12 媚薬
今日は僕一人で魚釣り。レネはセイレーン組合の仕事がどーとかで手が離せないらしい。——セイレーン組合って何だよ。
まあつまりはセイレーンの互助組織で、足りない物を融通しあったり、情報共有したりする組織らしい。
そんな事は僕に手伝える事はないだろうし、邪魔になるかもしれなかったので、食料調達として釣りに出かける事にした。先日レネが使っていた釣竿で。
場所は以前の場所でいいかな。岩場の辺りも悪くないと思うんだけど。
僕は普段から釣りを趣味としていないので、どんな所が釣れるとか、ポイントがどこかなんて事は知らない。言ってしまえば、針の結び方すら知らない。
そんな僕が釣りをするなんておこがましい——けども、どちらかと言えばレネの邪魔をしないように外に出ただけなので、釣れようが釣れまいが関係無いと言ってしまえばそれまで。まあたまには一人でのんびりやるさ。
白い砂浜を抜けて桟橋岩までやって来る。
僕は少し考えて、桟橋岩には上らずに岩場を歩く。この先は何があるんだろうか。以前レネと来た時にはしばらく岩場が続いていて、もうすこし行けば洞窟なんかがあるらしいけど、さすがに今日は行く気がしない。
この辺でいいかな。足元の悪い岩場。ここから波打ち際に行って、そこらか釣り糸を垂らそうか。
そう思いつつ場所を選んでいると、岩場にある一際大きな岩の上、電話ボックスくらいの大きさの岩の上に、誰かがいた。
亜麻色の髪を肩まで伸ばした、女の人だ。彫刻のような美しい容姿をしており、ミステリアスな雰囲気がある。白いノースリーブワンピースを着ており、細身でスタイルも悪くない。
そして、背中には真っ白な翼を生やしている。
レネやリンさんの仲間のセイレーンだろうか。目を閉じて、リズムを刻むように体を揺らしている。
~♪
歌が聞こえた。繊細で、どの楽器でも再現する事の出来ない哀愁のある歌。そんな歌が、目の前の女の人の口から紡がれている。
その歌は僕の耳ではなく、頭の中に直接響いいているよう。
僕はその人から目が離せなくなった。金縛りにあったように体の自由が効かなくなる。
しまった——僕がそう思った時には遅かった。そう、彼女は多分セイレーンなんだ。その歌を聞いてしまうと、魅了されてしまう。レネは歌を歌うと嵐を呼ぶらしいけど、彼女もそうなんだろうか。でも天気は変わる様子はない。
~♪
歌はどんどん盛り上がりを見せている。それと共に、美しい歌声がこの岩場を支配するかのように響き渡る。
岩達が共鳴するスピーカーのように、この場に歌の結界を張るように旋律を閉じ込める。
彼女は薄く目を開けた。僕を誘うように、僕を蔑むように。
もう僕は抗う事が出来なくなっていた。
僕は岩場から踵を返すと、彼女に背を向ける。
「あ、おい!」
歌をやめた彼女が何か言っている。だが、僕の耳には届かない。
早足で砂浜を抜け、住み慣れたレネの家に辿り着く。扉を開けると、台所でレネが作業中。
「あら、ショウさん。お魚さんは釣れましたか?」
鍋を火にかけているレネは、今まで出会った女性を全て忘れられるくらい可愛い。僕が魅了されたセイレーン。
僕は部屋にずかずかと入る。
「ひと段落したので、お昼ご飯を作っているんですよ」
レネはそう言って僕の方を向く。僕はレネの間近まで近づく。
「どうしました?」
目の前で僕を見上げるレネ。上目遣い。可愛い。レネの甘い匂い。お昼ご飯のシチューの匂い。
僕はレネの目を真っ直ぐに見据え、頬に手を添える。大きな青い瞳に僕の姿が映っている。ゆっくりと手を顎に移動させる。息がつまりそう。いや、呼吸を忘れているよう。そしてゆっくりと顔を近づけて、その少し開いた桜色の唇に——
ちゅ。
冷たい感触。
僕のファーストキスはレネの持つおたまに捧げられる事となった。
「どうしました?」
おたまを手にもう一度言うレネ。
「?あれ?どうしたんだろう?」
何だか夢を見ていたみたい。夢現の中で夢遊病にでもなったような不思議な感覚。
「何があったんだろう?」
僕は釣りに出かけて、岩場で——
そうだ、誰かを見かけたんだ。
その時部屋の扉が勢い良く開く。
「ちょっと!テメェ!」
そう叫んで姿を現したのは、先程岩場で見かけた亜麻色の髪をした女の人。翼はしまっている。
「あら。セラじゃないですか」
レネがそう言って小さく手を振る。
「ショウさん、彼女はセラ。私たちと同じくセイレーンです」
にこにこと僕に紹介してくれるレネ。でも、セラと呼ばれたセイレーンは不満そうに、半眼で僕を睨んだ。
「テメェ、アタシが歌ってあげたのにどこに行くんだ!」
下から睨んでくる。レネより少し背が低い。
「どこって・・・ここだけど」
セラさんの気圧される雰囲気に後退りながら答える。セラさんは美人だけど目つきが悪い。
「アタシが歌ったら、アタシに魅了されるはずなのに、なんでここに戻ってくるんだよ!」
「そうは言われても・・・」
「アタシはアンタを魅了して、アタシがおいしくいただくつもりだったのに!」
セラさんは地団駄を踏む。怖い。人を食べるセイレーンもいるんだ。
「ダメですよ」
レネが抗議の声を上げる。
「ショウさんは私が美味しくして食べるんです」
そーだそーだ。僕はレネに食べられるんだ。
「チッ」
セラさんは舌打ちをする。
「私の歌がレネに負けたみたいで気に入らねぇ!」
「そんな事ないですよ。セラの歌で魅了されない人なんていません」
「いるだろうがここに!」
セラさんが言って、僕を指差す。
「こんなトボけたクソ野郎みたいな顔して、歌った私じゃなくてレネを選ぶなんて、どんな色仕掛け使ってんだ!」
トボけたクソ野郎みたいな顔。それはどんな顔ですか?
「でも、セラの歌に魅了された事は間違いないと思いますよ」
「それが私に向かってない事が気に入らないって言ってんの!◯すぞ!」
「セラの歌は媚薬ですからね」
「嵐を呼ぶ専門のアンタに負けるわけにはいかねぇんだよ!」
セイレーンって担当が決まってるのか。
ともかく、セラさんは美人だけど口が悪い。黙っていればミステリアスで清楚なんだけど。
こういう人は苦手だな。僕は。
「おい、小僧」
セラさんは僕を指差す。
小僧呼ばわりになったよ。
「何?」
思わずあとずさる。
セラさんの鋭い目にぞくっとする。いや、そういうぞくっじゃなくて、ただ怖かっただけだと想う。多分。
「次は本気出す。レネのスケベな体なんか忘れさせてやる。土下座して足の裏舐めるまで許さねぇ」
無茶苦茶な事を言う。ただ、よっぽど悔しかったんだな、とは思う。
反面、足の裏舐めたら許してくれるのかな、とも思う。別に他意は無いけど。
セラさんはもう一度僕とレネを睨むと、扉を出て飛び立って行った。
手を振って見送るレネ。
セイレーンっていろんな人がいるんだな。




