闇オークション【後編】
会場の空気が、はっきりと変わった。
それまで続いていた低いざわめきが、
誰かに首根っこを掴まれたかのように、静まっていく。
舞台袖から、黒衣の係員たちが姿を現す。
その中央ーー
魔力封印が幾重にも施された檻が、ゆっくりと運び出された。
「‥‥‥来た」
エルメスが、短く呟く。
蓮は息を飲んだ。
檻の中の人物が、顔を上げる。
金髪の髪。
灯りを受けて淡く輝くその色も、
凛とした顔立ちも、
まっすぐ前を見据える強い瞳もーー
(‥‥‥間違いない)
そこにいたのは、
蓮が知っている"彼女"だった。
(セレシア‥‥‥)
一度会っている。
短い時間だったが、忘れるはずがない。
王族としての気品と、
没落した者の覚悟を、同時に宿した少女。
ーーあの時と、同じ目をしている。
司会者の声が、淡々と響く。
「次の商品だが」
「身元、名は伏せる」
わざと間を置く。
「旧王家の血を引く者」
「現在は没落貴族」
「そしてーー王族の系譜に連なる"奴隷"だ」
会場が、ざわりと揺れた。
「魔力量は低いが」
「だが、剣術を中心とした戦闘訓練は確認済み」
「象徴としても、実用品としてもーー」
「"所有する価値"は非常に高い」
最低落札額が告げられる。
「白金貨五万から始めます」
始まった瞬間、
いくつもの札が、ほぼ同時に上がった。
金額は、すぐに跳ね上がる。
「ーー二倍」
「ーーさらに上乗せ」
「七万だ」
「十万」
(‥‥‥早い)
蓮の手に、自然と力が入る。
(売られている)
(セレシアが‥‥‥商品として)
だが、エルメスは動かない。
焦らない。
視線も逸らさない。
ただ、流れだけを見ている。
金額はさらに上がる。
「十万」
「十二万」
「十五万」
さすがに、札の数が減っていく。
そしてーー
「‥‥‥二十万」
エルメスが、静かに札を上げた。
ざわっ、と会場が揺れる。
(来た‥‥‥‥!)
蓮は、心の中で叫んだ。
その後、
数名が競り合おうとしたが、
金額が一段跳ね上がると、次々に降りていく。
「‥‥‥‥二十三万」
「‥‥‥撤退だ」
「高すぎる」
参加者の貴族たちが匙を投げ出した。
沈黙。
司会者が、視線を巡らせる。
「他にーー」
(決まる)
そう思った、瞬間だった。
「ーーあら」
軽く、楽しげな声。
「もう終わり?」
会場の空気が、凍りつく。
「その程度で、諦めちゃうのはーー」
「もったいないわね」
一拍。
「二十五万」
どよ、と会場がざわめいた。
「‥‥‥出た」
「シャネルだ」
エルメスが、わずかに目を細める。
「やっぱり来たか‥‥‥」
「‥‥‥‥白金貨二十五万」
その瞬間、
会場が、はっきりとどよめいた。
(‥‥‥‥は?)
蓮の思考が、一瞬止まる。
(白金貨‥‥‥?)
(確か一枚で‥‥‥)
頭の中で、必死に計算する。
(日本円にしたら‥‥‥)
(一枚で、約一千万‥‥‥)
(‥‥‥二十五枚?)
「‥‥‥大体、二億五千万?」
思わず、声が漏れそうになるのを、
蓮は必死で飲み込んだ。
周囲からも、抑えきれないざわめきが広がっていく。
「正気か‥‥‥」
「人一人に出す額じゃない」
「いや‥‥‥"王族"だからこそ、か」
エルメスは、静かに息を吐いた。
(この金額を、平然と出してくるのか)
そして、低く呟く。
「‥‥‥やっぱり、シャネルだ」
シャネルの声が、続く。
「だって
エルメスが、あんなに必死に落札しようとしている子なんて
気になるじゃない?」
悪戯っぽく、
けれど獲物を逃さない声。
蓮は、はっきりと感じた。
ーーここから先は、
ただの競りじゃない。
商人同士の、戦争だ。
会場の視線が、一斉にエルメスへと集まった。
誰もが分かっている。
ここで競っているのは、金額だけじゃない。
ーー"格"だ。
司会者が、間を置いて問いかける。
「白金貨、二十五万」
「他に、上乗せは?」
一瞬の静寂。
エルメスは、すぐには札を上げなかった。
椅子に深く腰掛けたまま、
指先を組み、ただ舞台を見つめている。
(‥‥‥まだだ)
蓮は、息を詰めてその横顔を見た。
(師匠‥‥‥?)
シャネルの余裕の笑みを崩さない。
「どうしたの?」
「もう終わり?」
からかうような声。
だがその視線は、完全にエルメスを射抜いている。
ーー降りるか?
