08
何をしていようとしていまいと月日だけはしっかりと過ぎるもので、とうとう学院への入学式の当日が来た。
予定としてはアンソニー殿下が入学式の新入生代表として挨拶をするくらいで、さして面倒な事は何もないはずだし、アンソニー殿下は同じく制服姿のブライス兄妹と談笑している。それもあってしばらく側近候補同士交代で休憩を兼ねて離れていていいという事で、僕はのんびり校庭を散策しながら新入生の気分を味わっていた所、中庭の方からやってきた生徒が「庭園で女生徒が言い争いをしてるぞ!誰か仲裁出来そうな人を呼んできてくれ!」と叫んでいる。
何事かと…身分的に僕はこの場でブライス兄妹と同列の二番手でもあるし、教職員の方々では仲裁しづらい場合を考え何か出来る事があるのではと、学院の中庭にある庭園へ向かい、大きく人だかりができていた場所へと歩みを進めた。
がやがやする周囲の声を聴くに特待生の…つまりは平民の女子生徒がとある貴族令嬢の制服を汚してしまったというのだ。女生徒…しかも新入学生同士という事で、先生達がどうしたものかと逡巡していたとき、サマンサ嬢が何人かの令嬢に連れられてこの場にやってきた。
制服を汚された貴族令嬢もサマンサ嬢を案内してきた令嬢達も王宮でのサマンサ嬢の茶会で見かけたことのある令嬢だ。恐らく取り巻きの令嬢に懇願されてこの場を何とかするためにやってきたのだろう。
「それで、こうなったのはわざとではないとおっしゃるのですわね?」
「……は、はい、…そうです…。あっ、その通りでございます…。」
緩いウェーブがかったサーモンピンク色の髪は顎下くらいの長さで切りそろえられていた。タンポポ色の明るい瞳の特待生の女生徒は目に涙を浮かべ青ざめた顔をしながら両手を胸に当てサマンサ嬢をしっかり見つめてそう頷いた、
サマンサ嬢は令嬢の制服汚れの状態を確認し、これなら跡を残さず落とせると、サマンサ嬢は簡易石鹸の試験や実験の実績もある事から、この汚れならすぐに落ちると令嬢を慰め、もしそれでも気になる様なら自分の制服の予備と令嬢の汚れた制服を交換しようと提案し、令嬢はとんでもない、落ちるなら十分です!と恐縮した。そして汚れが落ちるならそれで構わないという事になった。
周囲は一時はどうなる事かと思ったが、穏便に騒動が落ち着いたことにホッとした空気が流れはじめたものの、サマンサ嬢が令嬢の制服を汚したという平民の女生徒に「貴女もお気を付けなさいまし、ここは貴女が育ってきた場所とは常識が異なりますわ。」と注意したところ、特待生の女生徒は大きな声を上げて泣き喚きだした。
また周囲がザワザワと大きくどよめいたとき、聞き覚えのある良く通る声がその場に響いた。
「なんだ、この騒ぎは。」
アンソニー殿下だ。僕と同じタイミングで休憩を取っていた伯爵家の側近候補と共にやってきた、後ろの方にはブライス兄妹もいる。伯爵家子息の立場では殿下やブライス兄妹に報告し判断を仰ぐのはもっともな事だろう。だがもう既にサマンサ嬢がこの場を収めていて事態は解決しているから、ちょっとした諍いがあっただけだとして終わるだろうと誰もが…いや、僕だけは思っていた。
そして。
「サマンサ嬢!身分を笠に着て平民を甚振るなど、貴族の風上にもおけぬ、反省するがいい!」
と、大声でサマンサ嬢に怒鳴り、平民の女生徒を庇った。
庇われた平民の女生徒はアンソニー殿下の存在に気付くと
「え、まさか、ト、トニーくん!?だよね?どうしてここに…。それにその恰好…。」
と口に両手を当てて驚いたような顔をしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「マイア、まさかこんなところで再会できるなんて」
「トニーくん!私もびっくりだよ。でも、その恰好…もしかしてあなたは…。」
「黙っていてすまない、あそこでは俺…いや私は身分を隠していたからな。」
「そうなんだ…。もう、トニーくんなんで呼べないね、とても残念だけど…。これからは話しかけない様にするね。」
「マイア、そんな悲しい事を言わないでくれ!」
そう言ってアンソニー殿下は周囲の様子など然程も気にかけず、サーモンピンクの髪の特待生と親し気に語らい始めた。
特待生の女生徒も最初は遠慮する様子を見せてはいるが、アンソニー殿下はそれが気に入らない様子だ。
会話の内容からすると、お忍びの旅で出会った少女なのだろうか。戸惑いを隠せずにいるのは僕だけで他の側近候補達はいつの間にかアンソニー殿下とマイアと呼ばれた特待生の女生徒の側に侍り、うんうんと満足げな表情だ。特にアンソニー殿下を実家の領地へ誘った彼は、二人の仲の良さ確認すると、騒いでいる周囲のどこかへ視線を送り目くばせをしている。
その視線の先へ顔を向けると人だかりの向こうで、ブライス兄妹がドレスを汚した令嬢とサマンサ嬢を案内してきた令嬢達を引き連れて庭園から去っていく所だった。
僕はハッとして周囲に目をやると先ほどまでいた教師や講師達は騒ぎが収まったと見たのかもう既におらず、この場に残っているのは野次馬と化した外野の生徒たちと、茫然と身の置き所も無く立ち尽くすサマンサ嬢、そしてにこやかに特待生の女生徒と語り合うアンソニー殿下と側近候補の皆だけだった。
気を取り戻した僕が、入学式がもうすぐ始まるという理屈をこねて皆を解散させなければ、きっとそのままだっただろう。
「アンソニー殿下、皆、そろそろ式が始まる時間です、新入生である我々が遅刻するわけにはいきません。会場へ向かいますよ。いいですね?」
と極めて冷静にそして強引に皆に移動を促した。アンソニー殿下は特待生の女生徒…マイア嬢といったか、をエスコートするかのように連れていき、僕以外の側近候補の皆もそれに付き従って会場へと向かって行った。
「さあ、サマンサ嬢も会場へ向かいましょう。」
と立ち尽くして茫然としていたサマンサ嬢に声をかけ、以前に彼女から強引に貰ったブレスレットを付けたままの右手を差し出した。すると、ハッとした様子で、我に返ったのか
「…あ。はい、そうですわねヒューゴ様。…あ、あら?グウィネス様やモーウェン様や他の令嬢の皆さんは…。」
とサマンサ嬢は慌ててきょろきょろと周囲を見回すが、辺りには誰もおらずこの場にはもう僕たちしかいない。
「ドレスの汚れが気になったのか、遅刻が気になったのか慌てて皆と一緒に向かったのでしょう。」
と僕は見たことを正直に伝えられず、ごまかすしかなかった。
ブライス兄妹がサマンサ嬢の取り巻き達を連れて去って行った、だなんて言えるはずもなく。
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