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王女が死んだ夜

村外れの酒場は、夜だというのに静かだった。

客も少なく、外の風の音の方がよく聞こえる。


奥の卓で、ひとりの少女が落ち着きなく座っていた。

王都風の侍女服は、旅用に簡素なものへと替えられている。


ーー遅い。


何度目かも分からない視線を、扉へ向ける。

約束の時間は、とっくに過ぎていた。


(まさか‥‥‥)


嫌な想像を振り払おうとした、その時。


ギィ‥‥‥と、扉が軋む。


外套を羽織った青年と、

その腕に支えられた、金髪の女性。


「‥‥‥‥っ!」


椅子が音を立てて倒れた。


「セレシア様ーー!!」

少女は駆け寄り、次の瞬間、その膝が崩れ落ちた。


「よく‥‥‥‥よくぞご無事で………っ」

「本当に‥‥‥‥っ‥‥‥‥」


セレシアは、驚いたように目を輝かせーーすぐに理解した。


「‥‥‥‥あなた‥‥‥‥」


小さく名前を呼ぶと、侍女は堪えきれず、泣き出した。


「迎えに行けず‥‥‥申し訳ありません‥‥‥」

「王都から、動けなくて‥‥‥」


「いいの」

セレシアは、そっと頭に手を置いた。

「生きていてくれただけで、十分よ」


蓮は、その様子を少し離れた位置から見守っていた。

ここは、自分が踏み込む場所じゃない。


しばらくして、侍女が涙を拭い、深く息を吸う。


「‥‥‥お伝えしなければならないことがあります」


空気が、変わった。


「第一王子殿下は‥‥‥‥お亡くなりになりました」


セレシアの表情が、凍りつく。


「公式には、急病」

「ですが、王都では‥‥‥粛清だと」


言葉は、淡々としていた。

だが、それがかえって残酷だった。


「アルトリア派は瓦解寸前です」

「保護を約束していた貴族の多くが、既に手のひらを返しました」


セレシアは、静かに目を伏せた。


王都。

城。

帰るはずだった場所。


「‥‥‥‥‥そう」


声は、驚くはど落ち着いていた。


「私には‥‥‥‥」

小さく、呟く。

「もう、帰る場所がないのですね」


沈黙。


酒場の奥で、薪がはぜる音だけが響く。

その沈黙を破ったのは、蓮だった。


「ある」


短く、はっきりと。

セレシアが顔を上げる。


「俺の側だ」


侍女が、息を呑む。


「それは‥‥‥‥」

セレシアは、慎重に言葉を選ぶ。

「そういえば私は、あなたに"買われた"のでしたね」


自粛するように、わずかに笑う。


「これからはあなたの奴隷として‥‥‥‥」


「違う」


蓮は、即座に否定した。


「契約だ」

「ただし、"例外"の」


セレシアは、蓮を見つめた。


「従属でも、所有でもない」

「でも逃げ道のない契約だ」


「互いに?」

セレシアが問い返す。


「ああ」

「俺も縛られる」


一瞬の沈黙。


やがて、セレシアは小さく笑った。


「‥‥‥随分、不器用な申し出ですね」


「自覚はある」

少し呆れた顔をする蓮。


「でも‥‥」

セレシアは、胸に手を当てる。

「今の私には‥‥‥それしか選択肢がない」


侍女が、不安そうに二人を見る。

セレシアは、ゆっくりと蓮に向き直った。


「契約内容を」

「聞かせてください」


蓮は、頷いた。


セレシアの言葉は、静かだった。

だが、その奥にある覚悟を、蓮は感じ取っていた。


ーーだからこそ。


蓮は、すぐには答えなかった。


「‥‥‥正直に言う」


少しだけ視線を逸らし、

それから、真っ直ぐに彼女を見る。


「俺も、完全には分かってない」

侍女が、思わず声を漏らしそうになる。

だが、セレシアは遮らなかった。


「契約は、通常こうだ」

蓮は淡々と続ける。


「所有者と被所有者」

「命令と服従」

「逃げ道はないが、責任も一方通行」


それは、闇オークションでは何度も見てきた形だ。


「でもーーそれは嫌だった」


セレシアの眉が、わずかに動く。


「だから"例外"にした」

「俺が決めたのは、これだけだ」


蓮は、指を一本立てた。


「一つ」

「セレシアの意思を、俺は命令で潰さない」


次に、もう一本。


「二つ」

「俺は、セレシアを"守る側"でいる」

「ただし、対価は求める」


「対価‥‥‥‥?」


「隣に立つことだ」

蓮は即答した。

「後ろでも、下りでもない」


酒場の空気が、張り詰める。


「三つ」

「契約は破れない」

「後戻りはお互いできない」


ここで、蓮は一度言葉を切った。


「だから」

「これは、俺にとっても首輪だ」


沈黙。


やがて、セレシアが息を吐いた。


「‥‥‥‥なるほど」


ゆっくりと、笑う。


「従属しない代わりに、自由もない」

「守られる代わりに、あなたを見捨てられない」


「そうだ」


「ずいぶん、傲慢で」

セレシアは言った。

「ずいぶん、誠実ですね」


侍女は、言葉を失っていた。

それは主従でも、売買でもない。


ーー運命共同体。


「一つ、確認を」


セレシアは、王女としての目で問う。


「私は、あなたに従う存在ではない」

「だが、あなたと敵対することもできない」


「ああ」


「命令権は?」


「ない」

蓮は即答する。

「頼むことはある」

「でも、拒否権はお前にある」


「‥‥‥‥それでも、逃げられたら?」


「その時は」

蓮は、ほんの少しだけ笑った。


「俺の負け」


長い沈黙のあと。

セレシアは、ゆっくりと右手を差し出した。


「分かりました」


その声音は、もう"保護される者"のものではなかった。


「王女セレシアは、ここで死にます」

「そしてーー」


蓮を見る。


「あなたの"例外"として、生きる」


蓮は、その手を取った。


魔法陣は、現れない。

光も、誓約文もない。


だが確かに。


この瞬間、

二人の間に、逃げ道のない線が引かれた。


それは契約であり、

呪いであり、

そしてーー


蓮自身が、最初に背負った"対等な重さ"だった。

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