07
アンソニー殿下が二ヵ月と半分のお忍びの旅から王宮へ帰ってきた。
駅馬車ではなく普通の馬車の旅であったので往路復路それぞれ約二週間、領地の中心である交易都市を中心に近隣の町村や港、それに伴う各種施設等々を約一ヶ月半に渡って見聞・見学し大変満足された様子で、かの地での体験はとても刺激的で楽しかったと留守番組…僕たち残り半分の側近候補達…に何度も何度も素晴らしかったと説いていた。風景や景色、街の人たちとの触れ合い…どれも筆舌に尽くしがたく得難い経験であったと。
特に交易都市ニアポートでは正体を伏せた上ではあるが同年代の平民たちと何度か会話を交わし親しくなり、旅の終盤では街での祭り(季節祭の一つ)に参加したとの事。祭事の見学を一般市民としての立場で行う事は初めての経験であり、また屋台で買い物をし路上での喫食をしたりと大いに楽しまれたようだ。最も殿下が自由に買い物をしたと思っている屋台にはその地域の貴族家どころかブライス公爵家が采配しているのだろうけど。
それは似たような状況になればコリンズ公爵家だってそうするだろうってやつで、悪い事ではない…というより万一が起こらないようにするための安全対策の一環だ。
そのときは、そういった安全対策もされていたようだし身になる経験になったのならそれは良いことだと思い、旅での事を繰り返し繰り返し語る殿下の話を「それはようございましたね。」と聞き役に徹していたけれど、後になって自分も付いていっていればと、…いや、付いていったところでどうしようも出来なかっただろう。
帰城された翌週、旅の疲れがあるからとサマンサ嬢からの面会依頼を延期していたアンソニー殿下が、サマンサ嬢と公務の一環で同じ会合に同席することになった。
隣席では無かった事もあって会合が終わった後、アンソニー殿下を呼び止めたサマンサ嬢が例のムクロジの実を編み込んだブレスレットを渡そうと差し出した。
しかしアンソニー殿下は素朴過ぎるつたない造りのブレスレットを見て、「庶民ですらもっとましなものをやり取りする。こんな手抜きの紐輪を寄こそうとするなんて、お前にとって私の価値はその程度のものだという事か!」と落胆し、不快で見下したような…いや蔑まれた怒りの様に吐き捨てると、そのまま踵を返し受け取らずに去っていった。
お忍びの旅で実際に庶民のやり取りを知ってしまった事がこんな形に裏目に出てしまうなんて予想もつかなかった。
サマンサ嬢が愕然とする視線の先には、アンソニー殿下が母親の付き添いで出席していたブライス兄妹に声をかけ。「ガブリエル、ガブリエラ、この間の旅では案内してくれてありがとう。街や港の様子は興味深かったし、色んな人とも出会えた事にも感謝だ。」と笑顔で話をしている。
それを遠くから見つめ佇むサマンサ嬢と、それをあっけにとられて眺めていただけの僕を置いてアンソニー殿下はブライス兄妹と歓談しながら自室の方へと向かって行った。まあ、勿論護衛達はそれぞれにいるわけではあるけど。
つまり、先ほどの事を出来るだけ伏せておくことはかなわないだろう、明日には…いや、今日の夕方には王宮内に知らないものは居ない位に広まってしまうだろう。「サマンサ嬢は庶民や平民でさえ貰わぬような粗悪なブレスレットでアンソニー殿下の気を惹こうとして殿下の怒りを買った。」と。
僕は彼女がアンソニー殿下の息災を願って丁寧に作っていたことを知っている。確かに職人が作ったような美しく揃った編み目ではなくつたない造りではあるかもしれないが、決して粗悪なものではないはずだ。
護衛や控えの者たちが微動だにせず立ち止まっている中で、肩を震わせ編み紐のブレスレットを握り締めながら俯いているサマンサ嬢に僕は気持ちをこらえる事が出来なくなってしまい、思わず声をかけてしまった。
