王太子殿下から婚約破棄された侯爵令嬢は小公爵様の愛に応えたいようです?02(サマンサ視点)
「サマンサ様、またおいでになったんですか?」
領地屋敷から歩いて30分ほどの所にある使用人や領民向けの診療施設の一角。
此処には長期治療が必要な患者が滞在しておいでの施設で、湯治や療養のために近隣からはるばるやって来られる方もいらっしゃる程ですわ。
私王都でも何か所かそういった診療・治療設備のある施設に赴いてそれそれの施設で様々な手伝いを行っておりましたけれど、ここはやや古めかしいとはいえ、王都の富裕層向けのそういった施設と遜色ないくらいの設備があり、掃除も行き届いておりとても清潔で、病や怪我で動けない人にとっては大変居心地よく治療に専念できる事でしょう。
その助けの一助となる為、さあ、私は今日も整理整頓・屋内外の清掃を頑張りますわよ!
これが「昔取った杵柄」というものですわ!
「あの、サマンサ様?聞こえていらっしゃいますか?そりゃあ、私なんかに話しかけられたくはないでしょうけど…。」
おおっと、そういう訳ではありませんのよ。その、これには深い訳が。
「動きが止まりましたね、サマンサ様。責めるような言い方をしてすみません。」
マイア様…いまはミアと名乗っていらっしゃいます。私の許婚であるアンソニー殿下を私から奪ったも同然の女性が私に向かって丁寧に腰を折り頭を下げてこられました…。
「そ、そういう訳ではないのですわ。ほら、今は私見習いメイドですから、入院患者のご家族と気軽に会話するわけには…。」
「お客さまって…あの、入院治療者は、治療を受けたいからここに逗留しているのであって客ともまた違う気がするのですけど…。」
明らかに、呆れと困惑の様子でマイ…ミア嬢は私に向かって意見を呈してきました。うーん中々手ごわい方ですわ。
「ま、まあ…そのなんていうか、あ、そうそう、そう!平民なのに一応貴族令嬢の端くれである私に向かって意見をするなど、百年早いですわー、オーッホホホホーホホーウ!」
「サマンサ様…今さっき『今は私見習いメイドですから。』っておっしゃいましたよね?しかも貴族令嬢の端くれ?この国でサマンサ様より上位の貴族女性って数えるほどしかおられないのでは?」
ミア様はじとーっとした目で、空回りな事を喋ったメイド姿の私を見つめておいでですわ…。
「………。」
「ヒューゴ様からのプロポーズ、お返事されたんですか?」
「………!」
「本当にすみません、私さえいなければサマンサ様は今頃トニー…いえ、アンソニー殿下、と。」
そういったミア嬢の瞳からは大粒の涙がこぼれ、私は大慌てで自分の手をポケットに入れていた洗い立ての手巾で拭って綺麗にした後、彼女の肩を支えて近くにあったソファに座らせたのでした。
「本当は私はそんなに頭が良くなくて、バレないようにと殿下たちの傍にいたんです。従者の一人のニアポートの領主子息は私の監視役でもあったのでいつもとても緊張していて、でも、殿下だけはまっすぐ素直に私の事を思いやってくれていた…たとえそれが騙された故の行動であっても。それでも私は…ずっとそれに甘えてしまって…。」
あの後…私達が学院を去った後、それはそれはもう大変なことになったそうです。
なんでも私がアンソニー殿下の婚約者になったことがそもそも気に入らなかった方がいらっしゃったことが始まりだったのだそうです。
そして、私と婚約したことで王太子となられたアンソニー殿下。その「たかが侯爵令嬢が王太子妃…ひいては王妃になるなんて道理に反する」と。「そんな制度や習わしは間違っているから、自分たちで正すのだ」と。私にはその方…その方たちがおっしゃる正しさが何なのかは分かりませんが、将来的に彼らからすれば身分の低い私が王妃になるのに、自分はもっと身分が低くなる…良くて侯爵夫人かそれとも伯爵夫人…または子爵夫人…。流石に公爵令嬢が男爵に嫁ぐことは無い…とも言いきれませんわ。もしそうなればかつて自分が頭を下げさせていた子爵に対して自分が頭を下げる立場になります…。
ちなみにコリンズ公爵夫人になる可能性もあるのでは?とも問われたそうですけど、「粗野な田舎者なんて貴族と名乗るのもおこがましいことでしてよ!」だそうでして…。
コリンズ領アディンバラはバルチェスター王国の北東部で確かに王都からは遠いですけれど、広大な山野と港湾があり、王都ほどでは無いですが大変栄えている都市です。コリンズ領より少し南に下った王都寄りにあるリンゼイ領であるライツァッスルもそれなりに素晴らしい所だと思っていますが、領地に流れる大きな川に沿って各所に規模は異なるものの大小様々な船着き場が設けられている上、街道も整備されていますので活気のある町が沢山ありますわ。
王都からの距離は近いですけれどリンゼイ領のほうが田舎…長閑な土地柄です。ハッ、もしかして田舎出身の私が王家の一員となる事がお気に召さなかったのかもしれませんわね…。