ーーそれとも、続けるか?
その沈黙自体が、値踏みだった。
司会者の口が開く。
「ではーー」
その瞬間。
エルメスが、静かに札を上げた。
「‥‥‥二十八万」
低い声。
抑揚も感情もない、ただの数字。
だがーー
どよっ、と会場が揺れた。
「上げた‥‥‥‥!」
「まだ行くのか‥‥‥」
「正気じゃない」
蓮の心臓が跳ねる。
(来た‥‥‥!)
シャネルが、楽しそうに目を細めた。
「あらあら」
「やっぱり、簡単には譲らないわよね」
すぐに札が上がる。
「三十万」
即答だった。
まるで、
その先まで見えているかのように。
会場の温度が、さらに上がる。
「三十万だぞ‥‥‥」
「もう国家予算だろ‥‥‥」
「奴隷一人の値じゃない」
蓮は、歯を食いしばった。
(違う‥‥‥)
("一人"じゃない)
あれはーー
セレシアがーー
エルメスが、わずかに視線を伏せる。
そして、ぽつりと呟いた。
「‥‥‥分かってないな」
その声は、誰にも届かないほど低い。
次の瞬間。
「三十五万」
今度は、間を置いて告げた。
"ここからが本気だ"と、
金額そのもので宣言するように。
会場が、完全に静まり返る。
シャネルの笑みが、
ほんの一瞬だけ、鋭さを帯びた。
(‥‥‥‥なるほど)
彼女は、エルメスを見る。
(この子を)
(絶対に手放す気がない)
「ーーふふ」
小さく、笑う。
「いいわ」
「そこまで言うならーー」
シャネルの札が、上がる。
「四十万」
悲鳴のようなざわめきが走った。
「狂ってる‥‥‥‥」
「もう勝負じゃない‥‥‥」
「意地だ‥‥‥!」
蓮は、拳を握りしめた。
(このままだと‥‥‥)
(いくらまで行くんだ‥‥‥?)
その時。
エルメスが、初めて蓮を見た。
ほんの一瞬。
だが、はっきりとした視線。
(大丈夫だ)
そう言うわれた気がした。
エルメスは、ゆっくりと立ち上がる。
会場が、息を止める。
「‥‥‥四十二万」
そして、続けて言った。
「条件付きで」
司会者が、反応する。
「条件?とは」
エルメスは、シャネルを真っ直ぐに見据えた。
「この競りが終わった後」
「彼女に関する"情報"を、一切公開しない」
会場が、ざわつく。
(情報?)
(王族の血筋‥‥‥?)
(裏があるのか‥‥?)
「条件付き、とは異例だがーー」
「主催の裁量で認めよう」
シャネルの目が、細くなる。
(‥‥‥そう来たか)
値段ではなく、
価値そのものを囲いに来た。
シャネルは、ゆっくりと息を吐いた。
「‥‥‥‥ほんと」
「商人としては、最高に嫌なやり方」
それでもーー
唇が、吊り上がる。
「でもね」
彼女は、札を持ったまま言った。
「だからこそ、欲しくなるのよ」
視線が、檻の中の少女へ向く。
そこにいるのはーー
あの金髪のお姫様。
あの瞳。
間違いなく、セレシア。
「四十五万」
宣言。
会場が、完全に沸騰した。
司会者の声が震える。
「‥‥‥白金貨四十五万」
「他に、上はーー」
その瞬間だった。
エルメスが、静かに言う。
「ーー五十万」
一切の躊躇なし。
蓮は、息を呑んだ。
(五十万‥‥‥)
(日本円で‥‥‥)
ーー五億。
もはや、数字の意味が壊れている。
会場は、声すら失った。
シャネルが、初めて黙り込む。
(‥‥‥ここまで?)
彼女は、エルメスを見る。
(助けるために、ここまで出すのね)
一拍。
シャネルは、くすりと笑った。
「‥‥‥ほんとに」
「面白い人」
札を、ゆっくりと下ろす。
会場が、息を止める。
司会者が、確認する。
「‥‥‥他に、上乗せは?」
沈黙。
誰も、動かない。
ーー動けない。
「では」
木槌が、振り上げられる。
「白金貨、五十万」
「ではーー」
その瞬間。
シャネルが、最後に言った。
「覚えておくわ、エルメス」
「その子が」
「あなたに、何をもたらすのか」
木槌が、打ち下ろされた。
ーーカン。
「落札、成立」
蓮は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
(‥‥‥助かった)
まだ、完全じゃない。
だがーー
確かに今、
セレシアは"救われた"。
エルメスは、静かに息を吐いた。
「ふぅ‥‥‥」
「さぁ‥‥ここからが、本番だ」
闇オークションは、終わった。
だがーー
物語は、ここから動き出す。




