9 翼の秘密
「んー」
今日はレネが羽を伸ばしている。
いや、その言葉通り、背中の翼を大きく広げてゆったりと羽ばたかせている。
その翼はセイレーンの証。
金髪碧眼の美少女で、真っ白な翼を持っていたから、僕が天使と勘違いするのも無理はない。輝く太陽の下で真っ白なタンクトップとショートパンツ姿も相待って、これから天国に向かう準備を始めたいくらい可愛い。
その翼をどうあの小さな背中に収納しているのかは未だに謎だが、どうにか物理法則を無視して折りたたんだ翼を時折広げておかないと、動きがかたくなってしまうらしい。
「やっぱり綺麗だよね。レネの翼」
汚れもシミもない、レネの素肌のように真っ白な翼。所々抜け落ちたり、ぼさぼさになって荒れているのは、僕を助ける為に無理をしたせい。それでも美しさが損なわれるとは僕は思わない。
「少しは良くなった?」
僕はレネの翼に触れる。柔らかくてしなやかな手触り。
「あ・・・んんっ・・・はい、以前よりは良くなっています・・・んっ」
何だか体をくねらせてレネがいやらしい声を漏らす。この翼、敏感なのかな。
だとしたら、傷ついた場所に痛みを感じたりするのだろうか。
僕は手を引っ込める。
「ふう」
レネはちょっと上気した頬で息を吐く。すごく色っぽい。
触るのが躊躇われるので、レネの翼を観察する。おそらくこの世界の人物のほとんどが見た事がないだろうが、僕もレネに出会うまでは天使の翼は見たことがなかった。ていうか、天使も見たことがなかった。レネはセイレーンだけど。
まず背中はどうなっているんだろう、と思いレネの背中に回る。
「どうしました?」
「いや、どうなってるのかと思って」
翼がレネの着るきわどいタンクトップを突き破っているのかどうか、気になる。いや、それだったらタンクトップは形をなしていないか。
実際に見てみると、何の事はない、タンクトップの背中側の袖から伸びていた。その都合もあってレネはこんな格好しているのか。そう言えば、悪魔様事リンさんもビキニで翼を伸ばせやすそうな格好していたな。
少し納得出来たところで、レネの正面に戻ってくる。
・・・そう言えば、さっきよりタンクトップが体に張り付いて豊満な双丘がくっきり浮かび上がっているような気がする。翼を袖から出した事で、後ろに引っ張られたか。
目の保養だけど——じろじろ見るのはやめよう。
レネは翼をゆっくりはためかせる。
「んー」
レネはそう言って、翼と共にそのしなやかな体を伸ばす。胸だけではないそのボディラインに僕の心はドキッと跳ねる。
それからゆっくりとレネは翼を羽ばたかせる。鳥よりもゆっくりと、大きく波打つように。
優しい潮風が舞い上がる。
僕はその優雅な舞のような動きをうっとりと眺めていた。まあ、半分は魅惑的なレネの体を眺めていた事は否定しない。でも、そのレネの羽ばたきは優しく、空気を撫でるように上下する動きはある種の芸術作品のよう。
そして何度目かの羽ばたきの後、
「あっ・・・浮いた」
ほんの数センチ、レネの素足が砂浜から浮き上がった。それからほんの数秒、その姿勢をキープした後、ゆっくりと砂浜に着地する。
熱い砂を素足で確認したレネは、僕に笑いかける。
「もうすぐ元に戻りそうです」
「そうか。よかったね」
僕のために翼はボロボロになってしまったんだ。これが元通りの美しい翼に戻った姿をちゃんと見届けたい。
「元に戻ったら、ショウさんと空を飛びたいです」
胸の前で手を合わせて言うレネ。
「一緒に?出来るの?」
僕を抱えて飛んだから翼はそうなってしまったんだ。またそうなってしまうんじゃないのか?
「少しなら大丈夫です。それに、あの時は雨も降っていましたから、もっと無理をしてしまいました」
そう言うレネに、『ごめんね』って言おうとして僕はやっぱりやめた。ここで僕がそう言ってしまっては、レネは却って責任を感じてしまう。
「そっか。じゃあ、一緒に飛べるのを楽しみにしてるよ」
最高に可愛い天使様と空中散歩。こんな幻想的でわくわくする事なんかない。こうなったら、大気圏から落とされたってかまわない。
「私も楽しみです」
そう言うレネの可愛い事。可愛くて愛しくて、僕は思わずレネの翼に触れる。その瞬間、
「んんっ・・・あっ・・・」
レネはがくっと膝をついた。
「あっ、ごめん、痛かった?」
僕はレネの手を引いて立ち上がるのを助ける。
「いえ・・・痛くはないです・・・ただ・・・力が抜けてしまって・・・」
レネの頬が上気しているのはなぜだろう。吐息が甘く感じるのはなぜだろう。大きな瞳が潤んでいるのはなぜだろう。
僕が戸惑っていると、
「やっているな、少年」
ふいに声がして、振り返る。
褐色の肌に、黒いビキニ。真っ黒な短髪に暗黒色の翼。
「・・・悪魔様」
「悪魔じゃねえ」
リンさんがすかさず訂正する。
「私だってセイレーンだ。そこ、間違えるな」
僕にびしっと指を差して言う。
「でも、セイレーンのイメージと違うからさ」
セイレーンにこんなロックなイメージはない。
「レネの方が違うだろう」
そうなんだけどさ。
僕の中ではレネがセイレーンそのものになっている。
「今日はどうしたんですか?」
僕に支えられて立ち上がったレネが、ピンク色の頬のままリンさんに問いかける。その様子を見たリンさんはにやりと笑い、
「いやらしい声が聞こえたから、急いで来た」
犬歯をきらりと光らせる。
「いやらしいって・・・僕はレネの翼に触れただけで・・・」
いやらしい声だったけども。
「ふふっ」
にやにやが治らないリンさん。思わず声も漏れてしまう。
「少年は知らないだろうが」
じっくりと勿体つけるように、
「セイレーンの翼は性感帯だからな」
「!!」
「セイカンタイって何ですか?」
僕とレネの反応を見て、リンさんがひひっと笑う。
「そんな訳だから、あまり触りすぎると大変な事になるぞ。まあ、少年にとっては大変でも何でもないかもしれないがな。盛り上がりたいなら、好きなだけ触るがいい」
「な・・・そんな事・・・」
「はっはっは。やっぱり君はおもしろい。そんな真っ赤な顔をしてると、金目鯛のようだぞ」
リンさんはそう言うと、暗黒色の翼をはばたかせてあっと言うまに帰って行った。
「?」
不思議そうな顔をして僕を見るレネ。
それに対して僕は——それ以来、レネの翼には触れられなくなった。




