闇オークション【前編】
ーーヴァルタス王国。
国境を越えた瞬間、空気が変わった。
同じ夜のはずなのに、月の色が違う。
雲の流れも、風の匂いも、どこか刺々しい。
(‥‥‥‥ここが、敵国)
アルトリアと幾度も刃を交えた国。
地図の上では一本の線でしかない国境は、
実際に超えると、はっきりと「壁」だった。
「緊張しているかい、蓮」
フードを深く被ったエルメスが、歩きながら言った。
声はいつも通り落ち着いているが、周囲への注意は一切緩めていない。
「‥‥‥正直、してます」
闇オークション。
存在は知っていても、実際に足を運ぶのは初めてだ。
しかも今回は、
敵国の領内で開催される非公式な市場。
正体が割れれば、捕まるどころかーー
消される。
「それでいい」
エルメスは短く言った。
「緊張しない者は、ここでは長生きしない」
馬車が、ゆっくりと速度を落とす。
街外れ。
廃墟となった修道院の跡地。
ヴァルタス王国の地下都市は、
街全体が一枚岩ではない。
宗教区画、商業区画、裏取引区画ー
この修道院は、その"裏取引区画"への蓋だった。
表向きは、誰も寄りつかない朽ちた建物。
だが、近づくにつれて分かる。
ーー人の気配が、異常に多い。
「ここが‥‥‥?」
「ああ。入口は一つじゃない。
私たちが使うのは"商人用"だ」
馬車を降りると、
黒衣の男が無言で近づいてきた。
顔は反面。
声も、名も名乗らない。
差し出されたのは、金属製の札。
「‥‥‥‥通行証?」
「参加資格の証明だ。
偽物を出せば、その場で首が飛ぶ」
蓮は、喉が鳴るのを感じた。
(本当に‥‥‥命懸けなんだな)
中へ進むにつれ、
周囲にいる人間たちが目に入る。
貴族の装い。
傭兵の気配。
明らかに裏社会と分かる者。
だが、共通しているのはーー
誰一人、素顔を晒していない。
「ここでは身分も国籍も関係ない」
エルメスが小声で言う。
「価値があるか。金を出せるか。
それだけだ」
地下へ続く階段。
一段、降りるごとに、
地上の常識が遠ざかっていく。
やがて、重厚な扉の向こうから、
ざわめきが聞こえてきた。
「‥‥噂では、今回は"目玉"があるらしい」
「それは‥‥‥楽しみですな‥‥‥ふふふ」
マーリンが、ひそひそと耳打ちする。
「人?魔道具?それともーー」
エルメスは、答えなかった。
ただ一言。
「必ず、手に入れるさ。」
その声には、
いつもの商人の余裕がない。
それほどまでに、このオークションの危険度が伝わってくる。
(いつもの師匠じゃない‥‥‥ああ)
蓮は、はっきりと感じた。
ーーこれから始まるのは、戦いだ。
剣も魔法も使わない、
金と覚悟の戦場。
扉が、ゆっくりと開いた。
闇オークションが、始まる。
***
扉の向こうは、想像以上だった。
地下とは思えないほど広い空間。
半円状に配置された観客席が、すり鉢のように舞台を囲んでいる。
石造りの壁には、古い修道院時代の壁画が残っていたがーー
その上から、無数の魔導陣が重ね描きされていた。
「‥‥‥完全に、別世界だな」
蓮の声は、自然と低くなる。
天井から吊るされた魔導灯は、青白い光を放ち、
顔を照らさず、影だけを濃くする配置。
誰が誰を見ているのか、分からない。
(‥‥‥‥見られている)
(でも、誰に?)
その感覚だけが、背中にまとわりつく。
席に着くと、周囲の会話が断片的に耳に入ってきた。
「‥‥‥今回の主催、相当な金を積んだらしい」
「国境警備が、妙に静かだった理由はそれか」
「命知らずめ‥‥‥いや、金に狂っているだけか」
どれも、声を潜めた囁きだ。
だが、その一つ一つに、剥き出しの欲が滲んでいる。
マーリンは、興味津々で舞台を覗き込んでいる。
「ねぇねぇ、ねぇ」
「ここ、全部敵なの?」
「敵というよりーー」
エルメスは淡々と答える。
「"味方にならない人間"ばかりだ」
それはそれで、十分に恐ろしい。
やがて、会場の照明がさらに落とされた。
ざわめきが、自然と静まっていく。
舞台中央に、一人の男が現れた。
仮面。
黒衣。
声は魔道具で歪められ、年齢も性別も判断できない。
「ーー諸君」
短い一言。
それだけで、完全な静寂が訪れた。
「今宵、ここに集まった者たちは等しく"無名"だ」
「国も、立場も、過去も関係ない」
観客席を、ゆっくりと見渡す。
「あるのは、そう‥‥ただ一つ」
「ーー価値を見抜く眼と、支払う覚悟だ」
蓮は、息を飲んだ。
(‥‥‥これが、闇オークション‥‥重圧が、違う)
最初に出された商品は、
古びた指輪だった。
「旧王族の刻印が刻まれた装身具」
「真偽はーー各自で判断していただく」
会場が、微かにざわつく。
だが、値はすぐについた。
次は、封印箱。
中身は見せない。
「開封保証なし」
「だが、"開けた者は後悔しなかった"とだけ言っておこう」
金額が、跳ね上がる。
(‥‥‥すごい)
蓮は、ただ圧倒されていた。
だがーー
エルメスは、微動だにしない。
指も、視線も、呼吸すら落ち着いたまま。
まるで、流れを"待っている"かのようだった。
「‥‥‥‥師匠」
蓮が小声で呼ぶ。
「なんだい?」
エルメスは察したように答えた。
「ここは様子見の場だ」
「本気で欲しいものは、必ず"後"に来る」
その時。
後方の席から、かすかな囁きが流れた。
「‥‥‥本当に、来ているらしい」
「誰が?」
「ーーシャネルだ」
その名が出た瞬間、
空気が、わずかに歪んだ。
「あのハイクラス奴隷商のか?」
「ああ‥‥何でも‥‥奴隷も商品として
このオークションに出るらしいからな」
「さぞかし"良い"商品(奴隷)なんだろう」
ただの有名人じゃない。
あの師匠と同じハイクラス奴隷商人だ
この間、王都で会ったあの女性。
一度見ただけでも覚えている。
あのオーラは凄まじかった
(‥‥‥噂だけで、この反応?)
エルメスは、反応しない。
だが、マーリンが小さく息を呑んだ。
「‥‥今なんて?」
「関わるな」
エルメスは、低く言った。
「目が合ったら、それだけで"値踏み"される」
舞台では、さらに商品が続く。
違法魔道具。
禁制契約書。
国家転覆に使えるほどの情報媒体。
だが、それでもーー
エルメスは動かない。
(‥‥‥まだ、か)
蓮は、ようやく理解し始めていた。
この場では、
最初に動く者ほど、弱い。
そしてーー
本当に欲しいものほど、最後に姿を現す。
闇オークションは、まだ序盤。
だが、水面下では確実にーー
本命へ向けて、流れが作られ始めていた。




