弟子
「‥‥‥チッ」
キモール・バルティオ男爵は、露骨に舌打ちをした。
「まさかこの俺が、
ガキ一人に言い負かされる日が来るとはな」
その声には怒りもあったが、
それ以上にーー諦観が滲んでいた。
「いいだろう」
重々しく、だがはっきりと告げる。
「条件は呑む」
周囲がざわつく。
役人の一人が思わず確認した。
「男爵、それはーー」
「分かっている!」
キモールは怒鳴り返し、乱暴に手を振った。
「これ以上、
"監査"だの"違反"だのと面倒を増やされてたまるか」
そして、蓮を睨む。
「小僧」
「貴様の言うとおりだ」
「ここで抵抗すれば、
俺は"違反者"になる」
「だが、条件通り是正がなされるなら」
「俺はーー
被害者で終われる」
悔しそうに歯を噛みしめる。
「‥‥‥クソが」
その言葉を最後に、
キモールは背を向けた。
「役人ども」
「書類を持ってこい」
「形式はどうあれ、
ここで全てを終わらせる」
監査官たちは一瞬だけ驚いた顔をし、
すぐに職務の顔へと戻った。
「了解しました」
「是正完了の確認を行います」
その様子を、
蓮は静かに見つめていた。
ーーなんとか勝った。
だが、それは
"相手を打ち負かした勝利"ではない。
交渉としての、完全勝利だった。
キモールが去り際、
一度だけ振り返る。
「小僧」
「覚えておけ」
「私は、
お前を気に入ったわけじゃない」
「だがーー」
一瞬、悔しそうに笑った。
「認めざるを得なかった」
それだけ言い残し、
男爵は屋敷の中へ消えた。
その背中を見送りながら、
エルメスが小さく拍手する。
「いやぁ、上出来」
「想定より、
ずっと綺麗にまとめたね」
蓮は、ようやく力を抜いた。
「‥‥‥正直、足が震えてました」
「当然だ」
エルメスは即答した。
「相手は貴族、
しかも最悪の部類だ」
「普通は、
口を開いた瞬間に潰される」
そして、少しだけ声を落とす。
「それでも」
「相手の"立場"と"損得"だけを見て
感情に踏み込まなかった」
「ーー合格」
その言葉に、
蓮の胸が少し熱くなる。
「これで、俺は‥‥‥?」
エルメスは頷いた。
「正式に言おう」
「今日から君は、
"私の弟子だ"!!」
その瞬間。
後ろで見守っていたマーリンが、
ほっと息を吐く。
「‥‥‥よかった」
小さく、安堵の声。
蓮は振り返り、
彼女に微笑んだ。
「終わったよ」
「全部、うまくいった」
マーリンは一瞬迷い、
それから小さく頷いた。
「‥‥‥‥マスター」
その呼び方に、
蓮はまた少し嬉しくなる。
エルメスは二人を見て、
満足そうに腕を組んだ。
「さて」
「王都へ行こうか」
「ここからが、
本当の"奴隷商人"の世界だ」
こうして。
エルメスの試練は突破された。
だがそれは、
始まりに過ぎなかった。
***
王都。
石畳は寸分の狂いもなく整えられ、
街路樹すら"配置"されていると分かるほど計算され尽くしていた。
「‥‥‥‥街が、でかい」
思わずこぼれた蓮の言葉に、
エルメスの肩がすくめる。
「世界の金と権力が集まる場所だからね」
「当然、
最上級の奴隷商人も、ここにいる」
その瞬間だった。
「ーーへぇ」
柔らかく、
けれど空気を切るような声。
「エルメスが、
誰かと一緒に歩いているなんて」
二人の前に現れたのは、
黒と白を基調にした端正な装いの女だった。
無駄のない服装。
だが、素材も仕立ても"格"が違う。
「‥‥‥‥久しぶりだね、シャネル」
エルメスが、
わずかに苦笑いをする。
「相変わらず、
人の気配を読むのが早い」
シャネルと呼ばれた女は、
ゆっくりと蓮に視線を移した。
値踏みではない。
確認だ。
「‥‥‥ふうん」
そして口角を上げる。
「ちょっと信じられないわね」
「エルメスが"誰かを連れている"だけでも驚きなのに」
一拍置いて、
核心を突く。
「ーーまさか」
「弟子?」
王都の喧騒が、
一瞬だけ遠のいた気がした。
エルメスは誤魔化さなかった。
「そうだよ」
「今回が、初めてだ」
シャネルの目が、
わずかに見開かれる。
「‥‥‥‥」
数秒の沈黙。
それから、
本気で驚いた声が出た。
「‥‥‥‥冗談でしょ?」
「あなた、
"誰も育てない"って有名だったじゃない」
「自分のやり方は
誰にも真似できない、って」
エルメスは肩をすくめる。
「今でもそう思ってるよ」
「でもね」
ちらりと、
蓮を見る。
「例外がいた」
シャネルは、その仕草だけで理解した。
(なるほど)
(弟子の才能じゃない)
(弟子を取らせた"何か"がある)
再び、蓮を見る。
今度は、
ほんの少しだけ柔らかい目で。
「‥‥‥‥‥あなた」
「名前は?」
「蓮、です」
「そっちのお嬢さんは?」
「‥‥‥‥マーリン‥‥。」
「そう」
シャネルは小さく笑う。
「いい度胸ね」
「この名前を、
私が覚えることになるなんて」
そう言って、
視線をエルメスに戻す。
「で?」
「次は誰に合わせるつもり?」
「バーギン?」
「それとも、
あの偏屈なルイビトン?」
エルメスは、
どこか楽しそうに答えた。
「まぁそのうちね」
「どうせすぐに、
全員に知られる」
シャネルは肩をすくめた。
「‥‥‥‥王都が、
少し騒がしくなりそう」
そして最後に、
意味深な一言。
「エルメス」
「あなたが初めて弟子を取ったって事実だけで」
「もうーー
この子は"安全圏"じゃないわよ?」
蓮は、
その言葉の重さを直感で理解した。
エルメスは笑った。
「だから連れてきた」
「王都は、
逃げる場所じゃない」
「試される場所だ」
こうして。
蓮は知らぬ間にーー
世界で四人しかいないハイクラス奴隷商人の
盤上に立たされた。