そのような訳?でして、私と、ブライス兄妹がおっしゃるところの田舎人であるヒューゴ様…あっ、ブライス兄妹と言ってしまいましたわね。この一件に関する公式記録がそうなっているように伏せておきたかったのですけれど、難しいですわね。そう、私とヒューゴ様の将来的な地位を両方とも自分達の物にしようとして、周囲の人たちを振り回した結果「このような事になった」そうですわ…。
大人たちが決めた婚約者である私を排除する方法として、婚約してすぐの頃、殿下の公務の手伝いが出来なくてはと私におっしゃってましたので私はそれもそうだと素直に事務官たちの手伝いを始めたのですわ。そしてそれが受け入れられてしまって…そして次は友人の悩みも解決できない無能だと断罪したかったようなのですが、ムクロジを見つけたことで解決の糸口を見つけ、それならと、マイア嬢…アンソニー殿下が好意を持った平民女性をあてがう事で、関係の破綻を狙ったと。
実際、ブライス兄妹の勧めで公務見習いを始めたことで私が官吏達の覚えもめでたくなり、そしてムクロジ事業を成功させてしまい、その時の私は役に立てたと喜ぶばかりでアンソニー殿下がどういうお気持ちだったかは想像出来ておりませんでしたわ…そんな私が認識できていなかったアンソニー殿下とのわだかまり(関係性の溝)を体よく利用されて、私とアンソニー殿下との亀裂はさらに深まりましたから、その目論見は成功したと言っていいでしょう。
想えば学院入学前の側近候補の一人の領地へのお忍びの旅もブライス兄妹の差し金によるものだったのだろうとヒューゴ様はおっしゃって居られましたわ。そこでアンソニー殿下は何人かの平民…女性ばかりでは怪しまれるので男性も交えて…と交流を持たれたとおっしゃっておられましたので、その中でも好意、あるいは御しやすくて言う事を聞かせやすい女性という事で、御父上が事故で足を悪くし、治療を受けていたマイア嬢が選ばれたのでしょう。
「うう…、ぐすっ、ぐしゅっ、」
こぼれ出る涙を何とか止めようとしても止まらないミア嬢の背を優しく撫でながら、彼女の体は本当はこんなにも細かったのねと、あらためて実感しました。学院で出会った時は体格もがっしりしていて、健康そうに見えていたのは何と制服や…私服の時でも…下に平民の少年が良く着る庶民服を着ていたのだそう。
アンソニー殿下に積極的に取り入ってたぶらかす、という命令をされていたこともあって、もし万が一何かあったらすぐに逃げられるようにと、胸元にはいつも組み立て式の鍵縄をペンダント代わりに付けていたと。編み込まれた革紐の先端には可動式の鍵爪に似たものが付いており、マイア嬢はそれを一瞬で六つの返しの効いた鍵爪に変化させ、これを使って窓の外や塀を乗り越えて逃げる事も考えていたそうですわ…。
『これでも小さな家なら煉瓦壁を登れるんですよ、これを使って屋根掃除の手伝いを良くやっていましたから。それに煙突掃除だって経験あります!それに…』
それに?
『もし、どうしようもなく、逃げられなさそうだったら、この鍵爪で命を絶とうと…。』
まって、ちょっとそれは早まらないで下さいまし!
『まあ、そんなような事態になりそうな事なんて欠片も無かったんですけどね。アンソニー殿下は結構あれで真面目で親切な人だったから…。』
私にも真面目で親切だった頃があったように覚えていますけれど、もう思い出せないのですわ。いつからか、私と殿下はすれ違う事になってしまっていたのでしょう。
その時、私と一緒に話を聞いていたヒューゴ様が、煙突掃除の経験もあるとは頼もしいので実際に作業してもらうかどうかは別として、御父上が療養するこの施設で下働きとして働いてもらうことをお決めになり、それ以降マイア…ミア嬢はこの施設で甲斐甲斐しく働いておられるのですわ。見習いメイドの私からすれば一人前の使用人たるミア様は立派な先輩になりますわね。
「うっ、ひっく、けほっけほっ。」
ゆっくりと背中を撫でているうちに、次第に涙も収まって手巾で抑えながらも顔をお上げになり、深呼吸をなさって落ち着きを取り戻されたようでホッとしますわ。
「サマンサ様、お手数をかけてすみません。もう、大丈夫、です。」
「そう?気にしなくてよろしいのよ?貴女だって色々あったのだもの、泣けるときには思いっきり泣いて良いと思いますわ。」
背中を撫ででいた手をゆっくり離しそう話しかけましたら、ミア嬢は泣き笑いで私に語りかけてこられましたわ。
「私が殿下にそう感じたように、サマンサ様はヒューゴ様の事を信頼できる落ち着ける相手だと感じていらっしゃるのでしょう?私と殿下はなんというか、お互いに相手に勝手な幻想を抱いた、両方が一方通行みたいな、感情だったのかなと…今となっては思います、けど…。」
ミア様の目は私に向かって力強く告げていらっしゃいます…。
でも、ヒューゴ様とサマンサ様はお互いの一方通行な思いで済ませたい訳ではないのでしょう?
と。
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