみれになっている。
「レネは甘いものには夢中になるよね」
ハンカチで粉砂糖を拭ってあげる。本音を言うと、その粉砂糖を全部舐め尽くしたい。
「だっておいしいんですもの」
たくさん作ったはずなのに、半分以上無くなっている。
「そこまで夢中になってくれると嬉しいな」
僕は言いつつ、レネの幸せそうな顔を見ながらコーヒーを一口。砂糖を入れていないのに甘く感じる。
「あぁ~幸せです」
「また口の周りが粉砂糖まみれになってるよ」
さっき拭いたばかりなのに。
「拭いて下さい」
レネが言って僕に顔を向ける。少し違えばキス顔みたいな。
・・・可愛い。粉砂糖をすべて拭ってお菓子の国を冒険したいくらい可愛い。
レネのおねだりを僕が断れる訳もなく、ありがたくレネの口元を拭わせて頂く。必要以上に口元の柔らかな感触をハンカチ越しに楽しむ。
また粉砂糖まみれにならないかな。
これがマッチポンプと言う物か。
そうして僕がレネの口元に粉砂糖がまみれるのを待っていると、
「ん?」
ポケットのスマートフォンが振動している。メールやメッセージでなく、通話の着信。珍しい。わざわざ電話をてくる人は誰だろう。
スマートフォンの着信画面を見る。
『林田由希子』
んー。クラスの中心的人物の女の子か。僕みたいな目立たない人間にも気を配ってくれる、リーダー的な存在だ。
いつも気さくに話しかけてくれるけど、電話で話すのは初めてだ。
少し緊張しながら出る。
「はい。カグラです」
『あ、カグラ君。よかった繋がった。林田です。全然メッセージ返してくれないから』
快活な声が響く。そうか、あの写真を送るというミスを犯して以来、返信が怖くて返事どころか見てもいない。
「ごめん。いろいろあって」
『いーのいーの。カグラ君元気にしてた?確か、親切な人のお世話になってるんでしょ?』
「うん。元気だよ。僕に良くしてくれる人だし」
『あの可愛い人でしょ?カグラくんも隅におけないねぇ』
「そんなんじゃないって」
久しぶりのクラスメイトの声に、つい顔が綻ぶ。そしてふと見ると、レネがシュークリームを頬張りながらこちらを横目に見ている。
?
「それより、何かあった?」
わざわざ電話してくる用事があったのだろうか。
『いやね、カグラ君が帰ってくるとしたら、皆んなで迎えに行こうかって話になってるのよ。皆んな心配してるし、早く会いたいって思ってる人も多いみたいだし』
「帰り、かぁ・・・」
夏休みも半分過ぎた今、そろそろ考えなければならないかもしれない。でも正直なところ、あまり帰りたいという気持ちは無い。
『いつ帰るとか、どこに着くとか、決まったら教えてよ。まあ、帰らないっていうなら、カグラ君の自由だけどね~』
「そんな事言わないでよ」
『まあ、皆んな待ってるって事よ。待ちに待ってる女子もいるって噂が——』
なぬ。それは初耳。でもしかし、僕の心はレネに魅了されている。もし本当なら残念な話をしなければならないかもしれない。
「ショウさん」
少し浮かれた僕に、レネが呼びかける。なぜか、いつもより大きな声。
『例の人?可愛い人なんでしょ?』
「うん。すごくね」
「ショウさん」
さっきよりも大きな声。
「いつものように私のブラジャーを洗濯しておいて下さいね」
「え?あ?うん。わかったよ」
どうして今そんな事を?
『え?ブラジャー?って、カグラ君とそんな仲の人なの?』
「いや、え?違う、違う。洗濯を手伝ってるってだけの話で」
「毎日一緒に寝ているので、シーツが汚れてしまいます。これも洗っておきましょう」
やはり大きな声でレネ。どうしたんだろう急に。
『い、一緒に寝てるの?汚れてる?え?可愛い女の人だよね?そんな関係なの?』
林田さんに言われてはっとする。レネは誤解されかねない事を言っている。いや、誤解ではないんだけど。
「い、いやいや、そうじゃなくて」
レネが大きなシュークリームを一口で食べようとしている。が、さすがに無理があって、クリームが中から飛び出して頬についてしまう。
レネが黙って僕に頬を向ける。
あ、拭けと。ありがたき幸せ。
「あの、今シュークリームを食べていて——」
僕は言いながら、レネの頬にかかったクリームを拭いてあげる。
「ショウさん・・・いつも優しく触れてくれる手が・・・くすぐったいです」
なぜか艶っぽい声を出すレネ。
『うわぁ・・・』
林田さんが音をたてて引いていくのを感じる。どうにかしなければ。
「は、林田さん、とにかく誤解で、そんな、いかがわしい事をしてる訳じゃないから」
『本当?いまいち信じられないけど。まあいいわ』
信じてもらったかはわからないけど、誤解されたままではたまらない。
いや、誤解じゃない事もあるのか?でも、なぜレネは今こんな事を言うんだろう。わざわざ親密アピールみたいな。
「あのさ、申し訳ないけど、この事は皆んなには内緒にしてもらえる?誤解なんだけど、何か面倒な事になりそうで」
クラスには多感な人がたくさんいる。
『あー、その事なんだけど』
林田さんの声。今まで気づかなかったけど、その背後がざわざわしている。
まさか・・・
『今、皆んなで聞いてるの』
「!!」
『今日登校日だったから、連絡してみようって話になって』
「!!!」
『スピーカーで聞いてるんだけど・・・何か怖い顔してる人がいっぱいいるなぁ』
「ちょ、あの」
「ん・・・ショウさんはやっぱり上手です・・・私・・・夢中になってしまって・・・」
ほら、また誤解されそうな事を。シュークリームの話でしょ?
『ごめんね、カグラ君。いや、いろいろ決まったら連絡してよ。こっちから連絡すると、いろいろ邪魔みたいだから・・・ちょっと赤くなってる子もいるから、切るね。じゃ』
ツーツー
逃げるように電話を切ってしまった林田さん。いや、やっぱり誤解されたままだ。
僕はゆっくりとレネを見る。なぜか電話口の林田さんに誤解されかねない事を言うレネ。今までこんな事を言った事はないのに。
レネは何故か満足そうに最後のシュークリームを頬張る。口元を粉砂糖まみれにしてうんうん頷いている。
学校の女子との会話。まさか。
あのー。
もしかして、レネ、やきもちやいてる?
ともあれ、帰ると言う選択肢が小さくなったのは間違いない。