「サマンサ嬢。じゃあ、僕がそれを貰っても良いかな?だって健康を願ったお守りなんだろう?」
「……ヒューゴ様。でもこれは……庶民ですら持たぬと言われたものですわ…。」
「でも、込めた気持ちは本物だろう?じゃあ。付けていればきっと効果があるだろうからね。」
恐る恐る握り締めていたブレスレットを差し出したサマンサ嬢の手を取って恭しく受け取って右手首に付け、付けた様子を見せながら僕は彼女に微笑んだ。
「サマンサ嬢。これ、大事にするよ。」
彼女は涙をにじませた瞳で泣き笑いのような顔をして、殿下の後を慌てて追いかける僕を見送った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
アンソニー殿下とサマンサ嬢の関係はギクシャクしたまま…と言ってもアンソニー殿下がサマンサ嬢の事をあまり気にかける事がなくなった。…良くも悪くも。
そのせいか、アンソニー殿下は単調な訓練や相変わらず地味な書類仕事である公務に愚痴る事も減り、はつらつと前向きにこなしている。
逆にサマンサ嬢の顔は曇るばかりだ。
お忍びの旅以降、学院への入学式迄アンソニー殿下とサマンサ嬢が直接交流を持ったのは一度のお茶会だけだった。そのお茶会も最低限必要な近況連絡というか業務報告のみに終始し、実に淡々としたものだった。
ブレスレットの事があったせいかサマンサ嬢は少しおびえたような自信のない表情で過ごしており、以前なら笑顔で積極的にアンソニー殿下へ話しかけていたのだがそれが一切なくなったのだ。そのため近況や報告が終わり、学院への入学についての確認事項が終わると、用は済んだとばかりにアンソニー殿下はお茶会から足早に立ち去った。
予定されていたお茶会を早々に打ち切った事で空いた時間に、気分転換しようと修練場に向かったアンソニー殿下を呼び止めたのはブライス兄妹だった。
「あれ、アンソニー殿下とこんなところで会うなんて。」
「確かお茶会だったのでしょう、もう終わりましたの?」
「…ああ、向こうも話したいことは無さそうだったからな。お互い無言で茶を飲んでいても時間がもったいないだけだ。」
「ふーん。またブレスレットだかなんだかを作ってきてトニーに渡そうとした訳じゃないんだ。」
「ゲイブ、きっとわざわざ不出来な物を渡してトニーの気を惹きたかったのよ。」
「平民が作るものより格段に劣る。わざと手を抜いたものを渡されて嬉しい訳が無いだろう。」
「それもそうか、街で出会った彼女だってそんなに器用そうには見えなかったけど、キチンとした売り物になるアクセサリーを作っていたものな。」
「職人ならともかく、平民の少女の手慰みに劣るなんて。不器用にも程があるのではと疑念を感じても仕方ないことでしてよ。」
「い、いや、きっとあの彼女の方が特別なんだろう…と、思う。」
わずかに頬を染めたアンソニー殿下は俯きがちにそう答えた。
「おや、たまたま出会った少女の事を気に入ったのかい?」
「でも平民の少女と会う機会などもうないんじゃないかしらね? 再会することなんてないでしょうしトニーの中ではいい思い出なのでしょう?」
「そうだな、きっと会うことは無いだろうが、彼女が…彼らが住みやすく暮らしやすい国になればと私は思う」
「トニーは立派だなあ。街を案内したことがいい経験になったみたいで良かったよ。」
「準備は大変だったものね。でも、その甲斐あってトニーが一段と成長してくれたみたいでとっても誇らしい気分ですこと。」
傍で控えていた僕の存在など無いかのように彼らは盛り上がっていた。けれどブライス兄妹がアンソニー殿下越しに僕を見る視線は「ただの付き人のお前に、この様に殿下を成長させることができたか?」とでも言いたげだった。
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